越後駒ヶ岳、中ノ岳
  1977(昭和52)年7月29〜31日

この頃、望月達夫さん、大森久雄さんとよく出掛けていた。泊まりを重ねての山行も少なくなく、ときにはテント持ちのこともあった。テントは私の3、4人用を使ったが、そうなると成り行きでこちらが背負わなくてはならず、「あぁ、今日もテントが重い」。



上 なにしろ暑い暑いの越後の山。本来ならば、1日目は駒の小屋に泊まり、翌2日目は中ノ岳を越して大水上山の辺りで残雪を見つけて幕営、3日目に十字峡へおりる計画だったが、初日から齟齬をきたして、2日目は中ノ岳の避難小屋でアウト。こうなると3日目に大水上山を回ってくだるのは長丁場もいいところだ。朝、そちらを見ながら「今日も暑いですよ」というと、最初は意気込んでいた望月さんも軟化して「まぁ、ここでやめとくか」となった。よって十字峡へストレートにくだったが、それだって焦熱地獄もかくやの暑さだった。写真は中ノ岳山頂の避難小屋。

中 初日、望月さんは目覚ましが鳴らなかったといって遅刻。大森さんとこちら2人は小出の駅で次の特急を待つ羽目になった。そのため枝折峠までタクシーであがったのはいいが、歩きだしたのがお昼近くになって、その暑いこと暑いこと。予定では駒の小屋まで登るつもりのところ、途中、水場にたちよると、そこにテント1張り分の好適地があったのは好いか悪いか。それを見た途端「今日は、もう、ここでいいよ」と御大将が戦意喪失。あとの3人も「あぁ、けっこうですね」の一言で、なんの文句があるものか。

下 駒の小屋。こちらがまだ休んでいるのに、せっかちな望月さんはもう腰をあげてのご出発だ。気心が通じ仲のよい川崎精雄さんさえ「望月君、もっとゆっくりしていけばよいのに」と、よくぼやいていた。

(2013.2)                       

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