四郎岳
   1980(昭和55)年4月28、29日

昔の5万図「男体山」「燧ヶ岳」には、四郎峠道が明記されている。すなわち沼田から片品川、大滝川をさかのぼった奥深くの丸沼畔から北に尾根を越して尾瀬の入口大清水へ通じるのが、その峠道である。

道は燕巣山2212bと四郎岳2156.1bとの鞍部を越し、そこを四郎峠といっている。ならば1泊2日、四郎峠へテントをあげて四郎岳へ登ろうというのが、寺田政晴君との計画だ。峠から四郎岳へは道はないようだが、残雪期ならば薮も隠れているに違いない。

その頃、奥日光湯元から金精峠下のトンネルを抜けて沼田に通じる路線バスがあり、冬季は運休になるが4月末には開通とのこと。ところが湯元へ行ってみると、バスが動くのは明日からだという。やむなくタクシーで丸沼まで行った。さらに、もう1つの当て外れは、丸沼の北端に立つ指導標に、現在、この四郎峠道は崩壊はなはだしく通行不能とあったこと。

いささか気勢をそがれたが、峠に突き上げる四郎沢には雪が詰まっているはずだから、そこを登ればいいと気を取り直して沢へ入れば、これがなかなかの面白さ。しかし、途中、これは四郎沢ではなく1本左の沢に入っていると誤り気づいたあとは右側の尾根に逃げ、そのまま峠の鞍部まで登ることになった。正3時、倒れた四郎峠の標識から左50bほどの地点にあがりつけば、そこがちょうどよいテント場になっていた。



上 29日の朝は小雪模様だったが、四郎岳に登りつく頃にはやみ、次第に奥日光の白根山が姿を現してきた。

中 沢には雪がつまり、楽しい登高になった。

下 丸沼の停留所で1時35分の湯元行のバスを待っている。こんな写真を見ていると、胸が痛いくらいに寺田君のことが思いだされてくる。彼はこの時31歳。

(2013.5)                       

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