笹子雁ヶ腹摺山
   1974(昭和49)年12月1日

それまで望月達夫さんからは何度か「一緒に山に行かないか」と誘われていたが、「山岳会でも名だたるウルサガタ」ともいわれる、そんなオエライサンと山にいってなにが面白いんだろう、とてもじゃないが付き合えないと言を左右にして逃げまわっていた。

ところが本欄「父不見山」にも記すように、たまたま万場の今井屋旅館で同宿となった夜、お部屋に伺候すれば、有無を言わせぬお誘いがあって詮方なし。「かしこまりました」とご返事申しあげれば、早やその年のうちに10回ほどの同行となって、この笹子雁ヶ腹摺山も、その1つ。こちらが自由業なのをよいことに、望月さんは「いい奴を見つけた」とほくそえんだに違いない。

この日は、笹子駅‐切石‐曲沢峠‐大鹿峠‐お坊山‐笹子雁ヶ腹摺山‐笹子峠‐初鹿野駅(現・甲斐大和駅)の順に歩いた。これを2.5万図「笹子」でたどってみればなかなかの長丁場であり、あの頃は望月さんもこちらも若かったと、写真を見ながら丁度40年前のいろいろを思いだしている。



上 大鹿峠にて。

中 後ろ姿にしろ、いかにも望月さんそのものだ。

下 笹子雁ヶ腹摺山の頂上。当時は、こんな三角測量の櫓がたっていた。 

補記 望月さんは1914年3月のお生まれで、今年は生誕100年に当たる年、また、望月さんとともに本欄によくお名前の出てくる川崎精雄さんは1907年生まれ、織内信彦さんは1912年生まれで、ご存命ならば今年川崎さんは107歳、織内さんは102歳になる。

(2014.3)

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