桜峠〜天狗山(塩山

3年前の2月、木曜山行で桜峠から八幡山に登ろうとして、林道をしゃべりながら漫然と歩いていたら桜峠の分岐を行き過ぎてしまった。八幡山に登るには桜峠経由である必要はないからわざわざ戻ることもしなかった。

それで現在の桜峠への峠道がどうなっているのかに興味があって、天狗山に登ることを思いついた。木曜山行で天狗山に行ったのは9年前のことで記憶も薄れている。桜峠には北側から登ったことがないからすこしそれも考えたが、真冬の北斜面というのもいかにも暗そうなのでやめた。

さて、桜峠の道はさらに荒れていて、上部ではほぼ廃道といってよかった。この時季だから何とかなるが葉が茂れば苦労することだろう。上記のたわら写真集からリンクしている、木曜山行で帯那山から縦走して桜峠に下ったときの写真集には、さらに横山さんの桜峠の写真がリンクしてあって、新しいコンクリート舗装の道が見える。畑も現役のようだ。2007年の写真にはまだ足元にその舗装が見える(それにしてもこのときのなんと参加者の多かったことよ)。

今ではおそらくその上に長年の腐葉土が堆積しているのだろう、まったく舗装された部分など見えなくなっている。峠直下まで開墾された段段畑も耕作放棄されて久しい。

さて、桜峠の直下で山歩大介さんが、峠道に入るところで休んだときカメラを置き忘れたことに気づいた。天狗山からは南に下るつもりだったが、ならば往復行程にして帰りにカメラを回収しようということになった。

しかし天狗山から桜峠に戻るということは登り返しになってしまう。この行程での最高点は900m峰だが、そこから見下ろす天狗山は随分低く見え、またこれを登り返すのが嫌になってしまった。

ちょうど下界で正午のサイレンもなった。すぐ手前に伐採で富士の眺めがいいところがあったので、ここから引き返してそこでお昼にしましょうよと提案したら、さすが健康登山の面々に反対する人はいなかった。

展望を楽しみつつさんさんと陽を浴びて長く休んだ。甲府盆地を巡る明るい山々の冬の愉しみはこれに尽きるのである。

桜峠からは、地形図の未知の破線をさぐったのち、急斜面を適当に下ったら、うまい具合にカメラを置き忘れたはずの地点のすぐ近くに出た。カメラも無事回収でき、帰りがけには先週に続いて大展望の露天風呂に浸かって大団円となった。


獅子平〜白砂山(甲府北部)

吉沢から金桜神社にいたる尾根道は御嶽外道と称し、荒川に沿う新道開削(現在の昇仙峡探勝路)以前は金桜神社への第一の参道であった。その参道も廃道に近い部分もあって、しかし別に並行して自然歩道が拓かれているので、ことに長潭橋から金桜神社まではすばらしいハイキングコースとなっている。そこで私が担当しているガイドブックが新版になったときに新たに羅漢寺山塊としてコース案内を加えたのだった。

それだけの歴史がある径筋に石造物がほとんどないのは不思議なことで、おそらく廃仏毀釈の時代にでもことごとく片付けられてしまったのではないかと想像している。2年前に歩いたとき、一緒だったすがぬまさんが、足元にころがっていた岩が石像の首なのに気づいたのは大発見といってもいいと思う。私が、目につきやすいように大岩の上に設置してきたので、ここを歩くハイカーは外道ノ原の上部で見ることができるが、このような石造物がかつてはもっとあったに違いないのである。

たとえ錦秋の時季でもパノラマ台付近の雑踏さえ我慢すればあとは静かに歩けるのが羅漢寺山塊のいいところで、しかしそれでもわざわざ人の多いところには近づきたくないと、旧道をたどって白砂山をゴールにすることが多い。

さて、昨日は猪狩山の予定だったが、この山は猪狩集落の裏山だというので私が名付けた山で、本当の名前はわからない。かつて麓で尋ねたことがあるが住人も知らなかった。猪年だというので苦し紛れに計画に入れただけで、かつては頂上が伐採されて展望が良かったから登る価値もあったが、今では檜が育ってそれもはかばかしくない。

そこで白砂山の一段下にあるテラスを探ってみようと出かけた。信玄棒テラスから見ると、なかなかそこも素敵なテラスに見える。もとより一般道があるわけではない。白砂山の頂稜から、まず私が活路を見出そうと下って行ったが、ひとりならまだしも人づれで行く傾斜でもなく、花崗岩の根元を縫って下れば行けなくもなさそうだったが、登り返しが相当な苦労だろうと潔くあきらめて白砂山で終わりとした。

台風のよる倒木はこの山でもひどく、ことに旧道では行く手をしばしば邪魔されたが、終始誰にも逢わないまま、静けさに満ちた陽だまり山行を終えた。

大平(長坂上条)

藪の湯の南西側の裏山に広大な平坦地があるのを地形図に見つけて、どんなところだろうと行ってみたのはもう13年前のことである。地形図ですぐ東側にある甲斐駒カントリークラブと較べてみればよい。木を伐採し芝をはればそのままゴルフ場になりそうな広さと傾斜である。この地を大平というのを知ったのはその後のことだが、何で知ったのかをすっかり忘れてしまった。ちなみに藪の湯へ行くときに渡る大武川にかかる橋は大平橋という。

たどり着いた平坦地には屋根の落ちた建物があって、かつての作業員用宿舎、要するに飯場の跡かと思われた。あたりにはおびただしい数の一升瓶がころがっていた。こんなところに寝泊まりしての作業では唯一の楽しみだったのだろう。

こんな建物があったのなら麓からの道があるに違いないと探ったら果たしてあって、これなら誰でも登れると、その翌年5月に緑陰の宴というのをここで催した。10人以上が集まって、山の上まで酒や料理を背負いあげて大宴会をしたのだから皆さん元気だった。

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金曜日に順延した木曜山行はおとみ山しか参加希望者はなかったが、それもそのはずこの冬初めての積雪になるというので、なかなかそんな気なれなかったのだろう。そこで、おとみ山の好きな尾白の湯で雪見風呂としゃれこもう、しかしそれだけでは山行にはならないから、行きがけの駄賃に立ち寄っていこうと思いついたのが大平だった。12年前の大宴会にもおとみ山は参加していたのだが例によって忘却の彼方らしい。

ロッジ山旅のあたりで積雪20センチというところか、家のまわりの雪かきを小1時間してからの遅い出発だった。降雪直後の晴天で現地へ向かう車窓からの光景はすこぶる見事である。

12年ぶりともなれば記憶などほとんどなく、これだったかなと思って入った道は、間伐用に拡幅され、しばしば分岐が現れ迷路のようになっていた。雪のせいでさらにわかりにくい。

途中で少々迷ったものの、山勘を最大に発揮して、なんとか古い径を発見、無事大平にたどり着いた。西に向かっての広大なゆるい傾斜地はなにせゴルフ場並で、それが新雪で埋もれているとあっては、ちょっとこんな低い山中では見られない風景である。

またここで宴会でもしたいものだという話になったが、さて実現できるかどうか。

大平付近では30センチくらいはあった雪で登りには少々苦労させられたが、帰りはそのおかげで足任せにぐんぐんと下ることができた。下山後に行った尾白の湯、寒いから露天風呂はほぼ貸切のようなものだった。ドボンと浸かったら、さすがに身体が冷えていたらしく、湯がジンと染みた。

斑山(若神子)

安曇野の山に北アルプスでも眺めに行こうかと計画した光城山と長峰山だったが、参加人数が少なくては遠路は無理だし、雪白き山々の展望が楽しめるようなすっきりとした青空が拡がるわけでもなさそうだ。そして参加者に早く帰宅したい都合がある人もいたので地元の山を物色した。

車を出してくれる人があったので縦走がいいだろうと思いついたのは毎度おなじみではあるが斑山だった。初めての人もいるし、初めてでなくとも変わった経路を使えば新味もあるだろう。北から登って西へと下ることにした。

数えきれないほど登った斑山だが山中で他の登山者に会ったことはない。しかし今回は下山中に東側から登ってくる二人組がいた。へえ珍しいとよく見たら旧知のFさんたちで、なんだ同じ穴のムジナだったかと笑った次第。

下から見ればどうってことのない斑山も、山中に入ればなかなか奥深い、今回は下山中にまだ歩いていないはっきりした踏跡を見つけた。次の機会にはこれを歩いてみようと思う。

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