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        棧敷山・小棧敷山 2014.7.17


右三段目に写っている深田澤二さんの想い出を少し。深田澤二さんとの山々

今ではおそろしく規模が大きくなって、大半がビジネスに使われているのではないかと思われるヤフーオークションだが、私が利用し始めた2000年初頭ではまだまだ牧歌的で、売り手と買い手がメールでのんきにやり取りをしていた。今ではそんな部分もビジネスライクになって、要するに運営会社がぜったいに損をしないようなシステムになっている。

山岳書に限らず、古本をオークションで手に入れようという人はまだあまりおらず、私はかなり安い値段で多くの本を落札したものだ。利用者が膨大になった今では、相場をそうはずれることもないので、売る方も買う方もあまり面白くなくなってしまった。

ロッジの書棚にある『深田久弥・山の文学全集』(朝日新聞社)も2001年にオークションで落札したものだが、驚いたのは、売り手のYさんからのメールに「この本は深田久弥氏の息子さんの澤二さんに譲ってもらったものです」とあったことである。

茅ヶ岳で久弥氏が病死したときの同行者山村正光さんとはずっと以前からの知り合いだったし、すでにその当時、ロッジ山旅の客人として、久弥氏と親交の深かった横山厚夫さんや大森久雄さんとも面識があったから、久弥氏のことも折々に聴いていたのである。

そんな驚きをメールに書いてYさんに送ったところ、以下のような返事がきた。

本当に奇遇なことですね。

私は現在51才になりますが、澤二さんとは高校(世田谷の日本学園高校)のときに天文部であちらが2年先輩でした。

土曜日には毎週徹夜で流星観測をしたりしていました。

日曜の朝は近くの(歩いて5分)深田家にいって志げ子夫人に朝食を作って貰ったりしていました。

お兄さんの森太郎さんとはお宅が澤二さんの隣なので何回かお会いしたことがあります。

久弥氏本人とは挨拶程度の交流ですが、書斎の九山山房にはいって山の本(現在は国会図書館にあります)をながめていました。

澤二さんとは一緒に山登りもしましたが、最近は私はひざが十分でないため登っていませんが澤二さんはご家族と行っています。

最近は澤二さんとは囲碁をやっています。



Yさんのメールには、そんなことならロッジの本棚に寄贈すべきだった、代金をもらって恐縮ですとも書いてあった。しかし、あらかじめわかりっこないことだからどうしようもない。これ以外にも、本を蒐集しているうちには奇遇としか思えないことがこれまで何度もあった。人間にも本にも運命があるのだと思う。

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実際にお会いする前から上記のような奇縁のあった深田澤二さんのことは横山厚夫さんからかねがね伺ってはいたが、初めてお会いしたのは2005年の暮れ、山村正光さんの葬儀のときで、そんな場面だからあいさつを交わしたくらいのことだった。

親しくお話ができたのはそれから2年半あと、鷲ヶ峰にご一緒したときのことで、横山さんがロッジへ誘ってくださったのが実現したからだった。前々から誘ってくださってはいたのだが、まだ現役の高校教師だっただろうから、平日に休むのはなかなか難しかったのだと思う。前述の、オークションで落札した全集のことを話したら覚えていて、家に余分があったのでYさんに譲ったということだった。

お父上の久弥氏の雰囲気をよく受け継いでいるのが澤二さんだと横山さんから聞いていたので、久弥氏のことを知らない私は、逆に澤二さんから父君の人となりを想像したりもした。

春風駘蕩というか、物言いも動作もゆったりとしていて、山でも一番後ろをゆっくりと遅れてついてくるのが常だった。そんなのんびりとした一例として、2015年初夏の物見石山の帰りがけ、麓の岳の湯温泉でひと風呂浴びたときのエピソードを紹介しよう。

私はカラスがカラスの行水をしたくらい風呂に入るのは早いが、私がさっとひと風呂浴びて(むろんすべての作業は済ませて、自分ではゆっくりしたつもり)脱衣所へ出ようしたら、入れ替わりに澤二さんが入ってきた。「えっ、長沢さん、もう出るんですか」「えっ、澤二さん、これから入るの」。要するに、私がひと風呂浴びている間に、まだ澤二さんは服を脱ぐ作業をしていたわけである。いくら私の風呂が早いといってもこれはない。

毎年一度は山歩きをご一緒していたのが、2016年のゼブラ山以来、しばらく間が空いてしまったのは、体調を少々崩したからだと聞いていた。しかし2019年の正月には、今年はぜひロッジへ行きますよと書かれた年賀状をいただいていた。

横山さんから澤二さんが亡くなったという連絡が入ったのはその年賀状を読んで間もなくだった。正月2日に体調を崩して入院され、4日にお亡くなりになったという。寝耳に水とはこのことだった。

ご葬儀は13日で、私も参列した。まだ70歳を過ぎたばかりだったとはあまりにも早い。そのゆったりとした立ち居振る舞いのごとく、この世にもっとゆっくりと滞在されたらよかったのに。

(2020.5) 

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