木暮碑前祭
  1973(昭和48)年5月19、20日

金峰山や瑞檣山を高くに仰ぐ金山の山里、その有井館の奥手に木暮理太郎翁の碑が建てられたのが1951年5月。やがて翁の遺徳を慕う日本山岳会の人々によって、碑前での懇親会が催されるようになった。

私が最初に参加したのは、今から39年前の第11回目のときだった。写真のごとくに山岳会のお偉方がおそろいだが、教養あって節度を心得、酒席もなごやか、お酒を飲んでも乱れることはなかった。

ところが10数年前の同祭では、司会者が「本日は副会長サマのご出席を仰いで」とはいうものの、こいつがとんでもない呑み助、最初は偉そうな事をいっていたがやがて際限なく呑みだし、皆が寝てからも庭で自慢話を声高にやりだして始末におえなかった。

どうも、この頃から山岳会も質が落ちてきたように思う。なお、この73年の碑前祭の模様は名古屋の故川北仁さんが会報338号に詳しく書いている。それを読めば、いかに当時の山岳会が紳士の集まりであったかがよく分かる。



上・中 この時は近藤信行・緑夫妻と同行し、木賊峠を越えて金山に行った。甲府からタクシーは金桜神社まで、あとはえっちら猫坂を越し下黒平から峠道を登った。ヤナギのワタゲが若緑の林に飛ぶ、実に気持ちのよい五月晴れの日だった。木賊峠にあがると、すでに車道にはなっていたが、いまよりはもっと明るい雰囲気で「木賊展望台」と標識がたつところもあった。下黒平から登る昔の峠道は、もう廃道ではないだろうか。

下 金山の有井館の庭先での1枚。左から山崎金次郎、織内信彦、島田巽、河野幾雄さんのお顔が見える。織内さんは1940(昭和15)年の入会、その時の会長が木暮さんでおそるおそるお顔を拝見していたが、「生涯を通じて山登りを中断してはいけない」という木暮さんの言葉が忘れなれないとのことだ。

(2012.11)

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