飯盛山(八ヶ岳東部・谷戸

飯盛山の身上は展望だから、計画に入れると当日の天気はことさらに気になる。今週の木曜山行の飯盛山は事情で一週延ばしたので、よけいに天気が心配された。

暖かい冬だったが冬型が強まって寒気が入ってくるという。大泉あたりでは雪はないに等しいのだからほとんど雪の心配はしていなかったのだが、清里大橋から見る飯盛山にはどうやら新雪が降ったらしく半分くらいは白くなっている。

清里に入ると道路が雪で真っ白になった。夜にでも降ったらしい。大泉ではまったく降らなかったのだから、川俣川を隔てて天候が変わることが多いとはいえ驚いた。

三沢からの飯盛山は北側からのルートだから、いっぱしの雪山ハイクとなった。夏でもこのルートを登る人は滅多にいないのだから冬ならなおさらで、人の足跡はひとつとしてない。木々に付いた雪がキラキラ光って実に美しい。

冬型が強まると八ヶ岳は雲の中、甲府盆地から富士山にかけては快晴というのがこのあたりのパターンで、昨日もそのとおりだった。主稜線に出ると心配された風はさほどでもなかったのは助かった。

稜線の道はわずかに北側にあるので吹き溜まりでは膝上までもぐるのには少々苦労したが凍っているよりはましである。処女雪に6人で足跡をつけていった。

飯盛山を正面に見る草斜面は風もさえぎられてちょうど昼休みをするのに好適だった。遠くから見ていたときには飯盛山に登る人影をいくつか見たが、近くまで来るともう人の姿はなかった。

最近では飯盛山の頂上はパスすることが多い。元気な皆さんは頂上まで行くというので、私は下で登るのを見ていた。4人が登頂しててっぺんでバンザイをした。下る道々、八ヶ岳の雲がだんだん取れはじめ、最終的にはほぼ全容が現れたのは幸運だった。

朝倉山(南大塩)

朝倉山は地形図に山名が記入されているから前々から気にはなっていたが、それだけ登るにはちょっと簡単すぎる。ならばカシガリ山とつなげてしまえばいいと思いついて、ひとりで登りにいったのは4年前のことである。その行程は木曜山行の計画にもなった。

朝倉山は大門街道を真下に見下ろす城、または砦のあった場所で、ところどころに掘割などの跡も見られるし、御嶽講の信者が参る山でもあったらしく、それらの石碑が登山道脇に多く見られ、要するになかなか味わい深い山である。東側が切り開かれていて、八ヶ岳を西側から望む絶好の展望台にもなっている。

昨日は、午前中雨が残るが西側から急速に天気は回復するだろうという予報に、オッ立の計画と日を入れ替えたのだった。しかし、早く着いてしまった頂上で八ヶ岳の雲が取れるのを1時間ほどは待っていたが、結局、蓼科山がほとんど現れたくらいで、八ヶ岳本峰の雲は取れなかった。

帰りは北からの参道を下る。数年前にも一度歩いた径は、滅多に歩く人がいないらしく、踏跡が消えかかっていた。落葉の下の土が雨で湿ってすこぶるすべりやすい。すべりますよ、と注意をうながしている自分が足をとられた。

しかも足のとられかたが悪かった。高校生の時に痛めて以来、左の足首は弱点なのだが、そこをすっかりやってしまった。靴の中で足がみるみる腫れてくるのがわかり、ただごとではないと思う。しかし下らないわけにはいかない。借りた杖を両手でついておそるおそる下って行った。なんでもない径がおそろしく険しく感じる。おそらく普通の5倍くらい時間がかかったのではないだろうか。

それでも小さい山だったのは幸運だった。なんとか車道へ出て、車で迎えに来てもらい、そのまま病院に直行した。車いすで病院に入り、出てくるときには松葉づえをついていた。骨折していたのである。

15年以上も続いた木曜山行では、これまで山中での事故はほぼないに等しかったが、ついに自分がする羽目になろうとは。しかし、自分で良かったとも思う。また、自分の身体の都合で中止にしたことのなかった木曜山行だが、これも来週からは中止にせざるをえなくなってしまった。
篠ノ井線廃線路跡を歩く(明科)

3月末の診断で骨折が順調に回復していることがわかったので、翌週には松葉づえも必要なくなって、もちろん車の運転もできるだろうと予測した。山を歩けるようになるにはまだ時間がかかるだろうから、自分が運転手役になって出かけられる適当な散策コースはないだろうかと考えた。

それで思いついたのが篠ノ井線廃線跡歩道だった。線路跡なら傾斜がゆるいから、あわよくば自分の歩行訓練もできると思ったのである。自分は歩けるだけ歩いて適当なところで車に引き返し、終点まで歩いた同行者を迎えに行けばいい。たまたまそれを計画したのが昨日の木曜日だったので、期せずして木曜山行の再開になった。

最近では木曜山行でも遠出はめっきり減ったから、安曇野へ行くのは久しぶりだった。この騒ぎのせいだろう、中央道を走る車はぐっと少ないように感じる。松本平に入ると、雲間に北アルプスの峰々が真白い姿を現し始めていた。

標高の高いほうを起点にして歩くことにしたので、終点に向かってはずっとゆるい下りが続く。しかし鉄路跡だけにほぼ平坦にも感じられる。当たり前だが地面はバラスト敷である区間が多く、これはちょっと足にはつらい。距離はだいたい6キロである。前日に片山を歩いて少々自信もついていたので、結局、最後まで歩いてしまった。

桜はところどころで満開になっている種類もあったが、概してまだつぼみだった。道沿いにケヤキが多いのは、地滑り地帯を安定させるために植林されたのだとか。今はまだ冬枯れの状態だが、葉が茂れば緑のトンネルのようになるのではないだろうか。

歩くにしたがって行く手に北アルプスが見えてきた。隠れていた常念岳が右端にあらわになったところでやっと蝶ヶ岳と大滝山が同定できた。ちょうど昼となったので、眺めのいい土手でこれらの山々を見ながら昼休みにした。春にこれだけアルプスが見られたら上出来であろう。下に見える山村風景とあいまって、いかにものどかな風景である。出発してから、昨日のゴール潮神明社までに見かけたのはたったのひとりだけだった。

篠ノ井線には思い出があって、とはいっても自分自身は松本から北へは一度も乗ったことはないのだが、学生時代、長野方面へ向かう友人を松本駅で見送ったことが何度かあったのである。調べたら、明科駅から西条駅へと長いトンネルを通る新しい線路が開通したのは昭和の終わりのことだから、見送った友人の乗った列車は、昨日歩いた道に敷かれていた線路をまだ走っていたわけである。

篠ノ井線について帰ってからネットで調べてみた。鉄道マニアではないから知らぬことばかりである。そんな学習も廃線路歩きの楽しみのひとつかと思った。何より、この険しい地形ばかりの島国に、一気呵成に鉄路を敷いていった明治時代のパワーには驚かされる。

浅間山・桜峠(市川大門)

芦川北側の稜線でも桜峠以西はずっと歩き残したままだった。桜峠付近は芦川に沿った集落の人々がかつて拓いた畑地の跡で、藪の繁茂がうるさく、そこから西もおそらくそうだろうと思っていたからである。いつかはと思っていたものの、ごく短い距離だからいつでも行けると思えばどうしても後回しになる。

ひょんなことで、この稜線が市川三郷町で開催するトレラン大会のコースになっていることを知り、それなら藪も刈り払われているに違いないと出かけたのは4年前の冬だった。行って見たら、藪どころか浅間山の西面は皆伐といっていいくらいにきれいに刈り払われており、なんとも広濶な展望が得られたのである。

すっかり気に入って、ごく軽い山歩きに最適だと、以来、早春、晩秋と繰り返し歩いている。ゴールをみたまの湯としておけば、間髪を入れず温泉ドボンなのだからこたえられない。

もとより暑い時季に歩くところでもないが、唯一、新緑をまだ経験していなかったので、こちらの足の状態にもちょうどいいだろうと今週の山歩きの行先とした。

前日、標高1000m以上には雪が降って、高い山々はさらに白くなっていた。やや霞み気味に白峰三山が盆地の西を限って並ぶのはいかにも春の甲府盆地の風景である。

浅間山の麓では桃の花もほぼ散り、代わって青葉が目に沁みる。登るにつれ、山肌には実に淡い緑のグラデーションにとりどりの色の山桜が混じって、得も言われぬ美しさである。

ワラビを摘みつつ登り、展望をほしいままに昼休みをした頂上直下の斜面ではノビルの収穫に精を出した。何度も休憩した場所なのにここがこれほどのノビルの群生地だとは気づかなかった。道の駅で売れば商売になりそうなくらいの上物があって、昨晩の酒の肴になったことは言うまでもない。

桜峠からは、観音様に出会える旧道は急なので足のために敬遠し、林道をぶらぶらと下った。

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