硫黄岳 2012.6.24-25

日曜の朝の桜平はまるで車捨て場のようになっていた 昨年の台風で夏沢鉱泉への林道は荒れに荒れている
夏沢鉱泉に到着 オーレン小屋が近づくと行く手に硫黄岳が見えた
オーレン小屋からシラビソの林をゆく 森林限界に近いところで一服
赤岩の頭の分岐に着くと赤岳と阿弥陀岳が目の前に現れた。この展望がなければ話にならない
赤岩の頭で昼食としたが、小屋泊まりだからゆっくりすればいいのに、さっさと登りだすせっかちな横山夫妻
 
硫黄岳山頂ではいったん霧で何も見えなくなったが、しばらくすると前にも増して展望がきくようになった 
   
 すっかり人影のとだえた縦走路を硫黄岳山荘へ向かう 途中、足が攣りながらも硫黄岳山荘に無事到着 
   
200人収容の小屋に泊まったのは十数人で、余裕で寝られた  おそろしく豪華なトイレ。ウォッシュレット完備 
 
 こんな山の上で生ビールとは!ややこしいことは考えずにおいしくいただく
   
 豪華な食事でありました 食後のひとときを談話室ですごす 
   
夏沢峠への下りにはキバナシャクナゲが多かった  2日目は展望は得られなかったが前日だけでも満足 
 
 心眼で見ると遠くにうっすらと北アルプスが並んだ



        ロッジ山旅掲示板より    長沢洋


五十嵐さん島田さんとは2009年の秋に鳳凰三山を2泊3日で登るという贅沢な山旅をしたが、この次は八ヶ岳だねとの話が持ち上がっていたのが、計画するたび諸事勃発して都合がつかないまま2年が過ぎてしまった。

八ヶ岳とはすなわち赤岳のことだが、体力的に厳しいからまた2泊で登るとしても、それならなおさら好天をうまくとらえるのは難しい。そこで1泊で余裕があり、しかも八ヶ岳のエッセンスを味わえる硫黄岳はどうかと提案した。

硫黄岳は2年前、横山夫妻から行こうよと打診されていたのも(その年夫妻は金婚で、新婚登山が硫黄岳だったので)、やはり都合がつかずにそのままになっていた。この5月、五十嵐さん島田さんと横山夫妻は4人で吾妻に行って、硫黄岳も一緒に行きましょうよとの話になったという。それはいいと私も思った。気心の知れた同士、楽しい山旅になるだろう。

しかし問題は時期である。7月に入ると硫黄岳は学校登山が増えて小屋が混むことがある。花も多くなるので登山者も増える。そこで梅雨の晴れ間を狙って、うまい天気予報が出たところでゴーサインを出すことになっていたのが今週だった。今週のどの日でも天気が良くなったら行こうと。はたして台風が行き過ぎて先週末からしばらく梅雨の中休みとの予報が出た。

さすがに土曜日の出発は避けるとして、日曜日なら皆帰るばかりだから山も静かになるだろうと日曜の出発とした。それにしたって遠くから来る皆さんはロッジに前泊となる。

桜平に土日に入るのが億劫なのは駐車場の問題があるからだが、梅雨時とてそれほどでもないかと思っていたのが、駐車場のかなり下まですでに空き地とあれば車が埋めていた。なんとか路肩を見つけてアクロバチックな駐車をしたが、今でこれならハイシーズンが思いやられる。先日の金峰山に続き、そんなときには決して近づかないようにしようと誓った。

山小屋に泊まったのだろう登山者が続々と下ってくる。去年の台風で荒れた道は現在小屋の荷揚げ用の車も通行不能である。夏沢鉱泉から人の道になるが、それもかなり荒れている。

出発時はかなり雲がかかっていたが、オーレン小屋に着くころには行く手に硫黄岳が見え、薄日も射してきた。硫黄岳に登るのに、赤岳鉱泉からよりはこちらの方がすぐれているのは、登りついて初めて八ヶ岳の大伽藍を目にするからだが、それも見えていればの話、さてどうだろうか、最後の急登をこなして赤岩の頭の分岐に出たら、荒々しい火山が勢ぞろいしていた。歓声が上がる。

夏の花盛りというには当然早いにしろ、それでもいろいろの花が岩の間を埋めていた。今はことにイワウメが多い。ハイマツの緑の間にはキバナシャクナゲが淡黄の花をのぞかせている。

硫黄岳の頂上でガスにいったん山々が隠されたが、硫黄岳山荘に下る間には再びガスが切れ、その前以上にすっきりと見えるようになった。次々に雲が峰々を行き過ぎていくのを眺めたり写真を撮りながら長い時間を過ごした。これができるのも山小屋泊の余裕である。

200人収容できるという硫黄岳山荘に泊まったのは我々を含めて10人ちょっと、どこに寝てもいいですよとうれしいことを言われ、隣の人まで数メートル離れて寝るという、山小屋としては破格の贅沢をさせてもらった。

まずは生ビールで乾杯、夕食にはおかずが豊富に出て、それをつまみに持参の焼酎を飲んでいると、ご飯を食べないまま腹いっぱいになってしまった。

8時消灯は残念だが、これは仕方がない。酒が入っているので、しかし布団に入ったとたん寝てしまった。



学生時代にワンダーフォーゲル部をすぐにやめてしまったのは、皆で何かをしようということに馴染めなかったこともあるが、テントに寝るのが嫌で仕方なかったからであった。つまり山で寝るのが不得意である。山小屋でもすっきりと寝られた試しがない。

せめて寝つきだけは良くしようと酒を飲むわけだが、飲むと深夜に目が覚める。覚めるともう寝られない。今回はそれを見越して文庫本をしのばせていったが、混んでいればヘッドランプをつけて本を読むわけにはいかない。ところが硫黄岳山荘では隣まで何メートルも離れていたおかげで布団をかぶって2時間ほど読書を楽しむことができた。山で、山とまったく関係のない本を読むのは格別である。これができるなら山小屋泊まりも悪くない。

東側にだけ窓のある寝室の朝はこの時期ならなおさら早い。4時半ともなると部屋中すっかり明るくなって、朝食の5時半までが手持ち無沙汰であった。硫黄岳山荘は稜線の東側に風を避けて建っているから、小屋にいながらでは八ヶ岳の山々を望むことはできない。晴れていれば窓から奥秩父や佐久の山々が望めただろうが、結局、この山旅でそれらを望むことはできなかった。

しっかり朝食をいただき、6時半には早くも八ヶ岳主稜線に立つ人になっていた。当初は阿弥陀岳が見えていたがそれもすぐに霧に隠れた。硫黄岳では五里霧中、しかし展望を期待して夏沢峠へ下る間には箕冠山が行く手に黒く現れた。

平日となれば行き交う登山者も多くはない。のんびり下って駐車場に着いたのはまだ11時前、林道脇にあれだけあった車はすっかり片付いていた。アイスクリーム屋そば屋とはしごして打ち上げし、硫黄岳の山旅を終えた。

横山夫妻の年齢を思えば、偉業に属する山旅であろう。これも長年の山歩きの積み重ねの結果かと感じ入った次第だが、おふたりでの山歩きもすでに1600回を超している由である。