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 『十五年戦争下の登山 研究ノート』
            西本武志 編著
(本の泉社)

私は自国の戦争を体験しない世代だが、生れたのが敗戦の十数年後なら、その頃の大人にとって戦争はつい最近の出来事だったはずである。戦争や戦時中の暮らしの話はその大人たちから聞いたし、本で読んだし、映像でも観た。

そんな中から私が自分の生理に合っていると感じた戦争や平和についての考え方は「春秋に義戦なし」や「勝てば官軍負ければ賊軍」といったアフォリズムに集約されるもの以外にはなかった。したがってそういった考え、すなわち善悪や正義不義が時代や立場によっていとも簡単に逆転しうることを認めない論は、空しいものとして斥けるか、何らかの政治的意図があるのだろうと疑うことにしている。

「自由とヒューマニズム、フェアーな精神を生命とする平和的なスポーツである登山が、そして、その発展の担い手であるべき登山団体が、軍部・官僚・一部岳界指導層の支配下に置かれ、無謀な侵略戦争推進の具に貶められてしまった」というのが表題の本の編著者西本氏が自序に書く文章である。これまで明らかにされていなかったという戦時中の登山史を解明するのがこの本の主旨で、そのための資料が本の多くを占めている。

西本氏がこれらの資料を蒐集した労を多とはするが、それを読んでなるほど戦時中に登山界はそんなことになっていたのかと驚いた者がいたとすれば相当能天気と言わねばなるまい。当時の思想統制やもろもろの弾圧の話など現代の生活の中でも普通に耳に入ってくることである。いかな自由主義の国であっても戦争に至るまでには画一主義的な世論が台頭するものだが、個人主義の伝統のない我が国ではなおさらで、登山界だけがひとり時局に影響されずに自由とヒューマニズムを謳歌していたなどとは到底考えられないのである。

つまり私は登山を西本氏が自序に書くほどには崇高なものと考えていない。輝かしい山の記録を持った登山者の戦死や、戦争に批判的でありながら戦死するに至った登山者を他と較べてことさらに特別扱いはしないし、戦時中の言動によって過去の山での実績が無に帰するとも思わない。登山だろうが何だろうが所詮人間のすることなら大同小異で、状況による人の変節なども別に珍しくはないと考えるのはこれまでの私の観察によるが、卑近ながらそれが自分自身の、学校に反発して懐柔された記憶から導き出された判断でもあるのは無念というしかない。人間は自分のことだけは棚に上げる動物だが棚の上にいる自分をたまにはしげしげと眺めなければ人間に生れた意味もない。

私はこの本を読んでいて、資料を元に的確な解釈を加えているというよりは、まず西本氏の自論ありきという印象を持った。戦時下、国による統制や弾圧が登山界に及んだのは当然のことだったのだから、その裏づけとなる資料には事欠かなかっただろう。

その論調はあるイデオロギーの持ち主には心地よいのかもしれないが、私のような政治嫌いには、講演の口調がそのまま文章になっていることと相まって、迫力さえあれば論理をさして必要としないアジテーションのようにも聞こえる。というのも、戦時中の指導者たちが「総括」と「反省」のないまま戦後も再び指導的立場にあったことが登山界や我が国を嘆かわしい状態にしているというのが西本氏の書くところだが、どこがどういう風に嘆かわしいのか、もし総括と反省がなされていたなら歩んでいたはずの登山界の進路や、出現していたはずの国がいったいどんなに素晴らしかったのか、総括や反省がどういった形でされたなら、それを求める人たちが納得することができたのか、そもそも求める人たちとは誰なのか、民は常に無辜なのか、さらには父祖の世代がしでかした戦争の責任を後の世代はいつまで負わなければならないのか、等々がその文章から私にはいっこうに見えてこないからである。

戦争を志向しようが平和を標榜しようが、政治や宗教に関わる集団に対して私が持つ恐怖感は、それらが増大して増長したとき、いかに自分が抗おうともやがて否応なく取り込まれていくかもしれないことを想像する恐怖にほかならない。そのとき彼らは衆を恃んで私を面罵するだろう。

その連中は世の東西や思想の右左を問わず生息し、虎視眈々と時代時代の異端者を排除しようとした。我に正義ありと迫る彼らの陶酔した目を見よ。その目は戦時中異端に拳をあげたファシストの目で、しかも戦後異端を粛清したコミュニストの目だった。

西本氏は〈海外登山と「日の丸」〉という項で、氏がその重鎮である日本勤労者山岳連盟(労山)傘下の山岳会が海外登山をした際、頂上に日の丸を立てて祝ったのを批判する(長沢註 この文章が書かれた一九八七年当時、日の丸は国旗として法制化されていなかった)。日本は日の丸を先頭にアジア太平洋地域を侵略し多くの命を奪った。よって、それらの国にとって日の丸は恐怖と怨嗟の対象なのだ。それに配慮せず当事国の山の頂上に日の丸を立てるとは何事か、立てるなら我々には労山旗というれっきとしたシンボルがあるではないかと。

国旗論議はさておき、この文章を肥やしにして果実がなったなら、その果実は西本氏が口を極めてまずいと言う戦時中に実っていた果実と似た味がするだろうと私は思うのである。

私は争いごとを嫌う。独りでもでき、人と競わないですむ山歩きが性に合っていたから長年飽きもせずこの遊びを続けているのだと思う。だから戦争などまっぴらだ。それでも私は平和のために山に登ろうとは思わない。スローガンのもとで山道を歩こうとは思わない。健康のためなら死んでもいいという冗句があったが、我々は平和のためにこそ戦争を繰り返してきた存在である。人が人である限り争いはなくならない。それを認めるのは痛恨事ではあるが、傍観者としてこの世に生きる知恵のひとつかとも思う。

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