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          身延山 2006.2.17



信仰心などは持ち合わせてはいないが、人の営みとしての宗教には興味がある。無信心な私でも、信仰心が造り出した建築物などを見て何がしか敬虔な気分になるのは、滅びてきた無数の人間への鎮魂の思いなのかもしれない。

それらの建築物は古くなければいけない。この木曜山行のときにはまだ建立予定地と書かれた杭が立っているだけだった場所には今ではすでに立派な五重塔が出現しているが、これなどもありがたみが出てくるのは100年はかかるということになろうか。

その意味では身延山を歩いて、より心惹かれるのは、一度焼けたのち建て直した豪壮な本堂などよりは、たとえば丈六堂の前にある誰のものともわからないおびただしい墓石群とかである。

予報が悪ければすぐに中止にしてしまう木曜山行だが、傘をさして歩ける道があることと、帰りにロープウェイを使えること、そしてそんな天気がなお情趣を深める山だということで、雨もようを承知で出かけたのだったと覚えている。

(2015.1) 木曜山行の報告へ

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