

奥多摩山岳会の夏山合宿。穂高連峰に囲まれた涸沢にテントを張ってベースとし、穂高の各峰に登った。当時は、どこにテントを張ろうがお構いなし、よってトイレもその辺で、というよい時代だった。
明日はテントを畳んでという日の夕方、「ゴマ油が1瓶余ったから隣のテントへ行って売ってこい。その金で涸沢ヒュッテへ行って酒を買ってこい。今夜は打ち上げコンパをやるから」とチーフリーダーにいわれた新人が瓶をかかえてテントの回りをうろうろしていたのが可笑しかった。
下の写真で、テントの張り綱に下がっているのは折りたたみ式でロウソク使用のランタン、明かり窓には雲母がはってあった。いま、こんなものは骨董屋にいったってお目にかかれないだろう。となれば、人物ももはや骨董的といわれても仕方ありませんね。
(2013.5)
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