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昭和32年 創立2年目のコロボックルヒュッテ(『新編 邂逅の山』 平成3年・恒文社)より

山と音楽

どんなに美しい調べや音色を持つ音楽でも聴く気のない人にとっては騒音の一種である。聴覚は視覚と違ってそう簡単には遮断できない。騒音によるトラブルが刃傷沙汰にまでなるのはよくある話である。
 
レストランや喫茶店に流れる音楽には音をもって音を制するという側面もあって、まわりの雑音をかき消す効用がある。それにしても内輪の会話を邪魔するようでは元も子もないわけだから音量の設定はむずかしい。音楽がうるさく感じられる店にはいたたまれない。聴くともなく耳に入ってくるぐらいがちょうどよい。
 
本誌28号に、霧ヶ峰の山小屋コロボックルヒュッテの先代主人、二〇一二年に亡くなった手塚宗求氏が「山小屋と音楽」という文章を寄せている。
 
山小屋草創期のことだった。訪れた串田孫一氏に、手塚氏はなけなしの金で手に入れた旧い蓄音機で繰り返しバッハを聴かせる。のちにそのときの事を串田氏は「もう沢山だという気持ちにさえなって、むしろ義理で聴いていたが」「山へ来て音楽を聴くというのはどう考えても場違いなのだが」と本に書く。
 
それを読んだ手塚氏は「音楽とは、決して人に聞かせようとするものではなく、自分が人の迷惑にならない範囲で控えめに傾聴すべきものである」と自らを戒める。
 
ヒュッテの建つ車山肩は、ビーナスライン開通以前は陸の孤島のような場所だった。著作を読めば小屋を建てる前から手塚氏が文学に傾倒していたことがうかがえるが、そんな辺地で暮らすことでさらに芸術を渇仰することになったと想像する。なぜなら、山小屋の客の大多数は都会人だから、彼らからもたらされる華やかな都会の文明文化への憧憬があったろうし、芸術は文化の象徴で都会でこそ花開き、辺地とは文化果つるところだったからである。過去形で書いたのは、現代では情報網の発達により必ずしも創作に関しては都会が優位とも言えなくなったからだが、芸術作品も商品であるなら、昔も今も大消費地としての都会の優位は変わるまい。
 
手塚氏にとってはたった数枚のレコードともなればなおさら宝物で、敬愛する串田氏にぜひ聴いてほしいと思ったのは素直な歓迎の気持ちだったに違いない。こんな山小屋でも音楽が聴けるのですよ、と。一方の串田氏にとっては、文明から束の間にでも逃れた気分になるのが山へ向かう理由だから音楽は場違いに感じる。
 
手塚氏のように、彼我の環境の隔たりから生じる好意の空回りに早々と気づく人はそう多くないから、全国津々浦々にまで音楽とは名ばかりの「善意の騒音」が垂れ流されるに至ったわけだが、以上に書いてきた音楽とはもっぱら再生音楽をいう。
 
レコードその他のパッケージによって個人が音楽を手に入れ、自由に再生ができるようになったことで音楽は大きな産業になった。いまや天文学的数字の楽曲が巷にあふれさらに増えつつある。音楽を志す者も比例して増えるから、さらに作品が続々と生産される。これは別に音楽に限ったことでもないが、日々新しい商品が店頭に並ぶさまは生鮮食品と変わらない。街中いたるところで食品が売られているように音楽が流れているので誰もが音に不感症になっているかその振りをせざるを得ない。いちいち気にしていたらどこにも行けなくなる。
 
前述の串田氏の文章には続きがある。最初の晩には義理で聴いていたバッハを、ある晩には自ら欲して蓄音機のハンドルをまわそうとするが、この音楽で自分は救われようとしているのではないかとちらっと考える。そして結局かけるのを止めてしまう。

「バッハは必ずしも私を救わないだろう。(中略)それよりも、もう一日でも二日でもこの小屋にいて、雪の消えた草原を丹念に見て歩く方がいい」
 
このくだりを読んで、四半世紀ほど前、新聞に載っていたのを一読、すっと頭に入ってきた清岡卓行氏の四行詩「耳を通じて」を思い出した。
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心がうらぶれたときは音楽を聞くな
空気と水と石ころぐらいしかない所へ
そっと沈黙を食べに行け!遠くから
生きるための言葉が谺してくるから

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実は憶えていたのは前半くらいで、稿を起こすにあたってあらためて調べ、後半を再読することになった。今読めば「遠くから」以下は蛇足に思えるが、年齢を重ねれば感じ方が変わるのは当然である。
 
私は音楽が好きで(音が出る装置が好きなだけかもしれないが)、家に居るときにはほとんど音楽を流しっぱなしにしている「ながら族」である。だが山で音楽を聴きたいと思ったことは一度もない。ウォークマンに始まった音楽の携帯にもまったく馴染めなかった。要するに私にとって音楽は屋内の慰安で、山歩きは屋外での慰安である。
 
再生音楽も山歩きも文明の所産だが、前者が文明から素直に開花した文化なのに対し、後者は否定的に見るところに発しているところが山で音楽を聴きたくない理由に関わっているだろうかと屁理屈を考えてもみたが、結局は、好んで人外境に行ったのに人工の音を聴きたくない、山では様々な天然の音に慰められるから、さらに音楽まで必要としないだけのことかと思う。そして音楽も山もただ慰安で、串田氏ではないがそれに救われることはないとも思っている。
 
山は静謐に限るとは思うものの、私も現代的不感症の例外ではないから、人の集う山小屋にクラッシック音楽が静かに流れているくらいならさほど耳障りにも思わないだろう。しかし昨今耳につく、救済したがっている音楽家による、救済されたがっている聴き手のための幼稚な歌詞を持つ楽曲はどこにいようが耳栓をしたい。 

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