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      甲州高尾山(宮宕山) 2008.12.28



泉久恵さんと國見ゆみ子さんは年末年始を私のロッジで過ごすのが今では毎年の恒例になっているが、これはその初期の頃である。それに横山夫妻が加わった。たまたまその話を聞いたたわらさんが高尾山には登ったことがなかったので参加することになったのだったと思う。冬休みに入っていた娘も同行した。

大滝不動までは車が入るから、あとは車道をぶらぶらと歩いて行くだけである。この山では何度も山火事が起こっていて、今の大滝不動も火事で焼けたのちの再建だというから、よくよく火の神には魅入られたようで、そのおかげと言っては不謹慎だが、稜線からの展望はすこぶる良い。火事の後に植えられているのは檜のようだったが、この展望もそれらが幼木のうちだけではある。

この頃、国土地理院の地形図が改訂して山名表記が変わった。高尾山が宮宕山になり、宮宕山は大滝山になり、その中間にそれまで山名表記のなかった棚横手山があらたに加わった。つまり高尾山の名前は地形図から消えたことになる。しかし道標は旧来のままなのだから、両方見た人はとまどうことだろう。下山後にその話を原茂園の古屋学而さんにしたら、地元でも話題になっているということだった。

古屋さんは日本山岳会の山梨支部長を長く務めていたので、会員の横山さんはじめこの日の面々とは古くから付き合いがあった。せっかく高尾山に登ったのだからと帰りがけに立ち寄ったのだった。ぶどうの季節には毎年のようにお客さんを原茂園にお連れして、そのたびに古屋さんにはたくさんの試食を出していただいたり、お土産をいただいたりしたのだが、残念ながら去年亡くなられてしまった。

このあと山名について少し詳しく調べると、この宮宕山というのが本来の名前で、そこに高尾山と入れたのがそもそもの間違いだったという。地元の菱山地区で国土地理院にずっと抗議をしていたのが実現してやっと山名表記が変わったのだというのである。

しかし最初におぼえた山名というのはなかなか頭の中で簡単には入れ替わらないものだし、一度流通してしまった地名を変えるのは容易なことではない。要するに地名の扱いは慎重にしなければ取り返しがつかないというのが結論となるだろう。

(2015.3)

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