蜂城山(石和

今年の『山と溪谷』誌の3月号では「梅、桜、桃」といった花の山の特集が組まれ、山梨県としては当然、桃の花が第一で、一宮桃源郷の山、蜂城山の紹介が私に任された。

そんなこともあって蜂城山が思い出されたわけだが、頂上には蜂城天神社、麓には浅間神社摂社山宮神社があって、新年初の山行にはうってつけでもあった。ついでと言っては何だが、大久保山の那賀都神社も合わせれば三社に参拝となる。しかし、数年前に歩いたとき、神領山から大久保山にかけての稜線では台風による倒木には悩まされたし、そんなに欲張ってもという気分もあって、今回は二社を巡る山歩きとしたのである。

勝沼で東京からのおふたりと合流し、いつもの駐車場から出発した。まずは山宮への参道を登る。山宮は重要文化財に指定されている檜皮葺の社で、その葺き替えが迫っているのであろうか、参道沿いの檜の皮がすっかりはがれている。皮をはがれた檜の肌がこんなに赤いとは知らなかった。

参拝後、社の裏手から踏跡を探って適当に登っていたら方角がおかしくなっていた。こういった里山には踏跡が多く、油断していると方向を見失う。修正して登っていくと明らかな踏跡が目指す方向に延びているのを発見、少々崩れかけたところもあるトラバース道はおそらく古い植林作業道であろう。やがて思惑通り蜂城山南の鞍部に出た。

ひと登りで蜂城山に着く。天神社の社は、3年前には台風被害でブルーシートがかけられて無残な姿だったのが一応は修復されているようだったが、それを覆っていたトタン葺きのやぐらは風で飛ばされて少し下で基礎のコンクリートごとひっくり返ったまだだった。

注連縄は古びていて、新年といえどもここまで参る人はいないのだろうか。ちらちらと舞っていた雪が本降りになって、境内で早めの昼をとる間にはあたりにうっすらと積もり始めた。

長居は無用と参道を下る。短い距離だが急坂なうえに落葉が積もって足元に気を遣う。膝が痛くなってきたころ参道入口に出た。

藤垈の滝~大窪三十三観音~浅切山(石和)

4年前、トヤンハチ(東洞)に初めての稜線をたどって登る途中、思いもかけず石仏群を見た。向かい合ってずらりと並んだ三十四体の観音像には一体を除いてそれぞれ一番から三十三番まで数字が彫られており、その横にある石碑には西国三十三所や明治四年の字が認められる。

各地に三十三観音はよく見られるが、そんな中でもこれは、おいそれとは巡ることのできない西国三十三所を、三十三体の観音像を置いて参拝の代わりとしたのであろう。地元の人を含め、今では年に何人がこの観音像を見るだろう。

もう一度これらの観音像を見たかったのと、15年前、滝戸山の帰りに立ち寄った849.2m三角点峰(点名・浅切)にも久しぶりに行ってみようとコースを考えた。

起点を藤垈の滝がある公園としたのは駐車場完備だからである。藤垈の滝は、滝のイメージとはまるで違い、湧水のほうが似合う。数本の竹製の掛け樋から水が滴っている人工の段差を滝と名付けたのは不思議だが、真夏でもあれば涼しい雰囲気はあるだろう。井伏鱒二が「真夏のエアポケット」と賞したそうな(いかに陳腐な表現でも有名人が言うと尊ばれる好例)。

石仏群のある稜線と浅切山が行く手に並んで見えている。車道をつま先上がりに登って、神明神社に参拝後、尾根道に入る。標高差100mくらいを登ったところに石仏群がある。

前回の記録を見ると、倒れていた2基を起したとあるが、今回は5基が倒れていた。地盤が悪くて倒れていたのはわかるが、土台の石の穴にはまって動きそうにないものが倒れてもいた。人のせいかケモノのせいか。すべて立て直してきたが、いつまでもつだろうか。

浅切山に向かう地形図の破線はこの季節ならばみつけやすい。落葉でふかふかの地面を踏んで三角点に達した。もっと暗い雰囲気と記憶していた頂上は、甲府盆地側がわずかながら伐採されていて明るくなっていた。等高線からもわかるとおりの広い頂上で、新緑にまた訪れたくなった。

新緑にまた行きたいと思ったのには、下りに使った北西尾根もなかなか雰囲気が良かったからで、しかし、これは最後は木につかまって下る急坂となった。そこを避ける工夫がいるだろう。

山裾が竹藪なので、これにつかまったら大変だと思っていたのも無事クリヤーし、登り始めの公園内でおとみ山が落とした手袋の片方も無事拾い上げ、車でわずか5分のところにある、まだ新しい寺尾の湯にドボンと浸かって大団円となった。
慈雲寺から恩若峯(大菩薩峠)

恩若峯は地形図に名前が載っているのだから立派なものだが、そのわりには歩かれていない山で、源次郎岳とセットで頂上を通過する山ではあってもこの山だけを目標に行きましょうということは少ない。

しかし木曜山行ではどんな小さな山でも一日一山というのが基本方針である。この山から南に派生するのは私好みのゆるくて長い稜線で、勝沼からこれをたどって2度登った。

今週の行先を考えて塩山付近の地形図を眺めていたとき、否応なく恩若峯も目に入ったものの、また同じ登り方では面白くないし、いささか行程が長い。おや、北麓に神社記号があるじゃないですか。なるほどここから登りましょうと今週の山は決定した。

かつて桜の時季に訪れたことのある慈雲寺を起点とした。ほとんど20年ぶりで、有名なしだれ桜の他は記憶はほとんどなかった。まずは境内にある樋口一葉の文学碑を眺めたりして、いきなり山道ではない、いつもとは違う出発である。里道を上がっていくと、盆地周辺の見慣れた山々が違った姿で見られるのが面白い。

神社記号は八天宮、頂上までヤブに悩まされるような部分は一切なかったが、すこぶる急な登りはあった。木にすがって登る参加者おふたりの年齢は公然の秘密。それにしても、あっぱれ、よくもこんなところを登るものである。ま、すくなくとも高齢者が下りに使うべきではない稜線ではあった。

登るにつれ寒々しくなっていった空は、頂上で昼を過ごしたのち下る途中からまた晴れだした。以前に較べて歩く人も増えたのか、もうこちらは一般道といってもいい状態で、道標の類も増えている。うまくつけられた径は下山にはもってこいだし、南に開けているので明るい。のんびりと下って麓の果樹園に出た。
ほったらかし山(塩山)

山やルートを考える場合、まず地形図を眺める。ネット時代になって全国津々浦々の地形図が瞬時に見られるのだから便利になったものだ。だが、拡大縮小が思いのままだから、2万5000分の1地形図だけを眺めていたときよりは距離感が失われるところがある。

今では地形図とあわせてグーグルマップでの下調べが欠かせない。地形図よりは現地の情報が新しいからである。ことに航空写真では現地の様子が一目瞭然で、あまりにわかりすぎることが面白くないくらいでもある。

棚山を自分が担当するガイドブックに新たに加えるための調査でほったらかし温泉から登ったのは6年前のことで、それ以来訪れたことがなかった。当時も温泉のまわりのそこら中で何やら造成中だったが、どうなっているのだろうとグーグルマップで調べると、キャンプ場やいろいろな施設が出来上がっているようで、ずい分と様変わりしているらしい。ならば久しぶりに様子を見に行くか、しかし棚山では面白くない。そこで、かねてから興味のあった山梨市矢坪の古刹永昌院とほったらかし温泉を結んで歩くことを思いついたのだった。ただそれだけでは画龍点睛を欠くので、温泉裏側の763mをほったらかし山と名付けて目標とすることにした。

結論から書けば、登頂はならなかった。というのも、ケモノ除けネットが山中に張りめぐらされており、登りたいように登れなかったからだった。どうしても登りたければ、ほったらかし温泉まで行ったのち、いったん戻って登るしかなく、温泉を前にしてはそんな気力もなくなって、山なんかほったらかして、さっさと湯舟に沈んだのだった。

永昌院はすばらしい佇まいだったし、そこからの道もなかなか野趣に富み、季節を変えてまた歩きたいと思った。驚いたのは、適当に徘徊していた山中にぶどう畑の名残がたくさんあったことで、なるほど地形図には果樹記号がちゃんと入っている。どうやらかつてワイナリーがぶどう栽培していたらしい。たしかに、サントリーの登美の丘と雰囲気が似ている。

ぶどう畑はほったらかされ、途中にはダンプカーもほったらかされていた。こういう車は俺にまかさんかいとばかり運転席に乗り込んだおとみ山に、古老と廃車とはよくお似合いですよと言ったら「ほっといてくれ」と言われた。

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