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 山と情報

私が現在担当しているガイドブック『山梨県の山』(山と溪谷社)の先代の著者は先年亡くなられた山村正光氏であった。その山村氏の甲府中学山岳部時代の恩師が島田武氏で、氏は昭和17年『甲斐の山々』というガイドブックを朋文堂から上梓している。

私が公私にわたって恩を受けた山村氏のそのまた恩師が、同様に山梨県の山の案内書を書いていたことに連綿とした縁を感じないわけにはいかないが、その縁はさておき、この島田氏の旧い案内書を一例として、山と情報について考えてみようと思う。 

「新宿を夜行で立つと鳥澤へ眞夜中に下り立つ。ランタンの灯で登り出して扇山登山道を行くと、扇山の左肩で明るくなる。淺川峠の草原から電光形に登り、山腹を捲いて頂上に達し非常に展望が好い」

地名に馴染のない方々には恐縮だが、これは、JR中央線沿線の山として人気の高い北都留三山のひとつ、権現山に登るのに島田氏が書いた案内文である。

山奥まで車道が通じている今では、鳥沢駅から歩き出し、扇山を越えて権現山に登ろうとする人はまれだろうが、それにしても、この案内書で4時間(今なら3割増しか)としている頂上までの行程が、たった数行の説明で済まされているのには驚かされる。これ以上簡単にはできないような手書きの概念図も添えられているが、それを合わせても現代の感覚ではいかにも不親切に思える。

これと同時代の案内書のなかに、もっと詳しいものがないわけではないが、バス停や道の分岐の写真まで出ている懇切丁寧なガイドブックやネットの情報を見慣れた目からすると、文字だけではかなり不安に感じられる。

案内文は長く書けばいいわけでもない。表現とは要するに省略の方法なので、過ぎたるは常に及ばない。だから字数の制限は必要である。だが、簡略にとはいってもほどがある。前掲の案内文で当時の登山者は無事登ることができたのだろうか。

登れたのだろう。多くは現地へ行けば何とかなると楽観的に出かけ、はたして何とかなったのである。駅には土地に詳しい駅員がいる。田舎とはいっても駅のそばなら人家も多い。歩く道は歩いている人に聞くに限る。そして家の外に出ている人は全員歩いている。よしんば人が見当たらなくとも、戸を叩いて怪訝に思う住人もいない。山に入ったら山仕事をしている人はいくらでもいる。彼らは山道に精通している。道を尋ねる人には事欠かない。

先年、すでに百歳が間近だった川崎精雄さんと話したとき「昔の人はよく歩いたものですね」という私の感心に「そんなの当たり前だ、それしかないのだから」と応えられたのに目を開かれたことがあった。車のない時代なら誰でも歩くことに迷いはない。少ない情報しかなければ人はそれで何とかしようとする。我々は、今あるものがなかった時代に想像が及ばなくなったのである。

一方、現代の登山者はあらかじめ充分な情報を得ていなければ不安でしかたがない。無理もないところもある。田舎ならなおさら移動は車で、歩いている人などいない。いたとしても山のことなど知らない。戸を叩こうものなら不審者にみられる。山で仕事をしている者は滅多におらず、たまに見かけるのは車で通勤する林道工事の作業員ばかりで、当然山道のことなど知るはずもない。

そこで事前に本やインターネットでありったけの情報を仕入れ、万全を期す。登山口へは車載ナビが案内してくれる。登山道に入ったら携帯GPSがあるので安心だ。見晴らしのいいところでは必ずケータイを取り出してアンテナを確める。頂上に着いたら家族にメールで無事を伝える。ケータイを忘れたら山登りを中止しかねない。有用な情報が少なければ不安になるし、聞かずもがなの情報が多過ぎると心配の種が増える。登山者のみならず、現代人は一種の不安神経症である。

近代文明の最大の成果は移動手段と情報伝達の画期的なスピード化であった。これらの達成がなければ、そもそも登山という遊びも生まれなかった。

物理的な限界がほぼ見え始めた移動速度に較べ、情報のスピード化と増加はとどまることを知らない。インターネットは個々人の全世界へ向けての発信を可能にし、地球上のメモリーに蓄積された情報量は日々膨れ上がるばかりである。そして圧倒的な処理能力を持つ検索システムが一瞬にしてそれらの情報に順位をつける。しかし、これらはただ効率化の解決に過ぎず、万人をして賢者たらしめる哲学がそこにあるとは思えない。新幹線に乗っただけで賢くなった人はいないのである。

毎日人並み以上にパソコンを使いながら、こんな装置が人間の福祉にはたして寄与するのだろうかと疑う私は、自らの矛盾と科学音痴に忸怩とし、無邪気にその機能を享受する人々を半ばうらやましく眺める。だが少なくとも私は、知らないでもいいことや知りたくもないことを、ついに知る破目になることは、人間の向上心のもたらす不幸のひとつだという考えを棄てられない。「知らぬが仏」は未来永劫に金言だと思っている。

現代人が島田氏の時代のガイドブックでは山に登れないと思うのなら、能力の退化である。文明は人の便宜をはかって、いつも皮肉な結果をもたらす。至れり尽くせりで際限もない情報の洪水は、多くの人から想像力や応用力を流し去り、その結果、大衆はますます愚かな情報通になるだろう。登山はますます安全で健康なスポーツになるだろう。そして、この洪水は誰にも止めることはできないのだ。

「日本の山は便利になり過ぎてゐる。(略)案内記にあることを實地で確めてみる、これほど馬鹿らしい旅行の仕方があるだらうか。」

フランス文学者で登山家の桑原武夫がこの文章を書いたのは、島田氏の本の8年前、昭和9年であった。

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