雁峠、斉木林道
   1964(昭和39)年1月4日

大晦日から正月の4日まで笠取小屋で過ごした。初日は晴れていたが、元日から3日にかけて天気は悪く、予定していた雁坂峠往復もやめて小屋でぶらぶらしているほかはなかった。

こんなでは面白くないと同行の友人たちは3日の朝に帰ってしまったが、こちら二人は、もう1日粘ってみることにした。すると、その日の夕方から風がでて霧が動きだし、一夜明けると霧氷がとびきり美しい朝になっていた。



上 斉木林道 戦後間もなくと思うのだが、雁峠の秩父側で伐採が行われ、その木材を青梅街道の柳沢峠まで運びだすのにつくられたのが、この林道。笠取山下の台地には飯場も建てられ、かなり大規模に作業がされていたが、それも、そう長い間ではなかったようだ。現在、鳥小屋近くに転がっているのは、おそらく、その木材運びのトラックの成れの果てに違いなく、三浦衛さんの見立てによると米軍放出のものらしいということだ。なお、当時の斉木林道はまわりの落葉松も植えたばかりで眺めは抜群、歩いても気分のよい道だった。この日は鳥小屋から落合におり、青梅街道を延々丹波まで歩いた。

中 霧氷の美しい雁峠 山は見慣れた黒金山、国師岳だが霧氷のついた草原と木々の演出効果抜群、「あぁ、よいところだねぇ、また、きたいねぇ」だった。

下 笠取小屋 この小屋で2、3日過ごしてくると、着ているものはもちろん、こちらの身体まで燻り臭くなっていた。薪ストーブの煙突はめったに掃除したことがないので、煙が根元から噴きだして小屋中に充満することもしばしばだった。マサミッチャンこと田辺正道さんは、なにが起こっても気にしない気にしない、そんなときも「横山、ちっと窓を開けろ」というくらいで至極落着いたもの。なにしろ奥秩父の山小屋の番人のうちでもイチニの変わり者だった。

(2012.11)

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