チャコスケの想い出


2012年師走、家の裏口に1匹のダックスフンドが現れた。どうやってここまで来たのか、毛並みが悪ければずいぶん汚れてもいて、つまりはかなりの年かさに見えた。

長く飼っていたクリオが死んで、1年あまり犬のいない生活だった。犬がいれば楽しいけれど、偶然の機会でもあったらまた飼うことがあるかもしれないくらいのことで、ショップで買ってまで飼うような考えはなかった。

こういった純血種なら迷い犬かもしれないと役所に届けてもみたが、結局飼い主は現れなかった。棄てられたのだろう。これが偶然の機会にしても、私が飼ってもいいと思うのは、クリオのように山に連れていける元気な犬だったのだが、どう見てもそうは見えなかった。弱ったなあ。

「チャコスケ」とさっそく命名までして、中学生の娘はすっかり飼う気でいる。目の下から膿が出ているので獣医に連れて行ったら、口内からくる病気らしく、歯はボロボロだった。何歳くらいでしょうかねと訊くと、歯の具合から10歳にはなっているのではということで、ならば余生もさほどは残っていないだろうと、最後まで面倒をみてやることにした。

ところがそれから7年、チャコスケはロッジ山旅にいた。ならば来た当時いったい何歳だったのか。前の飼い主がロクな飼い方(おそらく菓子のようなものばかり与えていたのではないか)をしなかったので毛並みも歯もボロボロになっており、まだ若い犬だったのが年寄りに見えたのだろう。

そもそもは猟犬が起源だから、もっと運動能力があってもよさそうなものなのに、愛玩犬として改造を続けられるうちにそんな能力はなくなっていったのか、山に連れて行けるとはとうてい思えなかった。もっとも、これはチャコスケだけのことだったのかもしれないが。部屋の片隅に置かれた箱に入れると、簡単に越えられる高さしかないのに、自力では外に出られなかった。人畜無害とはこの犬のことで、人でも犬でも猫でも、どんな生き物にでも愛想がよかった。あとからやってきたココのこともむろん大好きだったが、ココにはバカにされて、たまには怒られてシュンとしていた。

犬はしゃべれぬからかわいいが、同時に不憫でもある。言いたいことはたくさんあっただろうになあと思う。うらみつらみを言わぬまま、7年たらずをロッジ山旅で過ごしてチャコスケは逝った。



    
     山で元気に走ったこともあったなあ
 2012.12 突然家の裏に現れたダックスフンド  
   
 2014.2 雪かきの手伝い(邪魔)をするチャコスケ  
   
 2016.10 よくこんな上目づかいでこちらを見ていた。  
   
 2019.8 これが生前最後の写真になった。