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 「山のドン・キホーテ ―炭焼になった男の記録―」
今井雄二著

もうかなり前のこと、たまたま手に入れたごく初期の『アルプ』を端から通読していたとき、表題の文章が深く印象に残った。

第二次大戦が終わる年の三月、今井氏はそれまで携わっていた日本文化を海外に紹介する出版事業が戦争により頓挫したのに絶望し、山歩きの途次に立ち寄ったことで以前から関わりのあった八子ヶ峰南麓の柏原集落(現在の長野県茅野市北山柏原)に疎開、蓼科山麓南平(なんだいら)で小屋掛けし、炭焼きを生業とすることにしたが、それも軌道に乗らぬうちに日本は敗戦、今井氏は失意のまま冬を迎える。

〈この美しい風景の中にいて、私の生活は楽しいものでなければならない筈なのに、この美しかるべき風景が少しも美しくも、楽しくもなかった。自然も、宇宙も、もはや自分にとって何のかかわりもないような気がした。
アミエルは「風景は心の状態である」といった。敗戦以来の虚脱の心情に過重な労働がおしかぶさってきて、ただ野獣のようにうごめいているだけの人間に風景がなんであろう。意識にのぼるものはただ空腹と寒気だけだ〉

かねてここで暮らすことができたらいかに素晴らしいだろうかと思っていた蓼科山麓の風景が何ものにも感じられなくなってしまったときの挫折感は大きかった。今井氏は山をおりることを決意する。

おおまかにしか書く余裕がないが、以上が「山のドン・キホーテ」に描かれた、今井氏の八ヶ月あまりにわたった炭焼き生活である。

この文章にあふれんばかりの詩情の機微は、音楽の良さが実際に聴かなければわからないのと同じで読んでもらう以外にはない。ただ言えるのは、その詩情が都会人が田舎暮らしをしたときにありがちな甘い情緒や感傷に流れず、ぐっと現実にとどまって冷徹であることで、そこにこそ私は注目したのだった。それは土地の人間でもその辛さゆえに敬遠するという炭焼き仕事が甘い表現を許さなかったというだけではなく、以下の文章に現れている今井氏の自覚に支えられている。

〈だいたい山に惹かれる心はロマンティシズムへの郷愁以外の何ものでもないようだ。山男のすることは、時には現実からの無謀な飛躍ともなるし、またそのために破綻を生じて一生を棒にふる結果になることがあろう。私が長い間打ちこんできた文化方面の仕事を棄て、蓼科山へ入って炭焼になったのも、考えてみるとこのロマンティシズムのなせるわざであったことが、後になってだんだんわかって来た〉

人は現実にまみれずに年をとることはできない。しかし一部の青年はその時期に特有の潔癖さによって現実を汚れたものとして忌避することがある。結果、空想にひたり理想郷を夢見る。つまりはこれがロマンティシズムへの傾倒と言ってもいいだろう。そのユートピアとして人跡まれな土地や山が選ばれることが多いのは、要するに現実的な問題のほとんどすべてが人の世の軋轢に起因するからである。

一方、文学にそういった青年がかぶれやすいのは現実逃避に都合のよい言い訳がそれに多く含まれるからで、この時期の濫読とは他人の文章に我が意を探し回る作業ともいえる。

山と文学の両方に耽溺したかつての青年こそロマンティシズムの権化とでも言うべきで、彼らが歴史に残る登山をし多くの文章を残してきたわけだが、それらが大げさな修飾に満ち感傷の垂れ流しであることは往々にしてある。

だから若い時分に感激して読んだ文章だとしても、後々読み返してなおノスタルジーだけではない感興をもよおすものがいったいどれくらいあるだろうかと思うとはなはだ心もとない気がする。ただし、そもそも文学が文学を必要とする人のためにあるという考えは当然あって、ある世代がある時期に必要としたのならそれらの文章も役目は果たしたともいえる。

自分が美しいと思うものだけを見ていたいという渇望はしかし稚気に満ちた見果てぬ夢であることを遠からず青年は知ることになる。現実を直視し自らを客観視すればおのずと理想をなぜ理想と言うかがわかってくる。それが青春の終わりだというなら青春と呼ばれる期間はあとから振り返ればすこぶる恥ずかしい時代というべきで、ごくまっとうな大人ならたとえそれを懐かしむことがあったとしても必ず悔恨と苦笑がそこには含まれるはずである。

自分を主人公に文章を物す場合、その出来不出来はいかに自身を客観視できるかの度合いにかかっている。「山のドン・キホーテ」には、夢から醒めた自らを嗤う今井氏の視点がある。しかしそれでもなおロマンティシズムの洗礼を受けた者にはその残滓があって、思いは理想と現実の間を絶えず揺れ動く。そのあたりの振幅の妙が本質的に今井氏が持つリリシズムとあいまって、この文章の品格を高めているのだと思う。

この今井氏の文章はのちに『高原風物誌』(東京同信社)に収められた。私はこの本こそたとえ文庫本であっても連綿と新刊書店に置いてあればいいのにと思うが、テクノロジー万能主義の現代においては(次々にやって来る現代においてはなおさら)、余分な本棚が書店にあるはずもない。

なぜならテクノロジーは過程や時間をなるたけ省略すること、すなわち効率化にのみ発達するからである。工業製品ならいざしらず物の考え方にまでそれが当てはめられると幼稚がはびこる。ここでの幼稚とは自分で考えずにすぐに答えを求めることで、書店の本棚にはいわゆるハウツー本ばかりが幅をきかせることになる。ロマンティシズム云々などと手間のかかる御託を並べた本を置く余地など薬にしたくもないわけである。


今井雄二(1898〜1984)
 岐阜県下呂町に生れる。東京商大卒業後、戦中まで三省堂勤務。妻、喜美子は女流登山家の草分けとして知られる。著書に『心に山ありて』(東京同信社)他。

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