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山村正光さんの『車窓の山旅・中央線から見える山』(実業之日本社)を読んだことが、学生時代以来山歩きから遠ざかっていた私をほとんど十年ぶりに再び山に向かわせるきっかけになったことはこれまでにも色々なところに書いてきた。
 
昨年末(2005)亡くなられた山村さんを偲ぶ会が、さる6月24日、私のロッジで開かれた。ご葬儀の帰りに早くも話題になっていた催しが、それから半年をへて実現したことになる。表現はおかしいかもしれないが、私にとっては思ってもみなかった首尾一貫で、一冊の本が及ぼす奇縁をあらためて思ったのだった。

ご遺族にとっても、出席された生前親交のあった方々にとっても、この半年という月日は長すぎず短すぎずちょうどよかった。きっと世話人をしてくださった方々の配慮もあったのだろうと思う。
 
奥様秀子さんとご長女聖さんを招待し、20人ほどの集まりとなった。ロッジを始めた年に山村さんがおいでくださった際、私の娘と一緒に撮った写真を食堂の中央に置き、ご著書も並べた。お好きだった清酒谷桜の献杯で始まった宴は、人と山を語って倦むことなく夜おそくまで続いた。
 
山村さんに発する人の縁で支えられているような私のロッジだから、出席された方々は以前からの顔見知りばかりだったが、おひとりだけ、『車窓の山旅』で展望図を描かれた藤本一美さんとは初対面だった。
 
私には買った日付を本に書き入れる習慣があって『車窓の山旅』には87年7月8日とある。だから、私としては20近く前から藤本さんを一方的に存じ上げていたのだが、ついにお会いできることになったのは、いわば山村さんによる最後のお引き合わせだったとなろうか。藤本さんらによる、同じ実業之日本社の『展望の山旅』シリーズは私の愛読書でもあった。今や鳥瞰図研究の第一人者である。
 
私の『車窓の山旅』に山村さんの署名をいただいたのは、購入した翌年の6月、そして今回、藤本さんの署名も隣に入った。おふたりの署名が並ぶのにちょうど18年かかったことになる。
 
翌日、参加者の有志が『車窓の山旅』ゆかりの山に登ろうじゃないかと目指したのが中信高原の三峰山だった。梅雨時のさっぱりしない朝方の空模様だったので、展望は期待せずに出かけたのだったが、信州に入り、霧ヶ峰強清水に着くころには、レンゲツツジの朱色に染まる高原の彼方に、日本の屋根と呼ばれる山並みが次々に現れ出した。それらはとりもなおさず『車窓の山旅』に登場する、山村さん曾遊の山々でもあった。三峰山の頂上では、槍穂から白馬岳へと延々と連なる北アルプスの稜線もくっきりと眺められたのだった。山村さんのおかげだと思った。
 
日曜日だというのに三峰山の頂上には誰もいなかった。大森久雄さんや横山厚夫さんら『車窓の山旅』誕生に関わった方々と、展望図を描かれた藤本一美さんの解説で山々の同定を楽しんだ。私にとってなんとそれは贅沢なひとときだったろう。

(2006)

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