
釈迦ヶ岳 |
1977(昭和52)年
12月10、11日 |
川崎精雄、望月達夫、山田哲郎、中西章、横山厚夫(歳の順)の5人が集まって、あまり知られていない山の紀行文集、つまり『静かなる山』(茗溪堂/1978)の原稿を、これから皆で分担して書こうとなったときの話である。
見開き2頁で1山と決めれば、1頁50字23行、タイトルに4行とって50字×(23+19)行=2100字になって、この字数で起承転結がうまく書けるものだろうか。「それでは僕が試しに書いてみます」といってまとめたのが、前の年の暮れにいった、この釈迦ヶ岳。
川崎さん、望月さんに読んでもらうと、「まぁ、なんとかなるだろうね」とゴーサインがでて、めでたく初版は3000部の出版となった。この本、初めは売れ行きがよくて茗溪堂には珍しく再版したが、「あとは、それほどではありませんでしたよ」と同書店の社長坂本矩祥さんが落胆の面持ちだった。
上 釈迦ヶ岳はなにしろ場所がよい。甲府盆地の南に高く、南アルプスにしろ八ヶ岳、奥秩父、大菩薩などの抜群の展望台である。御坂山脈の上にぬっと姿を現す富士山もよろしかった。
下左 この時は廃道に近い昔の鶯宿峠道をひろって尾根にあがった。出合ったナンジャモノジャノキが見事だった。峠からは芦川の谷におり、民宿芦川荘に泊まった。飛込みだったが、一家あげての暖かいもてなしに同行の望月さんも大森久雄さんも大喜びだった。
下右 釈迦ヶ岳はなかなかの鋭鋒であった。しかし、岩の間をうまく縫って道がつけられ、見た目ほどの剣呑さはなかった。
(2012.12)
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