右の小さい画像にマウスを置くとメインの画像と入れ替わります   

           雁ヶ腹摺山 2010.1.4



『ヤマケイJOY』という雑誌の春号でいくつかの山のガイド文を担当することになった。そのひとつが雁ヶ腹摺山で、コースの指定が、大峠から登って金山鉱泉に下るというものだった。

雁ヶ腹摺山にはこの20年前に一度大峠から登っただけで、金山鉱泉からの径は知らない。行かずに書こうかなと不埒な考えも頭に浮かんだが、さすがにそれではと考え直し、新年早々取材に出かけることにしたのである。なにせ締切が13日だというのだからぎりぎりである。

大峠に車道が通じてからは、金山鉱泉からの往年のルートで登る人はごくまれになってしまった雁ヶ腹摺山である。大峠からなら標高差300mで、たった1時間で登れる山が、金山鉱泉からならその4倍、標高差1200mも登らなければならないのだからさもありなんと思う。

ともあれその企てに、この山にはまだ登ったことがないというたわらさんが乗ったわけである。大峠への車道が通行止めの冬ならば、嫌でも金山から登るしかないのであきらめもつこうというものである。

長丁場ゆえ未明に大泉を出発、冷え込んだ土沢沿いの道を歩き出したのは、深い谷間にはまだ日も射さぬ7時だった。そして頂上に着いたのは11時。麓から見ても、大菩薩の主稜線から見ても、図体のでかい山だが、それを身をもって知った。

今では500円札の富士といっても知る人は中高年以上だけだが、北側が真っ青な空であるにもかかわらず、肝心の南側の空には雲が湧いて、その500円札の富士がお出ましにならないうえに、昼飯を食べているうちには寒気が一段と厳しくなってきた。

これは駄目だと下りだそうとしたとき、突然空が開いて、わずかではあるが、富士が頭を出した。そこで、しばし腰を落ち着けて雲の行方を眺めることにした。

結局、はかばかしい眺めは得られないまま下る。今日はひとりの登山者にも出会わないままかと思っていたら、下りだしてまもなく、10人くらいのパーティが登ってきた。聞けば夜行で京都から来たのだという。登山後に金山鉱泉に泊まるのだとか。なるほど、新年と富士山の組み合わせは、富士の近隣に住む我々が思っている以上に、富士山から遠い地域の日本人を引きつけてやまないのだなあと感じ入った。

帰りには姥子山に立ち寄ったが、富士山方面にしか展望のない雁ヶ腹摺山よりむしろ展望にすぐれた頂上で(最後の写真)、今度はこの山だけを目標に登ってみようと一度木曜山行で計画したことがあったが、雨で中止となり、それきりとなっている。

(2015.9) 

戻る