| たかが足場切り、されど… ピッケルのシャフトが木製から合成に変わって久しい。シャフトの素材が変われば、それにともなってピッケルの使い方も変わるというものでもない。強いて言えば、強度に優れた合成シャフトは、雪上のビレイポイントとして使うとき、木製のようにシャフト断面の長径に荷重されるように配慮する必要がなくなった程度のことだろう。 むしろ氷雪技術に大きな影響を与えたのは、シャフトの素材ではなく長さの方だった。シャフトの短いピッケルは、急峻な氷雪壁では扱いやすいが、それがいつの間にか一般の登山者の間にも広まり、歩いて登る雪山にも、このような杖にもならないピッケルを携行することに何の疑問ももたれなくなった。装備の軽量化と靴やアイゼンといった足回りの改良が、その傾向を助長したことも確かだろう。 このために、技術以前といってもよい基本的なピッケルとフットワークのコンビネーション動作が、今やすっかり忘れ去られようとしている。氷雪面を斜登行する場面を思い浮かべてほしい。登山者が不安定な体勢に置かれるのは、谷側の足が前に踏み出されている時である。そのためピッケルは山側に突いて身体を支える。次の動作で山側の足が前に踏み出される。体勢は安定するから、ここでピッケルを引き抜き、腕を伸ばして進行方向に打ち込む。一連の動作は歩行時の足と腕の自然な動きの延長線上にある。おのずとピッケルは二歩に一回突かれることになり、歩幅はシャフトの長さによって決まる。 当然のことだが、これはシャフトが短いと相当な急斜面でないかぎりほとんどできないし、無理にやろうとすれば体勢が傾いてバランスを失う。だからであろうか、それともことさら取り上げる価値もないのか、最近では山の雑誌や専門書もピッケルを杖として使うときの基本動作を無視しているようにみえる。 しかし自然というのは、ひと筋縄ではいかないものである。不安定な雪質に遭遇することもあれば、装備が軽量化されているとはいえ、荷が軽いときばかりではない。そんなとき、行動のよりどころになるのは、こうした基本動作への理解と信頼ではないのか。 前置きが長くなったが、もうひとつ忘れ去られようとしている技術のひとつにピッケルによる足場切り、ステップカッティングがある。この技術は、今やアイスクライミングのような限定された場面で、かろうじて命脈をつないでいるに過ぎない。 鋲靴や原始的なスパイクで果敢な登山が行われていたアルプスの黄金時代にあっては、足場切りの技術と長時間にわたって足場を刻みつづける体力こそ、登山家の力量を決定付けるものだった。ウィンパー一行をリードしたミシェル・クロが、北壁から難攻不落のゼクランに初登頂を果たし、氷に覆われたコル・ドランのクーロワールの下降を無事に成し遂げたのも、卓越した足場切りの技術と強靭な体力があってのことだった。 客の先頭に立って一日中足場を刻みつづけるのは、並大抵の労力ではない。そこには、ガイドとしての報酬の魅力や名誉への野心があったことは明らかである。しかし、なによりも彼らは登山という行為を単なる客商売の次元を超えて愛していたはずだ。 ![]() 富士山御殿場口、次郎坊の下標高1600メートル付近から見上げる大斜面。2010年5月上旬撮影 ピッケルによる足場切りで富士山御殿場口コースを登ったときの記憶は、数十年も経った今も鮮やかによみがえる。富士山の冬期登山の初期には、カンジキに釘を打ち付けたものが使われたり、ピッケル以前には鳶口や小ぶりのツルハシも動員されている。 だからピッケルで足場を切りながら登る試みは、ことさら目新しいものではない。しかし、アイゼンの使用が当たり前の時代に敢えて足場を切って登ろうというのは、あるいは私たちが最初かもしれない。そんな気負いとささやかな記録への意識が、雑誌の記事に仕立ててしまおうというところまで発展した。 御殿場側の森林限界は標高1440メートル。山頂まで高度差にして2300メートルを越える大斜面は、酔狂な試みにはうってつけの舞台だった。この試みのもうひとりの発案者である明大OBの長谷川良典、写真家でクライマーの岡田昇の両君を誘って1982年4月中旬、快晴の大斜面に挑んだ。 事前に不安が無かったかといえばうそになる。たしかに試みとしてはユニークには違いないが、退屈極まりない単なるノスタルジアで終わってしまわないか。ところがそれはまったくの杞憂だった。その折のことを後日の記事の中で次のように書いている。 「ステップを切り続けていくという行為が、ただ根気と体力がいるだけの単純な動作ではないことは、やってみて初めて分かったことだった。ピッケルのひと振りひと振りに意識を集中し、その中で自分のリズムを作り出していく、この単純な動作の繰り返しの中で、僕は驚くべき体験をした。それは、カッティングのリズムによって生み出され、登るほどに増幅していく気分の高まりだ。ピッケルを振るうたびに僕は素晴らしい高揚感に包まれて、いつまでもステップを切っていたいとさえ思うようになった。 かくてトップは握力が尽きるまでピッケルを振り続け、腕を休めている後継者は早く交替しようと訴えることとなった」 恥ずかしくなるような大げさな語り口で、すっかり自己陶酔の世界に浸りきっている。ステップカッティングでは、長距離ランニングや自転車ツーリングの峠越えのような持久運動に特有の生理的な快感がとりわけ際立つのだ。もちろん、単に生理感覚だけで得意になっているわけではない。登行欲をかき立てる創造性に通じる何かが、そこには確かにあるのだ。それは、掴んだと思ったそばから消えてゆく淡雪のように、とらえどころのないものなのだが…。 惜しいことに、つのり始めた強風とタイムリミットで、この挑戦は七合五勺、標高3200メートルで終わりになった。それが悔しくて次のシーズンには、足場切りに有利なシャフトの長いピッケルを用意し、再挑戦を誓ったものである。 国内の主要な登攀ルートがフリー化という新しいスタイルで次々と再登されていった時期でもあり、自分自身もスタイル論を意識する窮屈な山登りの風潮にどっぷりと浸かっていた。考えてみれば、これはそもそも記録を云々するような山登りではないのだ。効率のために時の流れが置き去りにした、単純極まりない行為の中に潜む喜びの一端に触れることこそ、目的のすべてだったと今にして思う。 山の古典に現れる足場切りのくだりに、それが書かれた同時代の読者の意識に近づいて、行間にパイオニアたちの息遣いを感じとる。そんなとき、一条のステップを天まで届けと刻みつづけた、あの日の富士山の大斜面を思い浮かべるのである。 谷川岳一ノ倉沢二ノ沢左俣大滝の登攀。1975年3月上旬撮影。氷質が非常に硬くピッケルでホールドを刻む。現在のように氷壁用に特化したピッケルは知られていなかった。一本のピッケルが杖になり、氷雪に足場を切った最後の時代のひとコマ。![]() |