鳳凰山・早川尾根・甲斐駒ヶ岳
   1956(昭和31)年8月6〜10日

お歳は23才。この年の夏はよく出かけた。7月中旬に友人と2人で北アルプスの裏銀座縦走(幕営6日)、下旬には奥多摩山岳会の夏山合宿で涸沢生活(幕営5日)、帰って幾らもしないうちに、また、この南アルプス(5日)に出かけた。1人旅なので小屋泊まりとしたが、寝袋、食料、炊事用具を持つとけっこう大きな荷物になった。

初日は御座石鉱泉泊、翌日は鳳凰日帰りという単独行氏と一緒に登ったが、彼は軽いサブザック1つで速い速い。ついていくのが大変だった。

その日は鳳凰山に登ったあとは早川尾根をたどって早川小屋泊まり、次の北沢小屋には2泊して、なかの1日で仙丈岳を往復した。最終日は甲斐駒を越して黒戸尾根をくだったが、その頂上からは白州の学校がマッチ箱より小さく見え、今日はあそこまで下らなくてはならないのかと、うんざりしたのをよく覚えている。



上. その頃、早川小屋には「南アのムカデ」と自称する末木(名は失念)さんが入っていた。59年1月の奥多摩山岳会の冬山合宿では、この小屋をベースにして甲斐駒を狙ったが深雪のためにアサヨの頭までも行けなかった。小屋の背後の山は北岳。

中. 地蔵岳付近から見る甲斐駒ヶ岳 手前に早川尾根が伸びている。

下. 鳳凰山の賽ノ河原には風化した昔の石仏があった。今も残っているだろうか。

(2012.8)
            
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