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   横山厚夫さんが語るロッジ山旅の山と峠  
   
黒川山見晴台と八子ヶ峰
 


























































2006年は32回山へ出かけて、12月25日の八子ヶ峰が締括りの山になった。ロッジ山旅に一泊しての山行であり、前日の24日は塩山駅で長沢君一行と待合せて大菩薩北面の黒川山見晴台に登った。まず、その塩山駅から始めよう。



新調の「ロッジ山旅号」は常連の木村、菅沼のお二方、それに私には今回初対面の木内さんを乗せて速いの速くないの。塩山駅からほんの30分そこそこで柳沢峠少し先の登山口についた。

余談だが、ここ数年、柳沢峠を越える車道の変わり様には目を見張るばかりで、通るたびに橋やトンネルが増えているように思う。

私がこの峠を最初に越したのは昭和26(1951)年の夏で、もちろんその頃は歩くしかない道だった。奥秩父初旅の帰途、笠取小屋から落合におりたのち多摩川の谷を登っていくと、峠近くになって荷物を振分けにつけた何頭かの馬が向こうからやってくるのを見て、なんと山奥かとびっくりした覚えがある。当時はまだ車が満足に通れずに、一ノ瀬、二ノ瀬などの村に物資を運ぶのも馬の背しかなかったに違いない。なにしろ、そんな半世紀以上も前の記憶があるのだから、今日の谷を跨いで高々と架かる橋梁や整備されたトンネルなどには驚くほかはない。峠の上に道を跨ぐ大鳥居があったのを知っている人も、今はそう多くないだろう。

と、昔話はこのくらいにして、登山口を歩きだしたのが9時半を少し回った時刻で、今日はじつによいお天気だ。寒くなく暑くなくの、葉をすっかり落した林間をいくが、この辺りは通い慣れた我がフィールドといってよい。なんとか一人歩きができるようになってからの一時期、大菩薩が気に入ってずいぶん歩き回ったものである。家人と一緒になってからも何度か歩いた。しかし、今日、家人と顔を合わせて「この辺り、こんなに長かったかねぇ」というのは、あれから何十年もたった証に違いない。若い頃は屁とも思わない道程も、歳をとれば、もう終わりにしてくれないかと溜息をつく長い道になる。

六本木峠までも、横手峠までも、記憶にあるよりはずっと長丁場に感じられた。おまけに途中、舗装道路が尾根を横断しているのを見ては、もう、いけません。山も自分も、いまは昔のものならず。あの頃、大菩薩北面といえば、まだ田部重治、中村清太郎さんの大黒茂谷遭難話もよく語られていて、なんとなく妖気のただよう薄暗い奥山だったが、こう白々しく車道が通じてしまっては、ただのハイキング・コースに堕落である。

落合への下り道を分ける尾根上、すなわち横手峠から黒川山の山腹を斜めにあがる道も、たかだか30分ばかりなのに、やはり長く感じられた。いまは谷側の落葉松林が大きく育って眺めがないが、以前は泉水谷の上に聳える大菩薩嶺が丸見えで、それが登りの単調さを忘れさせてくれたものである。

見晴台への道を分ける乗越に登りついて、ほっとした。皆さんは神社の祀られる鶏冠山の岩峰まで行ってくるというが、私と家人は「もう結構、見晴台で待っているから」と、このところ少々だらしがない。でも、先々月、前立腺癌の手術を終えたばかりの身とすれば、このくらいでお許しいただこう。

露岩の重なる見晴台では、声をそろえて「あぁ、今日はよく見える」。富士、大菩薩、南アルプス、奥秩父主脈の山々。何度となく目にしている景色ながら、いつも大感激だ。さぁ、レンズの前に偏光フィルターが着くように細工したコンパクト・デジカメの出番です。

1時間もすると鶏冠山往復組もやってきて、同じように「あぁ、今日の眺めは素晴らしい」。長沢君の双眼鏡を借りると、仙丈岳のカールには雪がべっとりで「あんなところ雪崩が恐くて、とても登れないね」。だが、目を転じる奥秩父には雪がまったくないのは、これも温暖化のせいだろうか。

登山口への戻りは途中から水源林事務所の作った遊歩道を歩いて、今日何回目かの「こんなところ、こんなにだらだら長かったかしら」。私は手術の後遺症の手当のためにも、余計長いと感じた。



一夜明けて、25日もまずまずのお天気。観音峠の旧道を歩く予定だったが、「これならば八子ヶ峰にいってみましょう」と長沢君のお言葉に従えば大当たりで、文字通りの「絶景かな、絶景かな」。女神茶屋の少し先、すずらん峠とある駐車場に車をおいて、ヒュッテ・アルビレオが見えだす稜線までは30分ほどの登りでしかない。雪は軽登山靴でも支障のない程度、そして、この頃になると青空が天の大半をしめるようになった。

八ヶ岳、南アルプスの諸峰に続いて、中央アルプス、御岳山、乗鞍岳が姿を現わし、ついには北アルプスが輝く一線を連ねるようになった。頸城の山々までも一目瞭然だ。深田久弥さんならば飽かず眺めて、「飽かず眺めた」と書くに違いない山岳大展望である。私たちも飽かず眺めた。

ヒュッテ・アルビレオの少しに先に「八子ヶ峰東峰1869m」の標柱が立って、そこが八子ヶ峰の最高点になる。地形図を見ると、1833m三角点まではあと1キロばかり尾根をたどらなくてはならず、長沢君は「その一つ手前の、あの指導標がたつピークまでいってみましょう」といい、そこが本日の引返し点になった。

北アルプスの居並ぶ峰々を数えてのひととき、長沢君提供のハンバーガーほどの特大最中がいっそう美味だった。

明日は低気圧が近づいて日本列島は大荒れの予報だが、この日、この山を選んだ長沢君には大いに感謝しよう。車を置いてきたので当然往復になったが、3時間きっかりの、家人も「今日は、このくらいが無難だわ」という丁度よい所要時間だった。

追記

『大菩薩連嶺』(岩科小一郎/朋文堂/昭34)によると、「大菩薩連嶺北面の鎮、黒川鶏冠山をその山域に持ち、有名な黒川金山を峡底に抱く黒川山(1710米)は、三角点峰を高点にして、その北面一帯を呼ぶ山名である。この高点を横手山と記した人もあるが横手山はここではない。この峰は黒川谷のツマリにある位置からいっても、黒川最高点の名が妥当である」とある。私はその露岩のある見晴台を、これまで横手山見晴台ということもあったが、ここでは黒川山見晴台としておく。

長沢君は「八子ヶ峰に登るのは、これが初めてです」という。いずれ、この山ももっと歩きでのあるコースに仕立てて、木曜週例登山に登場するに違いない。白樺湖−八子ヶ峰−新湯、城ノ平と歩けば、お勧めの1日コースになる。今回、私にとっては2度目の八子ヶ峰になるが、初回の1983年10月には、そのように歩いた。よく晴れた秋の好日だったことはかろうじて覚えているが、当日朝の特急「あずさ」の車中で山崎安治さんに出会ったことなどはまったく覚えていない。今回、この原稿を書くために古い記録を見たら、そう記してあった。家人にたずねてみると、家人も「そんなことあったかしら」という。山のこといい、なんといい、夫婦そろって、こう物忘れがひどくては行く末が案じられる。                            (2007.1)










































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