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                                      写真 俵一雄

            祝富士山世界文化遺産登録

今回富士山について書いてみようと思ったきっかけは昨今の世界遺産登録騒動だった。言うまでもなく渋面で報道を見聞したのである。

私はかねてから世界遺産というものに懐疑的で、富士山をその文化部門に登録してもらおうと国をあげて活動していると聞いても、日本人の誰ひとり価値を知らぬ者のない山が何で今さら国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)なるところにお墨付きをもらわねばならないのかと片腹痛く思ったものである。

明治以降国民に浸透した欧米コンプレックスと、資源のない我が国が経済を維持するためには常に他国に気を遣う必要から、国内よりは国外(当然ほとんどが欧米)の評価が尊ばれるのかもしれないが、確かに他人に言われて卑近な物の良さに気づくことがあったとしても、日本一の代名詞になるような山を国外から言われなければ保全もできないでどうする。

そもそも自然にしろ文化にしろ地球上のこれは大切で後世に残すべきだがこれはそうではないといった評価がおいそれとできるはずはなく、するなら傲慢である。傲慢の後ろ盾にはしばしば正義があって、それは国際連合の機関なら政治力学上の正義、すなわち歴史や経済で優位に立つ国々に都合の良い正義に決まっている。世界遺産の選定を鼻持ちならないと感じるのは私がこうした正義をほとんど憎んでいるからである。

登録がほぼ決まったあたりからの報道のはしゃぎぶりといったらなかった。「日本の宝が世界の宝へ」と浮かれ騒ぐ姿には無邪気では済まされない卑屈さを感じた。報道に踊らされるのは昔も今も変わらぬ人間の性で、むろんこの文章もその一種だが、さっそく富士山や麓の観光地では客や便乗商品が増えたという。名誉ほど堂々と商売に利用できるものはないのである。



昭和三十三年出版の谷川徹三著『山と漂泊』(朋文堂)という本がある。半世紀前には哲学者が山岳書の出版社から本を出したのかと驚かされるが、その内容は題名から想像されるような紀行文集ではまったくなく、目次に「浪漫主義の諸相」などという恐ろしげな文字が並ぶ哲学書である。哲学書にしては読みやすいのかもしれないが、それでも今の私の、年とともに劣化した読書力では荷が重い。

かろうじて題名を裏切らないのは本の冒頭の「富士を中心にした一考察」という文章で、富士になぞらえての日本讃美の気味があるのはおそらく戦時中かその前に書かれたからであろう。これも簡単な文章ではないけれども私なりに要約してみる。

古代においては美ではなくむしろ醜とされていたものに美以上の美を認めようとするのが近代人の傾向で、それゆえ西欧においては古来嫌悪や恐怖の対象とされたアルプスの山々にも美を見出すようになった。富士山の八面玲瓏は日本における古典的美の象徴だが古典美が一般的に陥る宿命で通俗に堕す。よって近代西欧の文化に影響を受けた人々は富士に向わず日本アルプスに向かう。しかし虚心を持って富士を眺めるなら誰しもその根源的な美に心打たれないはずがあろうか。

なるほど、明治政府の近代化政策は欧化にほかならなかったが、戦争に負け、さらに欧米の影響の強まった時代に生れた私はごく普通のこととしてその近代的思考に染まったに違いない。それというのも山に興味を持ち出した高校生の私には日本アルプスへの憧憬はあっても富士山になどついぞ一度もそれと同じ関心を持ったことがなかったからである。富士山の出来すぎた造形には気恥ずかしさすら感じていたように思うし、あまりにも明らかな日本一の山という権威めいたものに対する反発があったとも思う。

ところが憧れが嵩じて北アルプスのお膝元にある大学を受けたが失敗、結局入学したのは皮肉なことに山梨県は富士北麓にある大学だった。もちろん少々不本意ではあったが、家を出てひとり暮らしがしたいというのが第一の願望だったから、とりあえず富士山の麓で四年間暮らしてみるのも悪くはないかと妥協は早かった。

しかし卒業後も岳麓を離れず、富士の眺めを売り物とする峠の茶店で二十年近くにわたって嫌というほどこの山とにらめっこしていたのだから、傍からは在学中に富士山の虜になったとしか見えなかっただろう。

だがそれはただただ成り行きで、富士山の魅力に抗し難くその仕事に就いたわけでも長年留まったわけでもけっしてなかった。我が魂は富士山に根源的な美を見出すような虚心にはついに至らず、それどころか常に眼前を圧する富士山は、日々の倦怠や仕事への不平不満と、なのにそこから脱しようとしない怠惰な自分への嫌気の象徴となった。私は富士山から逃げ出すことばかりを考えるようになった。



私はこの文章の最後に、しかしそれもこれもやはり富士山だからなのだと半ば諦め顔で言わねばならない。世界遺産に疑義があるにしても、それを声高に言いたくなったのは屋久島でも白神山地でも知床でもなく富士山が関わったからなのだ。自分の若き日を山にからめて語ろうというのもそれが富士山だからなのだ。

私の知る、富士山を評しての最高の表現は深田久弥が『日本百名山』に書いた「偉大なる通俗」である。谷川徹三も書く「通俗」に「偉大」という修飾語をつけたのはなんという大発明だろう。偉大にまでなった通俗は清濁も雅俗も併せ呑んで微動だにしない。以上に書いた私の文章のごときもこの偉大なる通俗の前では取るに足りぬ繰言にしかならないのである。

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