那須、峰ノ茶屋越え
   1975(昭和50)年
       3月31日、4月1日

那須にいったのは、この時が初めて。両日とも強風に翻弄されて、峰ノ茶屋の鞍部を越すのが精一杯でだった。

残雪期の、しかも風のない晴の日の那須は、これ以上楽しいところは他にはそうはないだろうというほどの好ゲレンデだ。本欄「中ノ大倉尾根、峰ノ茶屋/1978(昭和53)年4月22、23日」でも、それはよくご理解いただけると思うが、いったん強風に見舞われると、それがトンデモナイところになる。

ヒマラヤ登山のトレーニングにいったはいいが、峰ノ茶屋の鞍部で強風に吹き飛ばされて大怪我をし、ヒマラヤどころではなくなったという話も聞いている。私も峰ノ茶屋までも登れずに引き返したことが1度ある。



上 2日目は時々青空ものぞくものの雲行きが激しく、会津側からの強風がごうごうと山を鳴らしていた。これでは山に登るなど論外と、尻尾を巻いて往路と同じ峰ノ茶屋越えの道を戻ることにしたが、これが並大抵ではなかった。背中から強風を受けて峰ノ茶屋に登る急斜面をトットと吹き上げられ、止まることができない。おまけに鞍部へ一歩足を踏みだしたとたん、目の前のすっぱり切れ落ちた谷へ吹き飛ばされそうになり、必死になってピッケルにしがみついた。この時ほどピッケルとアイゼンの効用をありがたく思ったことはなかった。

中 初日はホワイトアウト気味の空模様だった。大丸温泉から峰ノ茶屋へ登る途中の1枚。

下 三斗小屋温泉の煙草屋旅館。この頃は、まだ、こんな山の中の旅館でも食事は各部屋へお膳で運んでくれるよい時代だった。1泊2食付でお1人3000円もしなかったと思う。

(2013.12)

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