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         七面山 2014.6.4-5



妙な人工物がなければいい山なのにという山はたくさんあって、赤岳なんぞはその代表みたいな山だが、これが宗教的な施設だと話が違ってくる。なんで話が違ってくるのかと問われても答えづらいが、山には敬虔な思いを育む何かがあるからだろう。

高野山や比叡山から金剛峯寺や延暦寺がなくなったらただの山になってしまう。七面山だってそうで、敬慎院がなくなってしまったら、ただの険しい山になってしまう。もっとも、こういったものも新しくてはダメで、やはり場所になじむには相当な年数がかかる。

敬慎院に泊ると夜はお勤めに参加しなければならない。火事の心配があるからかこのときの本堂の灯りは電灯だが、これが蝋燭だけだったら迫力があるのになあと思う。

陰翳礼賛ではないが、夜が明るくなり過ぎた。京都では、舞妓が真昼間に白粉を塗った顔で出歩いているのを観光客が写真に撮ったりしているが、あれを美しいなんてとんでもない話で、陽光の下では化け物の一種である。あれは夜、月明りや蝋燭の灯りで見たときに美しく見えるようにするための仕掛けなのである。

(2020.5) 

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