七里岩台地から甲斐駒ヶ岳 二十代から三十代の前半にかけて、通いつめた山のひとつが甲斐駒だった。私はこの山で岩や氷のクライミングに親しんだ。記憶に残る野心的な試みのひとつは、一日で黒戸尾根から北岳へ、というもので、写真と山で当時売り出し中の岡田昇がパートナーだった。甲斐駒は赤石沢の左ルンゼ、北岳はもちろんバットレスから登頂という、てんこ盛りである。 もう30年近くも前のこと、日照時間の長い夏至の時季、日付が変わると同時に駒ヶ岳神社を出発。前半は順調に運んだものの大樺沢の登りで季節外れの雪に遭い、岩はあきらめて八本歯経由で肩ノ小屋に到着したのは出発から19時間後。限界の二文字が鼻先に突きつけられていた。それはそれで一途に追い求めた試練にはちがいなかったが、今の私にはもっと分相応で魅力的なプランがあった。それが釜無川の対岸、七里岩台地からの山頂往復である。 七里岩台地は、かつて東京からの旅人にとっては甲斐駒の眺めよりもスイッチバックの丘として記憶されている。喘ぐような汽笛の音と腹の底に響く震動、石炭の煤の匂いに、束縛をしばし解かれた浮き立つ気持ちを重ね合わせる高校生の私がそこにいた。スイッチバックを折り返せば、車窓にひらける南アルプスの山々。釜無川に落ち込む大空間と向き合う遥かな高みへとつづく一筋の道をたどる自身の姿を夢想しながら、長坂駅近くの安宿で落ち着かぬ夜をひとり過ごしたのは、長雨のつづく10月初めのことだった。 その日だけは晴れ間が現れるとの予報を頼りに未明の4時宿を出ると、果たして雲間から月明かりがもれていた。中央本線の高架をくぐり、台地からゆるやかに県道を下って深沢川を横切り、登り返すように山の鼻を回りこんで台地の縁を釜無川の谷底へと下っていく。闇の中から聞こえる鹿の鋭い叫び声に何度か驚かされるほかは、行き交う車もない。1時間ほどで花水の集落に出て、釜無川の流れに架かる橋を渡る。標高560メートルは今回の最低地点である。 台ヶ原宿の面影 登り返せば旧甲州街道台ヶ原宿。右に見覚えのある「七賢」の蔵元が建っている。日向山登山の帰り、寺田政晴、遠藤甲太の両氏と私の酔っ払い三人組が、長沢さんのロッジで飲む酒の品定めに立ち寄ったのは、4年前の秋だった。面白がって片っ端から試飲したあとで「ぼくは吟醸香が苦手でねえ」なんて遠藤氏がうれしそうに話していたのが、昨日のように思い起こされる。 旧街道が20号と合流した先で竹宇への道が分かれる。いつか夜は明けはなたれ、行く手には絵のような田園風景の向こうに雨上がりのキャップクラウドをたなびかせて黒戸尾根が悠然とそびえている。青みを帯びてきた空をバックに、さあ来いっと言わんばかりである。 6時過ぎ、神社入り口の駐車場に到着。身支度を整え尾白川に架かる橋を渡れば、まずは小手調べのような十二曲の登りだ。あたりの林床は、かつて深い笹で覆われていたが、今はほとんど枯死し、すっかり風通しがよくなった。黒戸尾根を長いと感じるのは、これから尾根の背に出て前屏風ノ頭までの序盤の登りだ。山腹の崩落が進んで、粥餅石の水場を通らないように道がつけ変わり、行程が単調になってしまったのもその一因だろう。修験者の祈祷所でもある粥餅石をエスケープするとは、信仰登山も衰退したものである。 復路の終盤で夜になるのは避けたかったので、気を入れて歩いていると、背後に気配があってトレランの登山者が追い越していった。すぐに姿が見えなくなったから、けっこうなペースである。この尾根も近年トレランの挑戦対象として山を知らないアスリートからも注目されるようになり、そのトップクラスは駒ヶ岳神社から山頂までネットタイムで2時間16分という驚異的レベルに達している。 退屈な樹林帯の登りも前屏風ノ頭付近で終わりを告げ、刃渡りの岩稜から次々に現れる鎖や梯子を越えていくのがコースの醍醐味でもある。とはいえ、手足を使う登りはリズムの乱れも手伝って楽なものではない。黒戸山を越えて9時過ぎ、五合目に到着。正午までに頂上に立つ見通しがついた。 気をよくして腹ごしらえもそこそこに、屏風岩の梯子、七丈下の鎖場と高度を上げる。七丈小屋を過ぎると空は明るさを増し、日を浴びて黄金色に輝くダケカンバ林に迎えられる。目の覚めるような点描画の世界からハイマツ帯に抜け出ると、雲間に突き出た八丈鳥居のバルコニー。釜無川の谷は雲海に沈み、波濤に浮かぶ小島のように八ヶ岳や北アルプスがその頂稜をのぞかせている。 八丈鳥居から仰ぐ甲斐駒の山頂部 コース終盤の岩場地帯が終わる付近で、出だしに私を追い越していったトレランの若者が下って来るのに出会った。「あと少しですよ」と笑顔で声を掛けられる。息も絶え絶えな白髪頭も、どうやら同類扱いされているらしく、まんざら悪い気はしない。彼との時間差は30分前後だろう。思わぬ元気をもらい、11時過ぎ、北沢峠方面からの登山者で賑わう山頂に到着。 思ったより早く山頂を踏めたし、膝の故障を抱えてもいたから、復路は時間をかけて下るつもりだった。そしてたしかに笹ノ平あたりまではのらりくらり下っていた。状況が一変したのは、やっかいな先行者を追い越してからだった。 鈴の音は少し前から聞こえていた。私は静かなほうがよいので、当人から離れようと膝を庇いながら駆け下り始めたが、鈴の音は執拗についてくる。彼がペースを上げたのは明らかだった。大人気ないとは思ったが、いつか私もムキになっていた。勢い余って神社も素通り、白州中学校のあたりまでノンストップで歩いてしまった。 のんびりマイペースで山を下りたかったのに、結果的には頂上から神社まで3時間もかかっていない。後味の悪さが残る下山だったが、おかげで日はまだ高く、ゆとりを持って今日の終盤を迎えられるのはありがたい。 幹線に沿って市街化が進む台ヶ原から釜無川を対岸に渡れば、時が止まったような花水の集落。のどかな癒されるそのたたずまい、西日に伸びる長い影、そして快い疲労感。一日の余韻にひたりながら、ゆるゆると七里岩台地へ上る車道をたどった。 (2009・10・4) 山頂から早川尾根ごしに眺めた北岳 その1 伊豆大川から天城山 その2 地蔵尾根から仙丈ヶ岳 その3 七里岩台地から甲斐駒ヶ岳 |