片山新年会(甲府北部

木曜山行では新年初めに山中で新年会をすることにしているが、今年は最初の木曜日が2日なので、ちょっと早すぎるかと思った。だが、毎年末年始をロッジ山旅で過ごしているお客さんや帰省している娘も、2日ならまだ参加できると考え、実施することにした。幸い、ご常連も都合がつく人があって、総勢9人とにぎやかになった。

宴会山行とはいえ、かつてはそこそこ歩いていたが、近年はあまり歩かずとも済むところに会場を探すようになっている。あまり歩かずに済み、安全で、日当たりがよく、できれば絶景が楽しめ、何より他の人がいないという条件は厳しいが、いろいろと歩いているうちにはそんな場所も見つかるものである。

元日には各々初詣も済ませているので省略して一路現地へ向かった。写真を見ればわかる人にはどこだかわかるだろうが、ちょっと核心部をはずすと他人に迷惑をかけずに騒げる場所がある。もっとも、我々は清遊を旨としているので乱痴気騒ぎなどしないのであるが。

飲んで食って語って、2時間ほどを山上の別天地で過ごした。とにかく太平洋側の冬の好天そのものなのがうれしい。正月の平和な甲府盆地を見下ろして気分も上々である。

岡谷高尾山(諏訪)

山村正光さんの『中央沿線各駅登山』(山と溪谷社)を読んでこの山の名前を知ったのは本が出版された93年のことだったが、初めて登ったのはそれから10年後、諏訪湖まで30分で行ける距離に住むようになってからのことだった。世の中にはごまんとある高尾山だから岡谷高尾山と書いているが、むろん地元ではただの高尾山である。

山腹に階段状に建つ家々の間をくねくねと細い道が通じていて、登山口を探して少々行きつ戻りつしたが登山口さえ発見できれば頂上までほんの20分である。そのとき、高尾山を経て塩尻市や辰野市の境界尾根をたどる歩道があるのを知ったので、これなら冬の軽い山歩きに使えるだろうと木曜山行で2度出かけたことがある(2006.2) (2009.1)。しかしそれもすでに10年前になって、そろそろ再訪してもよかろうと昨日の計画にした。

ロッジ山旅がある標高では降るなら雪が当たり前の1月には珍しい大雨もさすがに高山では雪で、八ヶ岳はいつになく真っ白になっていた。背景がすっきりとした青空なので余計に白が際立つ。しかし霧ヶ峰あたりの標高になるとほとんど雪は見られず、これではスノーシュー遊びどころではないだろう。

あっという間にたどり着く高尾山の頂上は岡谷の街並と諏訪湖を前景に八ヶ岳のすべてを眺める展望台である。折しも塩嶺トンネルを抜けてきた特急あずさが岡谷駅へ向かって走っていった。西日になる午後のほうが八ヶ岳は映えるので、逆コースで歩くのもいいかもしれない。

市界尾根に通じる車道に出たところは公園になっていて松本盆地や北アルプス方面の展望があるが、昨日はそちら側には雲が多かった。車道は冬季通行止めだからのんびりと歩ける。野鳥の写真家が何人もいて、どうやら車が通らない時季には観察の名所となっているらしい。枝垂れ栗自生地に建つ展望台でちょうど正午となって、暖かい陽だまりで長く昼休みをした。

小野峠から登山口に戻る径はこの10年のうちにすっかり廃れていた。葉の茂る時季ではとても歩けたものではないだろう。作業道やら林道がそこら中にあって惑わされるが、うまくそれらを活用すれば、とくに冬場には楽しく歩ける山域かと思う。
高烏谷山(信濃溝口)

先週の木曜山行の計画は浅間山だったが、伊那の高烏屋山に変更することにした。というのも、やまんばさん他名古屋の3人が参加することになって、山から下ったら帰名するというので、ちょうど名古屋に用のある私が、ちゃっかりと一緒に行ってしまおうと考えたからだった。ならば帰りがけに立ち寄れる山がよい。

名古屋にいては滅多に見ることのない富士山が望めて雪があまり積もらない山ということで浅間山を選んだのだったが、どうやらお目当ての富士もすっきりとは見えない感じの予報だったし、今年の寡雪ではどこに行こうがさほど雪の心配はない。やまんばさん以外は高烏屋山は初めてだというので、それなら問題なかろう。やまんばさんも登ったのはかなり昔で記憶もほとんど薄れているという。

午後からはちょっと雲行きがという予報だったので、展望があってナンボの高烏谷山だから少々心配していたのだが、まったくの青空でもないにしろ、冬空にくっきりとした山々の展望が得られたのである。

頂上が近づくとドローンが盛んに飛んでいる音がした。果たして頂上では10人近くの人たちがいて、訊けば地元のケーブルテレビの取材に地元民が協力をしているといった場面に出くわしたのだった。頂上に着いたばかりの私に、カメラマンが失礼千万にも片目でファインダーをのぞきながらインタビューしてきたので、嘘八百をかましてくれたらよかったのだが、なかなかとっさには対応できないもので、ついついまともな返答をしてしまったのは残念だった。

高烏谷山は地形図では「烏」だが、麓の高鳥谷神社をはじめ、地元の案内にある文字はすべて「鳥」である。これはどうしたかことかと考えていたのを地元民にただすと、伊那では「烏」駒ヶ根では「鳥」と書くのだとか。それでまぎらわしいことになっているのだとか。

撮影も終わりごろだったらしく、関係者がほどなく下って行ったあとは4人だけの山頂になった。中央アルプス方面にはまったくさえぎるもののない山頂だが、南アルプス方面のヒノキが大きくなって眺めを隠しつつあるのはもったいない話である。地元の人たちにそう言っておけばよかった。

名古屋への車窓からは、前日の雪で真白になった南アルプスが西日に映えて、ことのほかすばらしかった。

武田八幡神社~白山(韮崎)

都合により飯盛山の計画を次週の武田八幡神社近辺歴史散歩の計画と入れ替えた。好天ではあったが、八ヶ岳は終始雲の中だったし、何より風が強そうだったので入れ替えてよかったと思う。一方、韮崎西部の山裾では風もなく、高い気温とあいまって、神山町という地名がふさわしく感じられるような家並の間を歩くと、なにやら早春の古都を散歩しているようにも思われた。

武田八幡神社と白山神社を結んで歩くコースは、間にある白山が山城の跡だから、ごく短いながら山歩きが含まれる。この3日に初詣がてら出かけたのだったが、足の悪いIさんが一緒だったので、白山に登り始めたところで中止にしてしまった。それがちょっと心残りになったので、冬の木曜山行の計画に入れたのだった。

白山は、最後に登ったのが15年前では、写真に残っている頂上以外の記憶はほぼなかった。あらためて登ってみると掘割や建物の敷地の跡がしっかり残っていて興味深かった。武田八幡神社はむろん、白山神社もなかなか立派な建物だった。山からの展望はないが、里道からの展望はよい。八ヶ岳以外の山々はすっきりと眺められた。曾遊の山々を眺めながらぶらぶらと歩く気分はなんともいえない。少し下ると富士山が大きい。

人の往来のない山城、砦、狼煙台といったものを取り込めば軽い山歩きのコースは無限にあると思う。

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