縦尾山(瑞牆山

参加予定者が体調不良により次々に脱落、結局おとみ山だけになってしまった。予定していた大明神山は、数年前の未曽有の大雪の年に、これなら地元でスノーシュー遊びができると出かけたことがあり、そのときにおとみ山は参加していたから、ならば初めての山が良かろうと縦尾山を思いついた。

縦尾山は、横尾山、斜尾山と合わせて横尾三山と呼ばれているが、そう呼んでいるのは私だけなので誰も知りはしない。数年前の初冬に名古屋のNさんと登り、これはなかなかいい山だ、ツツジが多そうなので新緑にでももう一度来てみたいものだと計画したことがあったが悪天で流れていた。

尾根に取り付こうと林道から這い上がったところが美しい林で、そこにチャナメツムタケが群生していた。このキノコはそんなに珍しいわけではないが、一ヶ所にこれだけたくさんあるのは初めて見た。これ幸いとおとみ山と収穫し、お互いの袋が一杯になってもまだ採り残しがあったくらいである。

途中に岩場が続くやせ尾根があって(上の中央の写真で、正面右の丸い山頂が縦尾山)、そこからの金峰瑞牆や南アルプスの展望がすばらしいのだが、昨日はあいにく遠望がきかなかった。その先にある岩場のギャップは前回には無理やり突破したのを、いったん戻って大回りした。ぐずぐずの斜面の足場の悪さには少々苦労したけれども、安全第一である。

ちょうど正午には山頂に着いた。こんなところに来る物好きは滅多にあるまい。半年ぶりに犬のココを山に連れて行った。ふたりと一匹の山頂であった。

山の幸の収穫、誰もいない静かな尾根や山頂、そして最後は丈の短い笹原を下る快適さ。これぞ健康登山である。早い時間には終わって温泉にドボンとなった。


大菩薩嶺(大菩薩峠)

大菩薩連嶺には東に派生する稜線が何本かあって、一般路としては牛ノ寝通りがまず第一であろう。ところがこれはマイカー登山では計画が難しく、ずいぶん前に松姫峠から大マテイ山までは往復したが、それから先、石丸峠への稜線は歩かないままだった。

松姫トンネルの開通によって小菅から大月へのバス便ができ、秋のみは平日に上日川峠へのバス便があるのを知って、これらを利用するなら、かねて泊まってみたいと思っていた介山荘に一泊して縦走ができると初めて計画したのは3年前だったと思う。悪天だったか人が集まらなかったかで中止になってしまい、今年こそはとまた計画したら、こんどは山小屋の都合で一日延ばさざるを得なくなり、参加予定者が3人脱落、山歩大介さんとのふたり旅になってしまった。

甲斐大和駅からバスに乗ったのは20人くらいだったろうか。最初は終点まで行くつもりだったが、泊りだから時間はあるし、同時に歩きだして抜きつ抜かれつするのも面倒だと小屋平で降りた。

上日川峠の駐車場は紅葉の盛りとて平日でも満杯で、時間が遅いから出発する人もあれば、はや下ってくる人もいる。時間が有り余る我々は、ひたすら休み休み歩く。富士山は少々薄い姿だが、雲をまっとってなかなか良い姿である。南アルプスは北岳がなんとか雲の中に姿を見せていた。

雷岩で長く休んだのち頂上を往復した。ほとんどの人が先に大菩薩峠から登って唐松尾根を下っているようだが、どう考えても逆コースのほうが理にかなっているように思う。

雷岩に戻ったら2時で、人影もなくなっていた。ひたすらゆっくりと峠へと下る途中も、すれ違った人はひとりだけだった。

介山荘では平日はご主人の益田さんがひとりで切り盛りしているということで、個室でまかなえる人数しかとっておらず、我々も清潔な個室をあてがわれた。小屋が改装してすぐに横山厚夫さんたちと立ち寄ったとき、今度は泊まりで来ますよと言ったのがようやく実現したわけである。なんとそれが11年前のことなのだから驚いてしまう。以来、年賀状のやり取りだけは続いていたから益田さんも私のことは憶えていてくれて歓待を受けたのだった。

部屋で休んでいると、ブロッケンが出てますよとのご主人の声に外へ出た。このブロッケン現象は随分長く楽しめた。

この夜の泊まりは11人、夕食時にはまず全員にワインが配られ、ご主人の乾杯の掛け声で始まった。なるほどこの小屋はそういったノリなのか、ならばおおいに飲りましょうとなるわけだが、少々胃具合が悪くて調子が出ないまま部屋に戻って消灯前に寝てしまった。

介山荘は山小屋というよりは民宿旅館といった風情で、山小屋が苦手な私でもこれならまた泊まりたいと思った。
牛ノ寝通り(大菩薩峠・七保・丹波)

一泊二日の山小屋泊まりの場合、焦点は翌日にある。予報では悪くないはずだったのが、しかし霧の朝となった。したがって朝の甲府盆地方面の展望は楽しめなかったが、まあ、それは今までに何度も見た風景だから良しとしよう。問題は初めて歩く牛ノ寝通りであった。

9時頃には雲も取れるでしょうという朝の予報だったが山の霧はなかなか晴れなかった。まあしかし、それならそれで幻想的な風景をたっぷりと楽しめたのだからこれも良しとせねばなるまい。霧の中でも樹林の良さは聞き及んでいたとおりで、次々に現れるブナなどの巨木には圧倒された。旧くからの径らしく急なところもうまく傾斜を抜いてあり歩きやすい。いったん急に下ってからは、稜線上の突起はほぼ南から巻いて下るともなく下っていく。介山荘の泊り客のほとんどがこの牛ノ寝を下ると言っていたが、少し我々が早く出たので追いついてくる人はいなかったし、結局、小菅に下るまでに誰一人他の登山者とは出会わない、実にしっとりと静かな尾根歩きだった。

大マテイの手前の鞍部に着くころにはかなり空も明るくなって枝越しに遠い稜線も見えるようになっていた。大マテイまでは登って松姫峠からの朱線をつなげるつもりだったが、小菅への長い下りを考えるとそれも面倒になってそこから下ることにした。

すでに疲れた足には小菅までの600mを超える標高差を下るのはきつかった。下りきってドボンする予定だった小菅の湯は残念ながら休館日だったので、丹波山の温泉に行くことにしていた。小菅道の駅で昼食後、車で峠を越えてのめこい温泉に浸り、2日間の疲れをいやした。

これはぜひとも新緑の時季にもう一度行ってみたいと思った牛ノ寝通りだった。春はバス便がないのでどうにかうまい方法を見つけたいものだ。

耳石(茅ヶ岳)

この秋は天候に恵まれなかったが、今週ばかりは晴天の予報がずらりと並んだ。秋も盛りで山歩きには最高の日和が続く。ところが木曜山行に参加予定の4人が4人とも都合が悪くなったという前代未聞の椿事が出来、これは何かの祟りかもしれぬ、この好天に家にいて指をくわえているわけにもいかないと、一人だけでも厄払いに山に出かけることにした。

金桜神社から猫坂を越えると黒富士から落ちる燕岩岩脈の向こうにおそろしくすっきりした三角錐が見える。マウントピア黒平の藤原さんに訊くと、「耳石」と呼んでいるとか。しかしこの山は乾徳山と同じように一方向からだけの美人で、他の方角から見るとまるで違う姿である。いずれは登ってみようと思っていた。

ネットや本で2.3登った話を読んだが、いずれも黒平からである。黒平まで行くのが億劫なことと、北側から登るならかなり車で接近できて楽ができるだろうという計算もはたらいて、木賊峠あたりから取り付いてみることにしたのである。

木賊峠へ行くなんて何年ぶりだろうか。落合から峠へと登っていくと、半分くらいは散ってしまった色とりどりの葉が林床や車道を埋めて、これはむしろ散る前よりも美しいのではと思う。

木賊峠の東側の山を便宜上「木賊峠山」と呼んでいるが、その北側を通る車道のさらに北側が大伐採してあって、瑞牆金峰の大展望が得られるようになっていた。問題は前景の送電鉄塔と送電線だが、鉄塔が落葉松にうまく隠れる。午前中の光線だと送電線が目立たないが午後だと目立ってしまう。写真を撮るなら朝のうちかもしれない。

さて肝心の耳石だが、標高差はもちろんないが、主稜線に着くまで足場の悪いトラバースや沢歩きが連続し、これはちょっと健康登山という代物ではないと思った。帰りは方向を変えてみたが、同様に相当厄介だった。稜線に乗ってしまえば美しい雑木林が続いてのんびり歩ける。ブナの大木が何本もあった。しかしこれもスズタケが枯死しているおかげで、旺盛な頃ならとても突破できなかっただろう。

最高点あたりでは花崗岩が次々に現れ、シャクナゲに邪魔される。最高点から少し下ったところでやっとすっきりした展望が得られた。そのまま下るともっといいところがあるのかもしれないが、そこで終わりとした。

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