カボッチョ(霧ヶ峰

梅雨入りはしたけれども木曜日はまずまずの晴天のようで、またぞろ中信高原界隈で散歩をしようかと考えていたら、名古屋のNさんが来てくれるというので、ならば車を使わせてもらって縦走しようと選んだのがカボッチョであった。

何年か前の初秋に池のくるみから登って伊那丸まで歩き、車は自転車で回収したことがあった。体調のことがあるので、今回はその逆コースにして登りを少なくした。車が2台あるからできる縦走である。

シダの新緑がみずみずしい以外、まだまだ枯葉色を残した霧ヶ峰である。ちょうどレンゲツツジの花期ではあるが、去年に引き続き大発生しているヨシカレハの毛虫による被害だろうか、花付きが悪い。とにかくものすごい量なので、毒があるというし、苦手な人はカボッチョのように径のない山に登るのはやめたほうがいいだろう。

毛虫が怖くてヤブが漕げるかとばかり我々は突進した。まあ、ススキも小さい今の時季はヤブを漕ぐといったほどではなく、適当に歩きやすいところを登っていくだけである。昼前にはてっぺんに着いて、南の眼下にひろがるのびやかな風景を見ながら休んだ。

下りでは、かねて探しあぐねていた1609.7mの三角点(蛙原通)を文明の利器を使ってついに発見したのが収穫だった。踊り場湿原の歩道に出るとミズナラの林が美しい。今回も大気と緑からたっぷりと生気をもらって山歩きを終えた。


渡辺隆次「胞子紋の世界展」観覧新潟旅行

出発前日には、わざわざ渡辺画伯みずからがロッジにおいでになって我々を壮行してくださるという贅沢な出発であった。

梅雨時ゆえ天気が心配された。山歩きではないから雨でも問題はないにしろ、どうせなら降らないほうがいい。案の定あいにくの予報が出て、しかし名古屋組ふたりと落ち合うために向かった塩尻に着くころには北の空に青空すら見えて、北に遠ざかるにつれ白い部分の多くなっていく北アルプスのほぼ全容が望めたのである。

これはラッキーだと、松本平、善光寺平、妙高高原と期待していなかった山岳風景を楽しみながらのドライブとなった。新潟に入って海辺を走るようになっても、いかにも日本海側といったどんよりした空ではあったが雨は降らなかった。ひたすら水田の拡がる平野に高速道路は一直線に敷かれており、まるで緑の海を進むかのようである。

ほぼ千曲川源流からやってきた我々は、名を変えた信濃川を河口近いところで渡って新潟市の繁華街に入った。もっとも日本海に近いところで信濃川は二手に分かれて海に入り、その水流で陸地から切り離された新潟市旧市街は要するに島、しかも掘れば下は砂でできている島なのである。

空襲をまぬがれた市街には高層ビルの間に古い建物が多く残されており、今回の目的地、砂丘館もそんな建物のひとつで、日本銀行新潟支店長の旧公邸が利用されている。砂丘館という名称は前述の理由による。

広い屋敷内に多くある座敷の壁を利用して、渡辺画伯の絵がまるで生活の中にあるように飾られていた。そしてもっとも奥にある蔵の上下階がまとまった展示室になっていた。ちなみに支店長宅に蔵があるのは、災害など有事の際に銀行業務を維持するためだとか。

一通り館内を見終わったあと、館長の大倉さんが近所を案内してくださることになった。徒歩圏内に見どころがたくさんある。我々だけでは行けないような路地を歩いて、安吾風の館や旧斉藤家別宅や海辺の公園をまわった。多忙の大倉さんであろうに、時間を割いてくださったのはまったく願ってもないことで、渡辺画伯から、我々のことを何卒よしなにとの連絡があったからでもあろう。

新潟旧市街はその名も古町(ちなみに現地でのアクセントでは最初の「フ」を強調する)である。その中心部にあるホテルにチェックイン後には、やはり大倉さんが関わっていて、つい先日までは渡辺画伯の作品が飾られていたギャラリー、新潟絵屋へ旧いアーケード通りを歩いて向かい、そこで待っていてくれた大倉さんの案内で、これも予約してもらった、網元の旧宅を利用したという料理屋、片桐寅吉へと街並みの解説付きで向かったのであった。
男岩と女岩(鷲ヶ峰)(霧ヶ峰)

2016年の新緑の頃、木曜山行で男女倉から鷲ヶ峰に登った。八島湿原から登るならちょっとしたハイキングにすぎない鷲ヶ峰にきちんと登るルートを設定したのだったが、我ながらこれは出色のルートだと思った。

その時の報告でも触れているのが、コロボックルヒュッテの先代主人、手塚宗求さんが書いている男女倉集落の名前の由来についてである。(参考リンク)

「クラ」は岩をさす語である。山中に「男岩・女岩」があって、それが由来に違いなかろうと、手塚さんは探しに行くわけだが、実のところ、コロボックルヒュッテの建つ車山の肩から男岩は見えていて、その岩をずっと「立岩」と呼んでいたというのである。立岩すなわち男岩なら、その近くに「女岩」があるはずだ。

その話が冒頭に収められている『遠い人 遥かな山』(筑摩書房)を読んで、頭の隅にずっと男女倉の件は記憶されていたのだったが、2016年のときにはすぐ近くを通りながら探す余裕はなかった。

ゼブラ山に登ったときに撮った写真があったので仔細に見ると、立岩すなわち男岩がはっきりと写っている。だから男女倉からのルートを少し変えて登るなら発見は難しくもないだろうが、今の体調ではちょっときつい。そこで、今年前半最後となるだろう木曜山行で、八島湿原から楽に行ってこようと計画を立てた。

ところが唯一参加する予定のおとみ山の都合が悪くなってしまった。ここ数日は天気が安定せず、どうやら今日もそうらしい。空はどんよりと暗い。これでは中止かなと考えたが、しかしもうひと月も山に行っていないし、思いついたときに行かねばいつになるやらわからないと、ひとりで出かけることにした。径のない山で降られたら閉口だが、午前中には何とか下って来られるだろう。そして降る直前には下って来られたのだった。

鹿柵の中ではニッコウキスゲがかなり咲いていて盛夏を迎えつつある霧ヶ峰だった。6月のカボッチョではあれだけいた毛虫も羽化したのだろう、ほとんど見られなかった。

葉の落ち切った時季であれば簡単にわかっただろう男岩は近くに寄るまでわからなかった。まわりの木々になかば埋もれているせいで少々迫力に欠ける。手塚さんは高さ10メートルくらいあるだろうと書いているが、そこまではないように思う。

さて問題は女岩で、確信はないものの、その岩以外には考えられなかった。岩のまわりを木々が覆っているので、これがなければもっとそれらしく見えるのかもしれない。

男女倉から本沢沿いにさかのぼってくる男女倉越(地形図ではゼブラ山の山頂に達する破線に男女倉越と入っているが、交易路がわざわざ山のてっぺんを越えるとは考えられない)の峠道から、男岩と女岩がかつてははっきりと見上げることができたのだろうか。

入笠山(三国山)(信濃富士見)

6月のカボッチョ以来なのだから、ずいぶんと久しぶりの木曜山行だった。ゴンドラ無料キャンペーンだというので、入笠山近辺をうろつくことにしようと思った。

とはいえ、夏の入笠山の頂上にはもう興味はない。高座岩やテイ沢の周回もさんざん行った。池ノ平付近も歩いたしなあと地図を眺めたら、大きな山域だもの見落としはあって、三国山があるのに気づいた。むろん私の命名だが、地形図を見るなら誰がどう名をつけても三国山である。

日曜日にくらべると10分の1も人のいない富士見パノラマリゾートの駐車場だった。頂上駅では霧の中に入ってしまったが、入笠湿原に着くころには明るくなってきた。

人を見たのもここまでで、三国山を往復する間には人っ子一人にも逢わなかった。三国山頂上はほぼ植林のカラマツ林だが、なかなか味わいのあるところで、しかし何がどう味わいがあるのかと問われても困る。好みの問題だからだ。今は緑の盛りで、身体が緑に染まるようだ。錦秋も良かろうと思う。

午後の雨を警戒していたが、結局降られることもなく、最後は夏の花を楽しみながら俗の極みの恋人の聖地まで行って、今年前半最後の木曜山行を終えた。

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