八千穂高原〜剣ヶ峰〜白駒池〜麦草峠(松原湖・蓼科

夏に好天が少なかったせいか、木曜山行の好天も久しぶりのように思われる。空はすっかり秋の青さであった。小淵沢駅でFさんと合流したのち麦草峠へと向かう車窓には槍穂の峰々も見えている。

数台のバスから降りた人々でごった返す麦草峠の駐車場を横目に、そのちょっと先に自転車をデポする。平日にこれだけの混みようでは、週末が思いやられる。

麦草峠に自転車をデポしたのは、当初、ゴールを白駒池にしていたのを、どうせならついでに麦草峠へと行程を延長したからであった。八ヶ岳主稜線に登り着いて終わりというのもキリがいい。この界隈はさんざん歩いてはいるが、白駒池から麦草峠への径を歩くのは私には四半世紀ぶりでなんの記憶もないから、その興味もあった。

八千穂高原へ500m下り、それを登り返すことになる。八千穂高原から剣ヶ峰へは、スキー場の草原から黒木の森、そして展望の頂上と変化に富んでおり、麦草峠や白駒池が混んでいる日でも静かなのが何よりである。昨日も出発以来、白駒池までに出会ったハイカーはたったのひとりであった。

昼休みとした剣ヶ峰の頂上では、おとみ山の誕生日が前日だったというので、お祝いの食品の数々が同行のSさんたちから提供された。御年は明らかにしないが、どんな山でも、若手?に混じって、勝るとも劣らない登りっぷりなのだから恐れ入るしかない。人の誕生日にはまるで無頓着な私は恐縮してお祝いに便乗した。

剣ヶ峰からいったん下った信濃路自然歩道は国道299号に出るが、しばらくそれを歩かされるのは道の設計上不思議なことで画竜点睛を欠く。しかしそれを我慢すれば、再び入った白駒池への歩道の雰囲気は、これこそ北八ツといったすばらしさである。

やがて白駒池畔に至れば、池の周遊道の細い木道を観光客とのすれ違いに気をつかいながら歩くことになる。今年はJRのキャンペーンのせいで特に人が多いのだろう。

麦草峠への径に入ればそれもぐっと減る。「黒曜の森」と看板にあるので地面を見ながら歩くと、大きな黒耀石がゴロゴロとあった。森を抜けると笹原に出、行く手に麦草ヒュッテの赤い屋根が見えた。


池のくるみ〜カボッチョ〜伊那丸駐車場(霧ヶ峰)

霧ヶ峰のような、車道の通じる有名な観光地でも、人が集中するのはごく一部で、さがせばすぐ近くに無人境があることが多い。霧ヶ峰では、高原台地に麓から至る稜線のほとんどがそうだし、台地上ではカボッチョがその代表であろう。地形図では「ガボッチョ」と濁っているが、私は霧ヶ峰にもっとも詳しい手塚宗求さんに従って「カボッチョ」としている。

8月の終わりに行ってからひと月たつが、ススキの穂から赤みがなくなり、さらには勢いもなくなって、分けて歩くのも楽になっていた。空はすっかり秋の空で、空の下には早く通り過ぎてしまうのがもったいないような四囲の展望がある。

ちょうど正午に頂上に着いた。木陰のない頂上では真夏なら長居はできないが、涼しい風も吹いて、陽ざしを浴びていても我慢できなくはない。Sさんが二枚の絵を描き上げるまで1時間半近くも展望を満喫した。ビーナスラインを通るおもちゃのような車がゆっくり移動していくのが別世界のことのように思える。

カボッチョのふたコブを縦走してゴールは伊那丸駐車場にした。カボッチョから先は私にとっても初めてのルートだったが、カボッチョから急に下ると道が現れるので、あとは歩きやすいその道をぶらぶらと緩く登っていくだけだった。振り返ると西日に光るススキの海のむこうに意外なほどカボッチョが高く立派に見えた。

八子ヶ峰(蓼科・蓼科山)

金曜日に順延して都合がつきそうなのはおとみ山だけなので、横尾山界隈の無名のピークにでも登ってみようかと考えていたが、梟マムさんが夜行バスが取れたので参加したいとの連絡があって、方針が変わった。

大阪からわざわざ来てくれるというのに、変な山でヤブを漕ぐこともない。快晴が約束されているのだから、八ヶ岳南麓で何年も過ごしたことのあるマムさんにとっても曽遊の山々が眺められる山がいいだろう。そこで、早朝着のマムさんと高速バス停で合流、そのまま八子ヶ峰へ行くことにした。

八子ヶ峰を歩くにしては早い到着だったのが幸いしてか、東急リゾートからの馬蹄形コースをのんびり歩いて、見かけた人はたったの5人だけだった。北アルプスのみ少々雲がかかっていたものの、それ以外、見えるべき山をすべて見ながら稜線の漫歩となった。当然、歩いているよりは休んでいる時間が長い。

思いっきりゆっくり歩いたが、それでも午後早くには登山口に戻った。その帰り道、車の窓からやたらとヌメリスギタケモドキが目について、山の幸のお土産までおまけについた好日であった。


屋根岩(金峰山・居倉)

調べてみたら屋根岩に登るのは4回目で、しかし12年ぶりでは写真で見る以外の記憶はあいまいであった。まあ、それでも現地に行けば思い出すだろうと楽天的に出かけた。

だが、やはりそれは楽天的過ぎるというもので、現地で見覚えのある場所に出たとたん、ああ、ここだここだと、ろくに地形図を確かめもせずに踏跡に入ったのがそもそもの間違いであった。とにかくクライマーやボルダーの踏跡が無数にあるし、彼らのつけたマーキングもまた無数にあるのだから、それにつかまるととんでもないところへ連れていかれる。

標高差はさほどあるわけではないので、とにかく稜線まで上がってみようと、大岩を縫ってなんとか稜線にたどり着いたのはいいが、そこは右も左も絶壁の鞍部で、これではどうしようもない。自分の間違いに気づいたのは、そこでやっと地形図を詳細に見直したときだったのだから参加者の皆さんには申し訳ないことだった。そこで、いったん下って仕切り直すことにした。こんな山は下りのほうが難しい。慎重に下り、大岩の下でまずは腹を満たした。

ひとくちに屋根岩といっても、岩の集合体だからどこがそれを代表する場所かというのは難しい。一応その稜線には立ったのだから目的は果たしたようなものではあるが、やはり最高点というのは山にとっては大切で、目標としていたのも、今まで登ってきたのもそこなのだから達しなければ自分自身が不満である。

そこで岩の根元まで下ってから延々と斜上を開始した。そしてやっと穏やかな稜線に達し、あとはこれをたどるだけだというところでまた勘違いをやらかした。左に行くべきところを右に行ったわけだったが、これは早めに気づいて後戻りし、ようやく目的の山頂に登り着いた。

遠回りをしたのが怪我の功名となって、午前中の曇り空がすっかり晴れ、このうえない大展望である。付近の岩には打ち込まれたボルトが見当たらないのは、もっと手近な岩でクライミングする人が多いからだろうか。去りがたい頂上で長い時間を過ごした。

さて、下りは12年前と同じく、北麓の武蔵野市立自然の村が整備した径を下るつもりであった。そうするとうまく周回コースになるのである。しかし、下り初めこそ踏跡ははっきりしていたものの、それもわずかでシャクナゲの藪に阻まれるようになってしまった。もうかなりの間、手入れされていないとみえる。林間学校のコースとして整備したものだったらしいが、子供を連れて行くには少々険しすぎるのかもしれない。

シャクナゲの藪は藪のなかでも始末が悪い。すでに日が小川山の稜線に隠れようとしているのを見てすぐに決断、あまり突っ込まないうちに戻ることにした。稜線に出、わりとマーキングの多い踏跡をたどればすんなりいくかと思ったら、そうでもなくて、途中からは適当になったが、標高差はないからそれもわずかな間で、廻り目平の歩道に出た。

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