金沢山~池ノ平(信濃富士見

今はなくなってしまったが、日地出版の登山地図は、昭文社の地図とともによく利用されたものである。その中の一冊に入笠山の地図があったのだからウソのようだが、かつては今以上に登山者が多くて需要があったのだろう。もっとも、ゴンドラで来る観光客を含めたら今のほうがずっと入山者は多いかもしれないが。

白籏史朗氏によるその昭和48年版を見ると、千代田湖から入笠山へとれっきとした登山道が入っている。現在の伊那市と茅野市、富士見町の境界尾根上である。

これに興味を覚えて、去年の晩秋、枯木山(三角点名・川西山)と金沢山をつまみ食い的に歩いてみた。これがなかなか良くて、今年は金沢山に加えて池ノ平付近をもっとさぐってみようと昨日の木曜山行の計画を立てた。去年は冬枯れに近かったので、紅葉が楽しめたらとこの時期にしたのだが、いつまでも暑い今年は、まだ錦秋というには早く、かろうじてツタウルシだけが紅くなっていた。

地形図を見るとわかるように、入笠山北部一帯の車道や実線破線の入り様は尋常ではなく、しかも地図にはない作業道など無限にあって、いかに古くから人に利用されてきた山かがわかる。それらをたどるなら、ハイキングコースもそれこそ無限に設定できる。

昨日は、金沢山に登ったあと池ノ平周辺を歩いてみて、公園の整備された遊歩道にまさる歩きやすさだと思った。そのうえ誰もいないのだからこたえられない。入笠山のてっぺんにはもう行きたいとも思わないが、北部山域には興味津々である。しかしその興味は、原始の自然にあるのではなく、あらゆる場所に人臭さが残っているところにあるように思う。

片蓋山~野尻草原(鳴沢)

大室山には何度も登ったから、今度はその上の側火山、すなわち長尾山、弓射塚、片蓋山をハシゴして登ってやろうと出かけたのは2017年の秋のことだった。ところが長尾山を登ったところで、やっぱり大室山に行こうよと考えが変わって、弓射塚、片蓋山は懸案として残った。https://yamatabi.info/2017i.html#2017i1

それがいつまでも懸案のままだったのは、弓射塚や片蓋山だけならあまりに簡単に終わってしまいそうで、ただそれだけを登りに遠くまで出かけるのももったいないと思ったからである。

今年5月の新緑に大室山に出かけたとき、変化をつけようと麓に広がる野尻草原を歩くコースを設定したが、そのとき初めてだった野尻草原がすこぶる雰囲気が良く、片蓋山にこの草原の散策を加えるなら半日コースとして楽しめそうだと思った。そこで秋の木曜山行で計画したのだった。

本業の都合で一日前倒しにしたら、地元の人たちは行けなくなったが、代わりに甲府盆地のWさんとIさんが手を挙げてくれた。合流して行くのにちょうどいい方向というわけである。

幸いなことにこの秋一番ではないかという好天の朝になった。前日の雨がひょっとすると富士の初冠雪になっているのではないかと思ったが、それはなかった。10月に入っても30℃になるような陽気では高山でも雪のたよりは遅いのだろう。

東側から取り付いた片蓋山は、径はないものの植林を縫って簡単に頂上に着いた。頂稜に出ると樹林は原始の雰囲気を漂わせる。火口底はどんなところだろうと下っていくと、大室山の明るいそれとは違って、こちらはぐっと幽邃な感じである。これは春と秋の季節の違いかもしれない。

下りは、北西の突起(猪ノツブレ)に向かって下っているつもりが、おびただしい倒木をよけていく間にかなり西寄りになっていたらしい。元に戻るのにかなりの遠回りをした。去年の台風のせいだろうが、場所によってはほとんどの木がなぎ倒されている。昼休みの場所を探していると、行く手に熊が走っていくのが見えた。少し緊張するが、後ろのおふたりがにぎやかだからよもやこちらへ来ることもないだろう。しかし、方向を少々変えて進み、弁当を開いた。

ようやく見覚えのある地点に出ると野尻草原まではすぐだった。この5月にはズミが満開だった草原はすっかりススキの穂で埋まっていた。残念ながら富士山は雲に隠れてしまっていたが、それだけに富士山麓を歩いているような気がしない。

富士山麓を彷徨うように歩いた5時間、誰一人とも出逢わなかった。

高登谷山(御所平)

10回以上は登っている高登谷山だが、この10年はご無沙汰で、しかも一般ルートにいたってはほとんど20年ぶりだった。

一般ルートを登らなくなったのは、新たに思いついたルートのほうが数段良かったからで、高登谷山に登るならこれに限ると思ったからだった。しかし、川上村のケモノ除けの柵が年々ほとんど収容所並の厳重さになって、自由に歩けなくなってからはおのずと川上村の山そのものから足が遠のいていたのだった。

たまにはと思って久しぶりに計画してみたが、念のため登下山口を調べに行ったら、案の定出入りができなくなっていた。施錠までしてあるのだから、ケモノがこちら側に来ないようにと同時に、人間には中に入ってほしくないということだろう。そこで、あらたに山を考えるのも面倒だし、久しぶりに高登谷山のてっぺんに立つのも悪くはないかと一般ルートを登ることにしたのだった。

高登谷山の一般ルートは情け容赦のない鉄砲登りで、勝負は早いが苦しめられる。もっとも、樹林の雰囲気は良い。予報は数日前より悪くなっており、それでも午前の早い時間に北峰の頂上に着いたら八ヶ岳をはじめ、まずまずの展望はあった。

南峰に移って早めの昼食を摂るうち、北方の眼下に虹がかかった。これは滅多に見られない虹だとシャッターを押しまくった。きっとたわらさんがここに写真を出してくれると思う。

南峰からは主稜線をわずかに進んだところから三鷹市の山荘へと下ったものだが、今では蕨市の山荘のほうへ下るのが主流らしい。これは下ったことがなかったので新たな朱線が引けたのは収穫だった。南峰への登り同様、傾斜は急だから、のんびり下るというわけにはいかなかった。

下り切ったところでポツリと雨粒が落ちてきた。

金ヶ岳~茅ヶ岳(若神子・茅ヶ岳)

遅ればせながら富士が冠雪したというので、できれば金ヶ岳や茅ヶ岳の頂上からそれを望みたかったのだが、残念ながらならなかった。しかし、朝方から今にも降りそうな空の色にもかかわらず、下山するまではもってくれたのは幸いだった。

Aさんは岡崎からの初参加、私のガイドブックを読んで、これは面白そうな人が書いてると、わざわざ前泊でおいでくださった奇特な人である。書いた本人に実際に会うと期待が裏切られることは間々あることで、謹厳実直と言えば聞こえはいいが、石部金吉を絵に描いたような私を見てさぞがっかりされたことであろう。

そのAさんと静岡からのご常連Fさんに地元勢3人を加え、計5人での縦走は、天気のせいで誰ひとりにも出逢わないという、人気の山域にしては珍しい独占の1日となった。私は金ヶ岳の登山道を下ったことは何度もあるが登ったのは初めてで、その記憶もすでに不確かだが、頂上直下の少々険しい岩尾根をまったく覚えていなかったのは若さゆえだったのだろう。

金ヶ岳から茅ヶ岳の稜線を歩くのはほとんど20年ぶりで、石門以外の記憶は薄かった。雨を心配して茅ヶ岳の頂上までたどり着いたところで遅めの昼休みとした。金ヶ岳の稜線では冷たく吹いていた風も頂上ではやんで、のんびりと過ごすうちにはときおり雲が流れてまわりの山や下界も眺められた。

猪の掘り起こし、落葉、そしてあまり踏む人がいないので、千本桜への下山道は判然としない部分もあった。この山域の一般道でもっとも樹林の美しい径だと思う。千本桜からは、もうほとんど径とはいえない踏跡を一気に降りて、デポしてあった車に戻った。山中8時間弱、最近の木曜山行ではかなりハードな1日だった。

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