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『山と溪谷』2001年9月号に書いたものです。5月に行われた「全国植樹祭」の会場をたまたま見学して、そのひどさに度肝を抜かれました。山の奥に会場を造って「植樹祭」をする矛盾。私なんぞがこんなことを書いても、この愚行はこれからもえんえんと毎年全国を回るようです。

 「植樹祭」を憂う
                  
中央道須玉インターから増富温泉を経て金山峠に向かう県道は、人気の高い日本百名山、瑞牆山や金峰山に向かうとき通る道で、利用した人も多いだろう。この道は、塩川ダムの建設や県北部山岳地帯を横断する観光林道クリスタルラインの整備で、以前に比べると随分走りやすい道となった。人が実際に暮らしている部分の道路が良くなるのは、それがたとえ山を崩して出来たものであれ、よそ者のとやかく言うことではないかも知れないし、我々がその恩恵を受けることも多い。しかし、山の奥の奥、人の生活などまったくなかったところに「植樹祭」をするために新たに道を通し、会場を造るというのはどうだろう。

ニュースで、天皇をお迎えして盛大に取り行われた「第五十二回全国植樹祭」の模様が放映されるのを見た。素晴らしい好天のもと、七千五百もの人たちが集った。背景は峨々たる瑞牆山の岩峰群。山を良く知らない人たちは、テレビの画面の風景に、日本にもこんな場所があるのだなあと感心しただろう。

たしかに瑞牆山は太古よりここにあった。しかし、この山をこれだけ美しく眺められる一万人もの人が入れる広場はなかった。「植樹祭」のために造られたのである。

会場をその一週間後、実際に見にいった。

久しぶりに通る県道は、新たに橋やトンネルで整備され、さらに運転が楽になった。この道が、塩川ダムが竣工したあと、さらに整備されて良くなっていったのも「植樹祭」と無縁ではなかろう。

増富温泉街を抜けて、本谷川に沿って川面すれすれに続く車道は、渓流と樹木の実に美しいところ。この道もいつの間にか拡幅されている。同行者が「車道を拡げる余裕があるなら、歩道をこそ整備すべきだ」と言う。全くその通り。歩いてこそ味わえる景色である。山登りの行き帰りに車を使ってばかりの私が言うのは心苦しいかぎりだが、もう車の便利もほどほどにせねばと思う。


真新しい、丸太で造ったガードレール。舗装して間もない黒々とした路面に白線がひときわ白い。カーブミラーには屋根までついている。日曜日とあって、瑞牆山荘の前にはたくさんの車。前にはなかった恐ろしく立派な駐車場が新しくできている。

瑞牆山荘から少し黒森側へ下ったところから植樹祭会場への道が分かれる。「瑞牆の森」と書かれた案内板が立っている。きっとそんな名前が付けられるだろうなあと思っていたので苦笑する。

さらに道は良くなる。これなら大型バスだろうが通行にいささかの支障もない。何という立派な道だろう。道の脇には木材チップが敷き詰められ、遊歩道あり東屋あり、富士見平への新道まで出来ている。そして、天鳥川を鉄橋で渡り、森を縫って続くハイウェイの先に現れたのは瑞牆山を眼前に望む巨大な空間だった。


数万人でも入るだろう芝の広場。ショッピングセンターのそれのような駐車場。山梨県のホームページを見ると、この会場には樹木の伐採が不要な県有林の無立木地のみを利用したとある。よくもこんな広大な無立木地がうまい具合にあったものだ。西にある横尾山あたりから、この瑞牆山の森にぽっかりと空いた穴を苦々しく見てきてはいたが、実際にその中に立って、無残さに茫然としてしまった。

「甲斐」の名をやっと入れてもらった「秩父多摩甲斐国立公園」の、ここは一木一草とておろそかに扱ってはならない特別地域のはず。そこに、あろうことか「植樹祭」という名目で、しかも行政によって、これだけの施設が造られているのである。考えれば考えるほどわけがわからない。国土の緑化や保全の推進が「植樹祭」の理念ならば、山を崩し、木を切って、山の中にそのための施設を新たに設けるのは矛盾以外のなにものでもない。

今回で二巡目に入った「植樹祭」は、これからまた毎年全国各県を回るという。もうこれからは街中の既存の施設で催して欲しい。もっと予算の使い道があるはずだ。さて、次回の山形県ではどうか。

昭和の始め、今回の植樹祭会場のすぐ北、不動沢沿いに延長中だった林道を嘆じて、原全教は書いている。

「これがあたりの森林全滅の先驅であると思へば、そゞろに寂しくなつてしまふ。この邊は甲斐の國として、最も多角的な、そして整備した自然美の地であるから、當局はなにを措いても保護の天職を思はなければならない」(奥秩父・續篇)。

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