殿来場(長坂上条

参加者がおとみ山だけなら何も遠い浅間山まで出かけることもないと考えて、殿来場(とのぎっぱ・とのきっぱ)を思いついたのは、この週の月曜日に真原の桜並木に出かけて5分咲きくらいだろうかと見たからだった。

それから2日間は初夏のような陽気だったから一気に花が開いただろう。ならば、もう散ってしまったかもしれない桜峠の桜を見に行くよりは、行きがけの駄賃で真原を見学できる殿来場が良かろうと思ったのである。

行きがけの通り道なので、これもつい2日前に行ったばかりの神代桜の横も通った。少しの駐車でも金を取られるので通過するだけである。2日前には朝のほぼ同じ時間ですでに人があふれていたのに、人出は5分の1くらいに思えた。散り始めだとはいうもののまだまだ楽しめるし、何より今朝は甲斐駒がくっきりとしているのにどうしたことか。

真原は予想どおり満開だった。山歩きの前にまず桜見物となった。こちらも、そんなに早朝でもないのに人出があまりないのは、早すぎる満開に予定していた人が間に合わないのかもしれない。殿来場なら急ぐこともない、桜を前景の甲斐駒やアサヨ峰の撮影会となった。


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殿来場に行くのは、私の誕生日にこの山でお祝いをしてもらった2005年以来だというのだから13年もご無沙汰だったわけである。そのときにも一緒だったおとみ山は山の記憶どころか、そこで酒盛りをしたこともまったく覚えていないとか。

それにしても殿来場だけではあんまりなので、その先の1062mピークまでは登ってみることにした。遊歩道の整備された殿来場から先も藪もなく歩きやすい稜線だが、どうも地形図と私の感覚が合わない。しばし現地で考えたがよくわからなかった。地形図がおかしい可能性がある。

それはともかく、ミツバツツジの花の早さと多さには驚かされた。今年は下界でもそうだが、花という花が一挙に咲いている。こと北杜市には限らないだろうが、まずめったにない花盛りで、とにかく梅もコブシも桜もあらゆる花が一斉に咲いている。神代桜や真原にこだわらずとも、そこここで無数の桜が咲いていて、その花の量も半端ではない。山を歩かずとも車で通るだけでもすごい。

昼前には下って、これも桜の花盛りの万休院の裏山に登って昼飯を食い、久しぶりに武川のOさんのご機嫌を伺ったあと尾白の湯にドボン、湯上りに性懲りもなく、台ケ原の桜まで見物し、花漬けの一日を終えた。


乾沢ノ頭(雨竜山)(谷戸)

今年は木の花の当たり年で、ならば津金の山はミツバツツジがすごいだろう、絶好の機会の今を逃すわけにはいかない。と、トヤンハチから変更したのは、ちょうどSさんから乾沢の頭のリクエストがあったからでもあった。

この山に初めて登ったのは2000年2月、八ヶ岳南麓でペンションを開業できないかと算段していた頃だった。それまで一度も泊まったことのなかったペンションというものに泊まって、先達の話を聞いてみようと、甲斐小泉のペアハットを予約した。その行きがけの駄賃に近所の山に登ることにしたのが、津金の主要な山では未登だったこの山だった。

最近では2011年の暮れに納会の日の山に選んだのが最後(http://yamatabi.info/tawara-20111226.html)だから、もう7年のご無沙汰だったわけである。要するに、小粒な山だから一日を費やすにはちょっと物足りないのである。そこで今回は周回コースを設定して、多少は時間がかかるようにした。

ひょっとしたらちょっと遅いかなと心配していたミツバツツジは至るところ咲いていた。やはり津金の山はツツジの山である。頂上付近では北向きの花はまだつぼみだった。大尾根越路では、12年前のすさまじいまでの花の数はなかった。当時よりツツジの木自体が減っているように思う。

風の強い日だったが春の風で、汗をかかずにすんだ。今年は芽吹きも早い。出発点に戻るころには朝方よりずっと緑が濃くなっているように思った。春の山を満喫した半日だった。

大見山(諏訪)

大見山に初めて登ったのは東日本震災の翌週だったという意味でよく覚えている。http://yamatabi.info/2011c.html#2011c3 

それから何度も訪れたが、いずれも蓼ノ海からの遊歩道を歩いただけで、登るというほどのことはなかった。その後、この山に下諏訪の北からいずみ湖公園を経て登る道があるのを知り、あらためて地形図を眺めた。

すると、これは使えそうだという周回コースが見つかった。まあ、地形図を読み慣れた人なら誰しもが思いつくルートで、すなわち諏訪大社下社の東、若宮神社の裏手から大見山へと北東に延びる尾根を登る方法である。帰りには一般道を下れば、いずみ湖からの下山道がいったいどこを通っているのかを調べられるという興味もある。それが昨日の計画となった。毎度のぶっつけ本番である。

雨天あけの澄んだ青空が拡がった。高山では新雪が降ったらしい。諏訪へ向かう車窓からすでに豪華な展望である。奇しくも先月の茅ヶ岳の尾根下りとまったく同じ布陣となった。今回はしっかり登ることになる。

車を使っていると、すぐに山道ということになりがちで、たまには街を抜けて山に近づいていくというのもいい。出発点が諏訪大社であればなにやら幸先がいい。急な斜面の住宅地を登っていくとみるみる諏訪湖が眼下になっていく。先般、私は宇野浩二の『山戀ひ』を悪文に苦労して読んだばかりで、その舞台はこの近辺だから、ちょっとその部分を読み返したくなった。

若宮神社の裏手から、丈の低い竹藪の突破がわずかにあったが、稜線上に建つ送電鉄塔からは歩きやすくなった。地形図で地形はわかるが、実際に行ってみないと地面や樹林がどんな様子かはわからない。そして、この稜線は出色であった。傾斜がゆるく広い尾根の地面はあくまでやわらかい。広葉樹が多く、その樹林越しに諏訪湖が常に眺められるのは葉の落ちた季節ならではだろう。道標さえあれば、すぐにでも立派なハイキングコースになりそうだ。

傾斜はゆるいが、その分距離は長い。足場の悪い急登も2度あって、ことに頂上直下では苦しめられた。少々遅い出発だったということもあって、頂上の展望台に着いたのは13時をまわっていた。

諏訪湖畔からも指摘できる、えらく金のかかった展望台からは、これまででもっとも好天だったせいで、見えるべき山はすべて見られたが、残念ながら春の午後とて霞んでいた。それにしても、この眺めは相当な豪華さで、南や中央アルプスは言うに及ばず、御嶽山、乗鞍岳、そして北アルプスの槍ヶ岳以南が一望のもとであった。今までこんな好天に来たことがなかったので、ここまで見えるとは思っていなかった。空気の澄んだ好天の日にでもまた来たいものである。

下山道は私の想像していた径筋とは少し違っていた。道標はきちんとあるものの、さほど歩く人があるようには思えなかった。いずみ湖公園からはほぼ沢沿いの径で、すでにニリンソウが咲いていた。地面から出たばかりのクリンソウが多く見られたので、その花期には見事に違いない。

そんなつもりはなかったが、蓼ノ海から霧ヶ峰までは木曜山行でも歩いているので、下社から霧ヶ峰までの朱線がつながったことになる。

丸山(諏訪・鉢伏山)

九鬼山はたわらさんのリクエストで計画に入れたのだったが、人数が集まらないので近場の山に変更することにした。九鬼山はごく一般的な山だから、その気になれば誰でも登れる。近くで未知の山に行ってみましょうよとたわらさんには了承を得た。

とはいえ気軽に行ける未知の山などそうたくさんはない。と、頭に浮かんだのは下諏訪の丸山だった。地形図に名前のある山だから前々から気にはなっていたのだが、先週お隣の大見山に登って、がぜんこの山のことも思い出されたのである。今ではパソコンの画面でシームレスに地形図が見られるが、国土地理院の地形図では「鉢伏山」の端っこにあって、見逃されがちな山である。

電子国土の地形図では破線実線入り乱れて複雑怪奇だが、紙の地形図で見る分にはすっきりしているのは不思議である。丸山に登る方法は多々ありそうだが、大見山がわりと長い登りだったので、今回は散歩程度にし、山の北東にある神社記号だけは通るように経路を考えて出発した。

実にさわやかな日だった。まだ4月だが五月晴れという言葉がふさわしい。地形図の破線にはない作業道が錯綜して少々行きつ戻りつしたが、まずまず予定どおりの行程を終えた。途中の神社記号は御射山社で、霧ヶ峰の御射山と関わりがあるという。たしかに、この神社から尾根をたどれば霧ヶ峰にたどり着くのである。社殿はこぢんまりとした新しいものだが、500mに及ぶという参道には池もあったり、杉や檜の並木はかなりの大木で歴史を感じさせた。

広い山頂にぽつんと三角点があるだけの頂上でのんびりと昼休みをした。樹林越しにわずかに諏訪湖が眺められる。何の変哲もない、だだっ広い頂上は好きだから、また登り方を変えて訪れてみたいものだと思った。

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