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 『私の小谷温泉』(深田志げ子著・山と溪谷社)

日本百名山登頂ブームがいつ始まったのかはよく知らないが、それを知ったから次が予測できるなら商売人は苦労しない。だがNHKが二十年ほど前から続けざまに放送した百名山がらみの番組がブームを焚き付けたのは間違いないと思われる。それらを嚆矢として今では山を紹介する番組など珍しくもないのは、デジタル化でチャンネルがやたらと増えた分の埋め草に、素人目にも製作費が安上がりに思えるその手の番組が多く制作されるようになったからだろう。景色を見たいだけだから安手なことは構わないが、こと山の番組には限らないにしろ、ナレーションが幼稚化するばかりなので最近では滅多に観なくなってしまった。
 
一方出版業界もブームを盛り上げたのは、そもそも深田久弥の『日本百名山』が元祖なのだから当然で、手を変え品を変え次から次に関連本が送り出されたし、新聞の特集記事になることも多かった。山にさほどの興味がない人なら、深田のことは知らず、日本百名山とは国家の認定だとでも思っているのではないだろうか。
 
日本百名山という名前ばかりが有名になって、それを題した本が書店の山岳書コーナーで隆盛を極めていた頃、『日本百名山』(むろん本家の)が欲しいのですがありますかと試しに尋ねたところ、あいにく置いていないと言われたとは、当の深田久弥のご二男から聞いた冗談のような実話である。
 
今ではさすがに百名山登頂ブームも下火になったように感じるが、登山という遊びがなくならない限りは他の流行と違って消え去ることはない。百名山や深田久弥に関わる本は毎年のように何冊かは出版されている。その有様を柳の下にどじょうをいったい何匹見つければ気が済むのだろうかと少々斜めに見ていたから、去年、深田久弥夫人志げ子の本が出ると聞いたときには、まだそんな手が残っていたのかというのが最初の感想で、買ってまで読もうという気はまるで起きなかった。 ところが、いち早く読んだという横山厚夫さんが「上手なのに舌を巻いた、君も読んでみたまえ」と本を貸してくれたのをさっそく読んで、同じく舌を巻くことになったのである。
 
<お正月を迎える毎に、私は幼い頃の元日を想い起す。畳替をした座敷の、福禄寿の長い頭の掛軸と母の活けた五葉松の床の間を背に紋付の羽織袴で家長らしく父が座り、長男二男三男の順で弟達がかしこまっていた。少し粧った母の隣りに春着の私も坐して一家で祝膳についた。子供心にも何か改まった思いで神妙に「おめでとうございます」を述べ合った。おとその香りと共に青畳の匂いが印象に鮮やかなのは、その頃は歳時記の季題のように年の暮に畳替をやったからなのだろう。>
 
かような文章を一読して向田邦子を彷彿としたのは向田の文章にもあった戦前の家族の情景が重なったことと、山本夏彦がその向田の文章を天賦の才と評したことを思い出したからだったが、ことほどさように志げ子の文章には巧まざる天性の芸がある。
 
本のあとがきで長男森太郎氏が母の思い出を語る中に、綴り方の成績が良かったことを自慢したり、こっそり応募した随筆が賞をもらったりしていた母親を子供心にも文章の上手な人だと思って、なんでお母さんは小説を書かないのかと尋ねるくだりがある。

 「お母さんがモノを書くのをお父さんは嫌がるの」
 「どうして?」
 「作家の奥さんが小説か何かを書くと、それだけ旦那さんの仕事を  奪ってしまうことになるっていうの(後略)」
 
森太郎氏は父親が文壇に出るきっかけになった初期の小説が前妻北畠八穂との共作だったことにも触れているが、その経緯は以前にも別の本で読んだことがある。
 
要するに編集者として北畠に注目した深田がいつしか彼女とねんごろになり、その小説に手腕を発揮して完成させ自分の名前で世に出したことが、志げ子の登場によりふたりの仲が破綻したことで明るみに出てしまったという顛末だったらしい。北畠の文才を見出した深田が志げ子のそれに気づかないはずはないから、過去のそんないきさつも志げ子が文章を書くことを嫌う理由でもあったのかもしれない。その天分を思うと、もし自由に書いていたらと惜しまれる。
 
しかし俳句のたしなみは深田も妻に勧めていて、この本に載る文章の中でも深田の生前に書かれたものは句誌「あらうみ」に掲載されたものがほとんどである。本の四分の一ほどにすぎないこれらに、私は深田没後に書かれたものよりも一層惹かれるところがあった。それは制約のある中で書いただけになお運筆の歓びが感じられることと、何より良人と共に生きている幸福が文章の端々ににじみ出ているからだと思う。
 
かつて成瀬巳喜男の映画を観て、特に女性の台詞の美しさに打たれたことがあったが、しかしこれは同時代の小津安二郎でも木下恵介の映画にでもいえることで、つまりは男女の区別がくっきりしていた時代だったのであろう。そして志げ子の文章もまごうことなき女性のそれなのである。
 
言葉は深く伝統に根ざしているものだが、それでも時代とともに変化するのは人に生死あらば同時に言葉にも生死があるからで、その意味で言葉に正邪はない。明治生まれの祖父母を持つ私は、志げ子の書く言葉や成瀬らの映画の台詞にかろうじて感応して床しく思う世代で、冒頭にあげたテレビのナレーションを貧相で幼稚だと思う最後の世代になるのかもしれない。してみると言葉や文章というものは常に前の世代にとっては劣化していくように感じられるものだろうか。これは、例えば映像技術がますます精緻な表現を可能しているなど、物事を伝える方法がより具体的になっていることと無関係ではあるまい。

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