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森林書房『遊歩百山』12号に書いたものです。この本に書いている頃は、河口湖町に住んでいました。山梨県中の日帰りできそうな山は歩きましたが、まだまだ知らない場所も多く、篠井山のある富士川下流域の山山はまだなじみが薄いのです。雰囲気が、僕の思う「甲斐の山」でなく「駿河の山」という感じがするかもしれません。それと、大月以東の山も登っていないところが多い。これは車を移動の手段にするしかない僕にとっては、駐車場所に苦労するからです。狭い道が多いですから。

『遊歩百山』はこの号を最後に休刊となってしまいました。13号の予定はあって、すでに頼まれていた『金峰山』の紀行を書いて送ってあったのですが、幻となってしまいました。(山旅は赤ん坊背負って金峰山の項に転載しました)。

                    篠井山

河口湖在住の私にとって、車を使いさえすれば、甲斐の山々は南アル
プスの一部を除いて、充分日帰りの射程距離にあるといっても過言では
ないが、甲府盆地をぐるりと囲んだ、笛吹川と釜無川の水源となる山々
で遊んでばかりいて、それらふたつの川が合わさった富士川の下流域、い
わゆる峡南地方の山々とは、アプローチにそう大差ないというのに縁が
結べずにいた。これではいかんと、まず十枚山に登ったのが92年4月
だった。そのとき、南部町の国道52号を南下する車の前に立ちはだ
かった、実に素晴らしい根張りの山があった。これが、名前だけは旧知
の篠井山だった。十枚山からも、見下ろす標高とはいえ、右肩に月夜の
段を従えた膨大なマッスは、とても1400メートルに満たない山とは思
えなかった。

登ろう登ろうと思っているうちに2年たってしまった。南部町や富沢
町は甲斐というよりはむしろ駿河の雰囲気がする。よく手入れのされた
杉や檜の山々や家並みがそうだし、茶が特産品だったりもする。標高も
県内でもっとも低く、気候も温暖だ。ミツマタの花と香りを知ったのも
十枚山の登山口だった。この地方の山が、何となく私の中にある甲斐の
山のイメージにそぐわなかったのが、腰を重くしていた一因かもしれな
い。しかし、いよいよその日はやってきた。遊ばせて下さい篠井山。

さて、最近のガイドの情報によると、篠井山の登山は、富沢町から月
夜の段の東を経由して南部町に抜ける、林道剣抜大洞線の奥山グリーン
ロッジからが主流で、旧来の御堂からの登山道は、荒れているだの、き
ついだのと書かれて、降り専用になっているようだ。確かに標高1000
メートルを越す一気登りだから多少はきつかろうが、冬はその位は標高
を稼がないと、ビールの味に影響がでる。しかも「荒れている」だの
「廃道」だの「訪れる人も稀な」だの「好事家向きの」などという言葉
に不気味に反応してしまう私の性癖ときている。御堂からの往復に決定
する。付き合わされる妻は、いい迷惑かもしれないが、私が「物好き」
だからこそ、あなたはここにいるのだよ。ま、お互い様か。

マイカーを使ってのアプローチでは、最短距離よりも最短時間で登山
口に到着することを考える。有料道路を利用したり、混む道を避けたり
甲府盆地では大体のコースは頭に入っているのだが、峡南地方はよくわ
からない。大ざっぱな地図だと、国道139号線から富士宮道路に入り
北山インターから先年国道に昇格した469号経由で国道52号を北上
して富沢町入りするのが早道に思えた。ところがどっこい、この469
号が国道とは名ばかりのとんでもないくわせものだった。山越え谷越え
舗装した林道程度の道で、時間を大幅にロスしてしまった。素直に本栖
湖から国道300号を行けばよかったのである。おまけに古い道路地図
に載っていないバイパスで富沢町を通過してしまって、後戻りをするお
そまつ。

御堂の最奥の民家を右に見送ると道はぐっと狭くなってT字型に他の
道にぶつかる。そこに富沢町の簡易水道施設があって、その前が登山口
になっている。たまたま見回りに来ていた役場の人に断って、車を置か
せてもらう。しかし、せいぜい2、3台分しかスペースはない。時すでに
11時。いかにも遅い登山開始である。こうなったら意地でも登る。

登山口から急登わずかで、緩やかな杉の植林地に入り、大きくジグザ
グをきりながらやがて尾根に乗る。植林が途切れて、自然林になってき
た頃、スズ竹の切り開きが右下の沢に下っていた。なんの道標もないの
で尾根通しにしばらく登ってみたが、どうも突然険しくなり過ぎるので
元に戻ってさっきの切り開きを降った。果たしてこれが正規のルートで
その沢が水呑沢だった。沢筋にはまだたっぷりと雪を残していた。

この沢に降りる分岐と、沢を渡ってすぐ北の小尾根に乗るまでが要注
意地点だ。私達はこの日の帰り、ついさっき通った径にもかかわらず、
少し迷ったので、徳間方面から登って、御堂に降りる人はなおさらだと
思う。

水呑沢からは、急登につぐ急登である。そろそろ頂上が近くなって傾
斜が緩やかになってきた頃から、木々が白銀の霧氷をまといはじめた。
篠井山が、多分、今日私達ふたりだけであろう訪問者を木々を着飾らせて
精一杯もてなしてくれているようだ。径は北峰のすぐ南に飛び出した。

建物が見える北峰にまず登ってみる。麓の各集落が祭っているのであろ
うお堂が3棟。多分それぞれの集落の方向に表口を向けて建っているの
ではなかろうか。展望はないので、早々に辞して、南峰に向かう。最低
鞍部には東から沢が一直線に突き上げていて、ほとんど真下に御堂の集
落が見える。そこからわずかで、三角点のある南峰に着いた。富士川や
その支流の福士川、富沢町の中心街が箱庭のように見える。遠く駿河湾
はうっすらと見えるようだが、定かではない。富士山の方角は黒雲が垂
れ込めていたが、昼食用の湯を沸かすうち、みるみるうちにその全容を
現した。日常、富士山を眺め暮らしている身なのに、甲斐のどの山に
登っても、つい富士山を捜している自分に失笑してしまう。お釈迦様の
手の中で遊んでいる孫悟空みたいなものだろうか。ちなみに富沢町は、
河口湖町の御坂峠、白州町の花水坂とならんで甲州富士見三景のひとつ
西行坂のある所で、富士の眺めには定評がある。

のんびりしていたら3時になってしまった。日が入ると杉や檜の林は
一気に暗くなってしまう。御堂までの1000メートルを駆け降った。誰ひと
り会わない静かな山旅だった。

1994年3月11日(金)

御堂登山口(1時間20分)水呑沢分岐(10分)水呑沢(1時間5
分)篠井山北峰(10分)篠井山南峰(1時間40分)御堂登山口

二万五千分の一地形図=篠井山

アドバイス

私はたまたま冬に登ったが、標高1000メートル以上は完全な自然林が
残っており、新緑や紅葉もさぞ素晴らしかろうと思う。今回、登山開始
が遅くなって、あわてて登ったので、コースタイムは多少短くなってい
ると思う。マイカー以外では、身延線の井出駅からタクシーとなるだろ
う。

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