小田野山(塩山

木曜山行では、夏は信州方面、秋から春にかけては甲府盆地周辺の山に出かけることが多い。気温と天候がその理由である。先週に引き続き、本の出版や展覧会がひと段落したすがぬまさんが東京から日帰り参加したいというので、甲府駅以東の中央線駅で合流しやすい山を考えた。

思い出したのが牧丘の小田野山である。山名が地形図に記載されるにはどういった基準があるのかは知らないが、記載されていると目立つのは当然で、小田野山の名前はずっと前から知ってはいた。この山は古い地図では城山になっており、つまりは小田野城址というわけである。先週に引き続き、城山探索となった。

なんたって小さな山だから、いつかはと思いながら先延ばしになっていた。いよいよそんな山にも登ることになったかというわけだが、これは卑下しているわけではなく、歳をとっても楽しめる山はまだいくらでもあるなあと喜んでいるのである。

雨上がりのすっきりした好天となった。富士山はいよいよ白く、八ヶ岳や南アルプスも雪化粧して、展望の楽しめる山へ変更したらとの誘惑にもかられるが、ここは初志貫徹とした。車窓からだけでも充分に風景は楽しめる。

しかし、簡単に登れるだろうという予想は見事にくつがえされたのであった。登山口の標識こそあるが、ケモノ除けの柵の扉を開けて中に入るところで、すでに足場が悪くて柵につかまり歩く始末だった。その後、道標の類は皆無、ふんだんに積もった落葉で道筋はわかりにくく、しかも落葉の下の地面は前日の大雨を吸ってすこぶる滑るときている。

傾斜が急になると踏跡も怪しくなった。頂上直下では大岩を縫うように登っていく。えらく苦労したように思ったがそこはやはり小さな山で、1時間あまりで頂上に着いた。それにしても80代が登る山ではないね。おふたりともお疲れ様でした。

西半分は広葉樹で明るかったのは何よりで、葉が全部落ち切れば眺めも楽しめるだろう。頂上の案内板には「山梨市」とあるのでまだ新しそうだ。悪文で、前半は何が言いたいのかわからないが、写してみよう。

「小田野城は『甲斐国志』によると「安田遠江守ノ要害ナリ」とされ、平安時代末期の甲斐源氏、安田義定の城との伝承が古くからあったことが知られています。現在残っている遺構は、室町時代の甲斐国守護代、跡部景家によるものとみられ、三方向に伸びた尾根上に、多くの平坦部や溝状に切り欠いた跡が確認できます。これらは郭や帯郭、堀切などの跡と考えれれています。」

城跡や つわものどもが ゆめのあと

片山(甲府北部)

おとみ山のリクエストで今週は片山に出かけることになった。紅葉見物に片山に出かけるのは数えてみたら7年連続となるのだからすごい。それだけ魅力があるとも言えるし、これくらいの行程の山が我々の年齢的に好適になったともいえるだろう。紅葉見物以外にも、桜や新緑を楽しみに訪れているのだから、すっかり我々の遊び場になってしまった。

片山はかつては石を切りだした山で、現場に通じていた作業道がそのまま遊歩道となっており、ちょっと把握するのが難しいほどの道がある。それらを手を変え品を変え登って、ほぼすべてを歩いてしまった。今回は片山としてはロングコースを設定した。

近所のご常連方に、コロナ禍を脱出してきた神戸のN女史と、新著が出版されたばかりの中村好至恵さんが加わったのでにぎやかになった。

好天の予報だったが雲の多い日だった、気温が高くて風もないのはありがたい。歩く人の少ない片山北面の道をまず登った。頂稜の大通りに出るまでは人っ子一人いない。大通りでも見かけたのは数人だけで、相変わらず静かな片山である。

今年は黄葉の盛りが長かったので、片山もちょうど見ごろだろうかと思っていたのだが、なかなかどんぴしゃりというのは難しい。お目当ての紅葉は盛りを過ぎていたが、それでもまだまだ楽しめた。葉が落ちた分、地面が彩られるのは、この時期ならではの美しさである。

最後には富士山も頭を出してくれて、まずまず上出来の今秋の片山詣でだった。
昇仙峡から羅漢寺山(甲府北部・茅ヶ岳)

名古屋から参加のご常連のおふたりは、ひょっとすると昇仙峡を歩いたことがないのではと思って、昇仙峡の核心部を歩いたのち、素直にロープウエイを利用して弥三郎岳に登ってみることにした。12月の昇仙峡なら人出もないだろうという目論見である。

渓谷道が落石により通行止というアクシデントはあったが、それでも滝上から石門くらいまでは往復して仙娥滝や覚円峰などの昇仙峡の核心部は見物した。数人とすれ違う程度の静かな渓谷道だった。

昇仙峡ロープウエイに乗るのは初めてかもしれなかった。15人くらいは乗っていただろうか。その中で弥三郎岳まで足を延ばす人はわずかだった。山頂の展望は絶佳だが、狭くて、ちょっと落ち着かない頂上である。

人通りのない陽だまりを探して昼休みをしたのち、金桜神社南西の峠へ抜けた。この明確な峠に名前がないのは不思議で、「御岳峠」とでも呼ぶのが適当かと思われる。

勝手知ったるこの道の途中からが大伐採されているのを知ったのは、この4月に歩いたときで、また少し範囲が拡大しているように見えた。殺伐とはしているが、雪の金峰山をはじめ、四囲の展望は抜群ではあった。
武田八幡宮から白山へ(韮崎)

今年の木曜山行も最後となって、夕方からは忘年会の予定である。その前には軽く山歩きもしたいところだが、予報がかんばしくなかった。だが10時ころには晴れ間も出るだろうという予報もあるので、あわよくばと出かけた。先週歩いた羅漢寺山塊の最北部に、まだてっぺんに立っていない山があった。あたりが丸裸に伐採されてさぞ眺めがよいことだろう。雨上がりで雲海にでもなれば最高である。

ところが現地まで行っても雨脚は強まるばかり、結局、昇仙峡、千代田湖、と山梨県北西部をほとんど一周ドライブして、ほぼ雨がやんだのが韮崎まで戻ったころで、じゃあ武田八幡宮に早めの初詣をして、白山城址にでも登りますかとなった。

あと10日後にはにぎわうだろう境内に人っ子ひとりいない。最初はさしていた傘もすぐにいらなくなった。白山に登ったあと、白山神社の軒先を借りて遅めの昼休みをした。

武田八幡宮、為朝神社、白山神社と三社に参ったのだから、今年のみそぎは済んだ。夜はいつもの貸切レストランに有志10人が集結、にぎやかに今年を振り返った。

今年の計画に戻る  トップページに戻る