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          御正体山 2009.12.4



大学1年の終わり、1978年の早春に御正体山にワンダーフォーゲル部の仲間と初めて登った。頂上付近にテントを張って、翌日は山中湖へ抜ける予定だったが、寝坊して面倒になり鹿留川に下ってしまった。

それ以来、御正体山へは何度も登ったが、鹿留川(池の平)への径は歩いていなかった。むろん記憶は皆無に等しい。皇太子がこのルートで登ったとき整備もされたと聞いたので、この年の計画に入れたのだったが、珍しくこのときはひと月前に犬のクリオを連れて下見で登っていた。調査というよりは、まずひとりだけで登りたかったというのが正しい。

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雨で翌日に順延とした木曜山行だった。順延した甲斐があって、すばらしい新雪の富士を間近に望むことができた。

暗いうちに八ヶ岳を出た一行は河口湖で渡辺玉枝さんと合流して都留は鹿留川へと入っていった。この川沿いの林道が冬の閉鎖になる直前だった。

狭い空は真っ青の快晴だが、山の西側の登山道にはいつまでたっても日が射さない。ようやく日が射し始めるころには、背後に大きく富士がせりあがってきていた。

この地で即身成仏をとげたという妙心上人のお堂跡は今や礎石が残るのみの小広い平地で、葉の落ちたこの季節ではかなり展望もきく。長い休憩とした。

お堂跡あたりから自然林が多くなって、頂稜に出ると圧巻となる。ブナの大木を縫うように続く径は、すでに頂稜を歩いているというのに頂上まで長く続き、この山の大きさを物語る。

広い頂上には誰もいなかった。皇太子が登山したときに置かれた立派なテーブルと椅子は、それから5年たっているというのに、この厳しい露天にあってほとんど古びていない。そのテーブルに数々のごちそうが並べられた。

長く過ごした都留、富士吉田、河口湖、走りなれた道、そして飽きるほど見たそこからの富士、もう遠い出来事になった。帰りの車を運転しながら、私個人の感慨は尽きることはなかった。

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御正体山にはクリオと4度登った。クリオが死んだすぐあとには、この山で撮ったクリオの写真を持って渡辺さんとふたりで白井平から登った。最後の写真で私が覗き込んでいる頂上の祠の中に置いてきたその写真はその1年後に登ったときにはまだ残っていたが、今ではもう朽ちていることだろう。


                           2011.10.20 長沢撮影

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