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            赤岳(6月2日)                         

前週、悪天で諦めた赤岳に登ろうということになった。

朝から雨で諦めたのならまだしも、登山口まで行って諦めたときは思いがその山に残るようだ。その山頂を踏まずば先へ進めない気がする。もう何度となく登った赤岳だが、それでもそんな気がする。

その日も決して良い天気とはいえない高曇りで、意気揚々と歩き出すといった気分にはなれなかったが、さすがに二週連続で登山口まで行って引き返すわけにはいかない。少しでも行程を省略しようと美濃戸までの林道に車を乗り入れた。あまりこんな道を車で走りたくはないが、子連れということで勘弁してもらう。

美濃戸口の林道入口には一般車通行止となっているのだが、奥の山荘にはそれぞれ有料の駐車場があるのだからよくわからない。すれ違いもままならないような道だし、駐車場も限られているのだから、ハイシーズンには大変な騒ぎではなかろうかと思う。でも僕たちオフシーズン登山者にはそんな心配はない。一台の車にも出会わず、すんなり美濃戸山荘の駐車場にすべり込む。

ここはもう標高千七百メートルを越えてはいるが、それでも赤岳までは標高差千二百メートルを残しており、日帰りではきつい部類に入るだろう。行者小屋までは沢沿いにいつの間にか高度を稼いでいる感じでさほど辛い登りはないが、沢沿いゆえに展望がなかなか開けないのが辛いところだ。

果たして赤岳は姿を現してくれるだろうかと思いながら歩く。歩き始めると渓はすぐ寝てしまうのが常だ。こんなに揺れていてよく眠れるなと思うが、十ヶ月間もおなかの中で揺れていたのだから、外へ出てきてもしばらくの間は揺れているほうが落ち着くのだろう。

広い涸れ沢に出るとまず横岳が顔を見せる。大同心、小同心をはじめ実に複雑な形を持つ岩峰群が脈絡もなくにょきにょきとはえている。

横岳が見えるのならば赤岳も大丈夫だろうが、相変わらず陽射しはなくうすら寒い感じがするし、実際にもかなり気温が下がってきているようだ。再び沢沿いの樹林帯を歩く。

行者小屋が近くなると白河原と呼ばれる河原の中を歩くようになり、正面についに赤岳が勇姿を現す。

赤岳はどこから眺めてもみまごうことのない素晴らしい姿体を持った山である。この白河原からの眺めも山麓からとしてはベストポイントのひとつといってもよかろう。すっくとたった気品のある大台形は、正に八ヶ岳の主峰の名に恥じないものだ。

行者小屋の前に人影はなかった。まだ赤岳は全容をあらわにしているが、今にも霧に隠れてしまいそうだ。空の灰色は濃さを増し、雨すら降ってきそうな気配だった。

小屋の中で暖をとっていた五六人の中高年のパーティーの人達が赤ん坊がいるのを発見し、あ、ほんとだほんとだと大騒ぎで、小屋の戸を開けてストーブにあたりなさいと呼ぶので中に入らせてもらう。

渓は山の中では人気者だ。赤ん坊が滅多に来ない環境のせいにもよろうが、客商売をしている中で育っているためか人見知りをしないせいもある。特に中高年のご婦人には絶大な人気だ。みんなでよってたかってあやしてくれる。

小屋の中にいると外がかなり寒いことがよくわかる。天気も悪いので気持ちが萎えてくる。関西なまりのそのパーティーは文三郎道のほうへガヤガヤと出発していった。その間際、中の男性が「そんなちっちゃい子にはまだまだ山の良さはわかれへんからね」と暗にこんな日はやめたほうがいいよと関西弁でほのめかす。確かにそうだが、登りたいのは親のほうで赤ん坊は置いていけないので連れてきているだけなのだ。

まだ赤岳は見えている。速攻で登ればなんとかなりそうだ。「よっしゃ、登ったろうやないか」と僕は本場の大阪弁で奮起する。

さっきのパーティーと抜きつ抜かれつするのもわずらわしいので僕たちは地蔵尾根を登ることにする。二度下ったことはあるが、登りに使うのは初めてである。

径が険しさを増して梯子段を登るようになると視界が開けてくる。阿弥陀岳がいかついげんこつのような頂稜をもたげている。中岳は赤岳と阿弥陀岳に挟まれ目立たないが、それだけを見ればどうしてなかなか立派な姿をしている。主稜にもう少しのところまで登ると東側から雲が押し上げられてきてみるみるうちに赤岳を隠してしまった。

天望荘の前を通過し、しばらく登ると岩陰にチョウノスケソウが咲いていた。実物は初めて見る花である。そのあたりから真っ白な霧の中を泳ぐように登っていく。主稜線の風はかなり強い。動いている僕たちはそれなりに汗もかくが、渓には寒かろうと思う。タイツをはかせた上からズボンと着ぐるみで三重になっているものの風には心もとない。

前の年、やはり霧で視界のない県界尾根の最上部を頂上はまだかまだかと思いながら登っていると、どこからともなく便所の臭いがしてきて頂上近しを悟り、まことに興醒めだったことがある。山の頂上が神聖な侵すべからざる場所だとすれば、赤岳の頂上を占拠した小屋はとんでもない罰あたりな存在ということになる。よく許可がおりたものだ。

幸い今回は便所の臭いで頂上を知ることもなく北峰に着いた。まったく人影がない。足早に通り過ぎて南峰へ向かう。中年の夫婦が休んでいた。とりあえず渓を降ろす。奥さんのほうが赤ん坊に気付きびっくりしている。その人曰く「人形を背負っているんだと思っていたら、動いたのでびっくりしたわ。赤ちゃんだったのね」人形を背負って山に登っている人がいたら、これはちょっと恐い。見ただけで遭難しそうだ。

風が強いし展望なしときては長居は無用だ。一枚写真を撮っただけでまた渓を背負う。渓がむずかりだした。腹が減ったのだろう。ミルクをやるのにも風を避けて尾根の西側に回らなければならない。

霧の岩場を泣く子を背負って下っているとなんだか悲壮感が漂ってくる。敵に追われた逃避行みたいな気すらする。〈稚児落とし〉大月の岩山の名前さえ頭に浮かぶ。とんでもない事をしているのではないかと自責の念にもとらわれる。

ようやく場所を見つけてミルクをやると、あっと言う間に泣きやんでしまう。こっちもほっとする。その頃、行者小屋で別れたパーティーが登ってきた。泣いている最中に出食わさなくて良かった。

機嫌が良くなったら下山を再開。文三郎道と中岳道の分岐あたりまでくだると雲の下となって下界が眺められるようになった。しかし雨がポツポツと落ち始めた。慌てて文三郎道を駆け下った。

行者小屋まで下って振り返ると皮肉なことに再び赤岳が姿を現していた。妻に渓を背負わせて赤岳と記念写真を撮って先を急ぐ。

途中空が明るくなったので河原で大休止とした。渓に食べ物を持たせるとすぐに落としてしまう。おかしいと思って手を触るとひどく冷え切っていた。そのせいで手がかじかんで物が持てなかったのだ。

手をこすって暖める。足も同様に冷えていた。毛糸の手袋くらいではあまり役には立たないようだ。防風をもっと考えなければならないという教訓だった。この位の年齢ではまだ感覚が発達していないのか暑い寒
いを泣いて訴えることはないようだ。この山行のあと僕の古くなったウインドブレーカーを改造して着ぐるみタイプの防風着を妻が作った。

天候には恵まれなかったが、それでも渓を背負って三千メートル級の山に登り得た事は僕たちの自信とはなった。

赤岳に感謝。

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