
望月達夫さんは山中湖畔にマンション形式の別荘を持っていた。「買った当初は息子たちもよく行ったが、この頃はさっぱりだよ。せいぜい、ここに泊まって御坂の山でも登ろうじゃないか」
というわけで、前夜は、その別荘泊。望月さん、高木茂子さん、山田哲郎さんとこちら2人の5人で、大石峠から黒岳、御坂峠と歩く計画だった。ところが大石峠へあがりついたところで高木さんが足が冷たくて歩けないといいだした。
高木さんは望月さんが銀行勤めの頃の部下だったこともあるキャリアーウーマンで、かつ山登りでも望月さんの弟子格の「おばさん」である。小柄ながらいつもは才気煥発なのだが、このときは元気がなかった。
そこで望月さんと高木さんは峠から芦川の谷におりて帰り、山田さんと私たちの3人で当初の計画通りに黒岳、御坂峠と歩いた。
黒岳から雪道につけられたごく新しい踏み跡を見て、今日、どこかのパーティが御坂峠から往復しているなと思ったのは大当たり。
三ツ峠入口のバス停には坂倉登喜子さん率いるエーデルワイスご一行がいて、バスを待つ間、寒さしのぎに皆さんきゃっきゃっと馬飛びの最中だった。坂倉さんは緑のベレーにはじまってお召し物も緑ずくめ、やはり巷間いうところの「緑のおばさん」そのものだった。
上 大石峠から登り始めたところから振り返る御坂の山々。
中 黒岳山頂の山田さん。ここからの下り道にはエーデルワイスの人たちのラッセル跡があった。
下 大石峠の望月さん。なかなかのフェミニストぶりで、努めていらっしゃいますねぇ。ほほえましいですねぇ。
坂倉登喜子(1910〜2008)
東京出身。1920年代より奥多摩、奥武蔵を歩き、女性登山の発展に尽力する。エーデルワイス・クラブの創立者、日本山岳会会員など。『エーデルワイスの詩』など著書多数。私は学生時代、日地出版の登山地図のことでお目にかかったのが最初で、当時、坂倉さんは交通公社にお勤めだった。お家が近いので、荻窪の街なかでもよくお会いした。お酒が好きで呑むと目がすわってくるという怖い話もあったが、下戸の私には酒席を共にする機会もなく真偽のほどはわからない。
(2012.11)
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