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           滑沢山(11月4日)

数年前の二月の終わりに、三富村の秩父往還(国道一四○)から白沢沿いに登って、倉掛山を目指したことがあった。登るにつれ深くなる雪には当然踏み跡とてなく、しかも、春まだ遠いというのに暑い日で、斎木林道華やかりし頃活躍したのだろう古い外国製のトラックがうち捨てられた、防火帯の通る白沢峠の雪原に大汗をかいて辿り着いたときには、精魂尽き果て、そこで終わりにしてしまった。

その年の五月の終わり、新緑がもっとも美しい時季に再挑戦した。この時は、前回と同じ計画では芸がないので、タクシーを奮発した大縦走を企てたのである。即ち、牧丘町窪平の商工会の駐車場に車を置き、その隣の牧丘タクシーに乗って、白沢峠入口まで行く。白沢峠からは倉掛山を越えて一気に南下、三窪高原から西へ向かい、鈴庫山を経て、坂脇峠。再び登って滑沢山、扇山を越えて、窪平の自分の車へ戻るというものだった。

これぞ神をも恐れぬ悪魔の計画というべきで、日頃、一日一山主義を標榜する僕にとっては、はなはだしい変節と言わねばならなかったし、一日でこなす距離ではないことなど、地図を見れば一目瞭然である。

天罰てきめん。鈴庫山を何とか越え、坂脇峠に辿り着いた時には、もう、再び滑沢山に登りなおす気力もなければ、時間もなくなっていた。長い林道歩きをこなして秩父往還に出たものの、バスは数時間待たねばならない。仕方なく、電話のある三富村役場まで歩いてタクシーを呼び、窪平に戻った。ところが今度は電話ボックスに地図を忘れたことに気付き、またそこまで自分の車で戻る羽目になった。

だが、当初の計画は遂行できず、タクシー代もかさんだが、美しい五月の山を堪能できた収穫は大といってよかった。

滑沢山は、そのずっと以前、茗溪堂の『静かなる山』で名前と場所を知って以来の懸案の山だったのだが、一気に懸案を片付けてしまおうというこの悪魔の計画が破綻したことにより、そのまま懸案として残ってしまったのだった。

さて、滑沢山に登るからには、同じく懸案の扇山も合わせて歩きたいのが人情というもの。だが、自家用車利用では、これがむつかしい。窪平に車を置いて、タクシーを使えばいいのだが、半日の藪山歩きに大枚をはたくのが何となくもったいなく思われ、実現できぬまま日がたって、少し忘れ気味になっていた。

前年の晩秋に山村正光さんの一行が茶店に泊まったとき、小笠原かず子さんに今年の忘年山行はどこでするのか聞いてみたら、滑沢山だという答えだった。山村さんの古希祝いの淵ヶ沢山といい、さすがに選ぶ山がひねくれている。そんなことで、久しく頭の隅にしまわれていた滑沢山の名前が再びちらちらするようになった。


例年十月中旬から十一月にかけて、御坂峠の紅葉も盛りを迎え、店も秋の書き入れ時となる。今年の紅葉は色付きが良くなく、いい年を知っている僕たちには、とても観賞に耐えるものではなかったが、そんなことにおかまいなく、その時期にはちゃんと観光客はやってくる。

疲れがたまったのか、天気の良い休日だというのに朝から身体の調子が良くなかった。なんたることだ、と自分に腹をたてながらも、とりあえず、行く先も定まらないまま峠から甲府盆地へと下りていった。どうせ人のいないような山に行くことになるのに決まっているので、クリオも車に乗せる。

御坂町の金川の河原にできた公園で朝食を食べているうちに、滑沢山が頭に浮かんだ。遠くなく、楽そうで、しかもまだ登っていない山となるとそう多くない。この場合は当然坂脇峠からのピストンということになる。

塩山から青梅街道に入ってまもなく、坂脇峠へは左へそれ、竹森川に沿った道を上がっていく。ここは旧玉宮村である。穏やかに高度を上げる斜面は、三方を山に囲まれているわりには、南の盆地側が開けていて、日当り良く、解放感がある。以前、春の高芝山に登る際、初めてこの道を車で通ったときは梅が満開で、いかにも平和な山里の風情を好ましく思った。

最後の集落の平沢をあとにすると林道となる。といっても、きれいな舗装路で、車は順調に高度を上げる。山奥に行くほど道が良くなるところを県内で何ヵ所も知っているが、不思議な現象である。山奥で人知れず税金が使われていて、そのおかげで僕たちは楽に山にアプローチできる。喜べばいいのか、悲しめばいいのか。「ええい、女々しい。とやかく言うなら車で来るな。車で来るなら素直に喜べ。」そんな声が聞こえてきそうだ。ごもっとも。でも自分の中のそんな矛盾を苦しく感じることがある。

途中、高芝山に登ったときに使った林道を分ける。そして、坂脇峠からも僕の地図にない林道が分かれている。耕して天に至る日本の伝統はこんなところに生きているのか。道作って天に至る。

坂脇峠へ車を止めて、クリオを放す。いつものようにすぐ消える。林道がどこに延びているのかわからないので、忠実に尾根を辿ることにしたが、結局二度林道と出合うことになった。

滑沢山三角点につながる一二九○圏峰に辿り着くと、西側の植林がまだ若く、展望がひらけた。とりあえず三角点まで行ってみる。一旦南に下ると藪っぽさも消え、おだやかな雑木林の中を少し登り返すと三角点がポツンとあった。その上の木に、県内の藪山でよく見かける、青い字の山名と赤い字の標高が白塗りのブリキ板に書かれた山名標が打ちつけられている。こんな山に登ってくる人がこの標示を見て喜ぶだろうか。余計なお世話である。三角点ひとつあればよろしい。

何か動物でもいたのか、遠くでクリオがさかんに吠えている。渓は三角点の横に降ろしたベビーキャリアに座ったまま寝ている。静かな秋の山である。

眺めがないので、先ほどの場所まで戻って昼食とした。草むらに座ると眺めが妨げられるくらいには若木が育っている。立ち上がれば、雁坂嶺から甲武信ヶ岳にかけての奥秩父主稜や、黒金山、乾徳山、小楢山がぐるりと見渡せる。曾遊の山々のご機嫌を伺う。

そんな山々を眺めながらパンをかじる。クリオもいつの間にかかたわらにお座りをしておすそわけをねだる。渓がそれを見て喜ぶ。どこの家庭の休日にでもある光景が、我が家の場合はこんな藪山の上にある。

帰りは、尾根を巻いてきた林道をぶらぶら歩いて、さらに楽をした。こんな山登りもたまにはいい。今度こそは扇山まで歩こう。いつのことになるやら。

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