杣添尾根〜横岳〜硫黄岳山荘(八ヶ岳東部・八ヶ岳西部

木曜山行では毎年9月の最初に大きな山へ小屋泊まりで出かけることが多い。言うまでもなく、小屋が空いているからというのがその理由だが、小屋が空いているというのにも当然ながら理由があって、夏休み明けだという以外にも、高山植物の花の全盛期が終わり、しかし紅葉にはまだ早いといった、要するに高山に登るには今一つ魅力に欠ける時期だからである。

何よりも山が混むことを嫌う私の考え方では、有名山域がもっとも魅力を発揮する時季には永遠に登れないことになる。自分ひとりならそれでもまったく構わないが、企画山行に参加する人には少々迷惑なことだろうと今年は反省して、花が盛りを迎えるこの時季に八ヶ岳に登ることにした。

この場合、花々の種類と数が多い横岳と硫黄岳をはずすわけにはいかない。そこで南八ヶ岳では登りの労力が比較的少ない杣添尾根で横岳に登り、硫黄岳山荘に1泊、硫黄岳と峰の松目に登ってから、私も初めての、夏沢峠旧道で上槻木へ下る計画を立てた。

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ぎりぎりで梅雨が明け、まず雨の心配がなさそうなのはうれしい。杣添尾根は東側から南八ヶ岳の主稜に登る最短のルートだが、それでも楽とはいえない。雨の心配はなさそうだが雲の多い日だった。そもそも稜線近くまでは展望のない稜線だから雲の多いのはむしろ涼しくていいくらいだが、稜線に出たときに展望がないのは寂しい。

稜線直下で森林限界に出ると、目の前に赤岳が現れて疲れが飛ぶのだがそれもなく、少しがっかりして最後の急登をこなし稜線に出ると、しかし西側には大観があった。あまり期待していなかっただけに喜びは大きかった。しかも西の懸崖の淵には色とりどりの花々が繚乱と咲いている。

あの花この花と同定や撮影に忙しく、どうせ泊まりなのだからと、それまでも休み休みゆっくり登っていたのが、さらにゆっくりになった。

横岳から硫黄岳の間を歩くのは久しぶりだが、東側だけにあった植物防護柵は西側にもできていて、しかも電柵になっていた。要するに両側を柵に挟まれた道を歩くことになるわけで、たしかにその効果があったらしくコマクサの咲きっぷりは半端ではないが、少々殺伐とした雰囲気がするのは否めない。人の多い山ではこうせざるを得ないのだろう。

200人収容の硫黄岳山荘には50人くらいだったろうか。珍しく酒盛りをする人たちもおらず、人数がいるわりには静かなもの、我々だけが談話室に陣取って生ビールで乾杯となった。奇しくもQQ@横浜さんが古希の誕生日だとかで、それはめでたいと便乗して2杯目の乾杯となった。

豪華な夕食をいただいたあと、また談話室でひとしきり呑む。消灯後はすぐに静かになって、私としては珍しく、2時近くまで寝ることができた。


硫黄岳〜峰の松目〜峰の松目北西稜〜上槻木(八ヶ岳東部・八ヶ岳西部・蓼科)

下界は雲の下だったが上空には真っ青な空が拡がった。山小屋に泊まった甲斐のある山の朝になった。

6時には出発、まだ下半分は日陰にある赤岳と阿弥陀岳を背に硫黄岳に登る。時間はたっぷりあるので、山頂にて早くも大休止とする。かたわらを同宿だったツアー登山一行が休憩もそこそこに夏沢峠へ下って行った。我々は広い山頂を歩き回ってのんびりと四囲の風景をほしいままにした。早くも赤岳に雲が湧いている。一方では雲の中だった蓼科山が頭を出す。

硫黄岳にはちらほらと人影はあったが、峰の松目へと出発したあとは誰一人に会うこともなかった。赤岩の頭からの稜線は以前に較べるとかなりハイマツがかぶっているように感じる。峰の松目は地味な頂上だから、二度三度と訪れる人は多くないだろう。私は5回目くらいか。

当初の計画では峰の松目からはオーソドックスにオーレン小屋に下り、夏沢鉱泉からは旧道を上槻木へと下る予定だったが、地形図を眺めていて、頂上から北西に延びる稜線が気になってもいた。むろん破線などあるはずもないが、状況によってはそれを下ってみるのもいいだろうと。

頂上でまだ9時になっていないともなれば、バリエーションルートをたどってみたくなる。時間の余裕、天気の安定、そして木々が乾いているといった条件がクリアできている。なにより参加者が藪漕ぎを厭わない人たちばかりなのでこういった行動ができるのである。

頂上三角点から西へと踏跡があったが、これは頂上一帯を歩き回った人の踏跡だったのだろうと思う。下るにしたがって踏跡などないも同然となり、しかし厚い苔に覆われた地表は柔らかく、大きな段差も膝に負担がないのはうれしい。もっとも後半では苔を踏み抜いて穴にはまってしまうというハプニングも相次いだが。

先の見えない樹林帯なので、目測をあやまって行きつ戻りつもしたが、途中には出色の尾根道もあって、かつては上槻木から直接この稜線を峰の松目に登り、硫黄岳を目指したこともあったのではと想像された。そうすると、八ヶ岳が女人禁制時代、ここで女は待つべしとされたからという「峰の待つ女」山名由来説がうなづけるのである。

途中、塚改めの標識が現れて、あとはそれを目印に下ればいいかと思っていたら、それは目指す方向とはそれていった。適当なところから夏沢峠の旧道に合流しようと北へ向かって急な山腹を下っていくと、また違った塚改めの標識に出会った。こんどは目指す方向がどうせ同じだからとその目印を辿っていったら、廃れた車道に出たところで右手から踏まれた径が合流してきた。そのときはわからなかったが、どうもこれが夏沢峠旧道だったらしい。

あらかじめ車をデポしておいた古田溜池までは荒れた車道の下りだった。それまでとは打って変わった明るい林はすばらしいが、坦々と続き、なかなか標高の落ちない車道下りはすこぶる長かった。まあ、滅多にない方法で峰の松目から下ったことは間違いないだろう。硫黄岳を出て以来6時間あまり、まったく人を見ることがなかったのだから、こんな時期の八ヶ岳でも場所を選べば静寂そのものの山歩きができるわけである。


御所ヶ池(入笠山)(信濃富士見)

前半最後の木曜山行はぎりぎりまで催行未定だったので、結局都合がついたのはおとみ山だけ、昨今はとても多い二人山旅である。

催行を決めてから山探しをしたわけだが、天気はあまり良くなさそうなので展望の山へ行ってもしかたない。しかし暑いところは絶対に嫌だと、金はかかるが一気に1800mまでゴンドラが運んでくれる入笠山に行くことにした。

むろんこの混み合う時季に入笠山そのものに登るはずもない。地形図を眺めていて、今まで気づかなかった水色を見つけたので、これを探ってみようと思ったのである。水色、つまりは池である。さんざんこのあたりの地形図は眺めていたはずなのに、今まで気づかなかったのだからいい加減なものである。ま、それほど小さい池だともいえる。

ネットで調べたらちゃんと記録が出ていたので、なあんだと思ったが、詳細は見ないようにして、新鮮さを保つようにした。

多くの小学生の列の後に並んでゴンドラに乗る。マナスル山荘までは観光地そのものなのが、伊那市側に入ったとたん誰一人いなくなる。法華道の入り口までは車道歩きだが、サルオガセにすっかり覆われたカラマツや、ジャングルのようになったズミやダケカンバなど、あたりの樹林が面白いのであきない。牧場地帯に入るとずらりと並ぶはずのアルプスがさすがに眺められなかった。

法華道というのは、要するに身延山から高遠に布教に向かう法華宗の僧侶が歩いた道だという意味で、甲州街道から2000m近い峠を越えるのは大変なことだっただろうと思う。もっとも、その南には赤石山脈が横たわっていることを考えると、それでも身延から伊那谷へのもっとも労少なかった経路だったのである。

御所平峠から尾根伝いに高座岩へは何度も行ったが、峠を向こう側に下るのは初めてである。ひたすらカラマツの植林地だから面白みはないが、黄葉すればすばらしいだろう。その時季に行ってみたいと思う。法華道以外にも植林作業道の名残の道があって、しかも草深いから分岐がわかりにくいところもある。まだ新しい道標が立っているのは、この道が整備されて間もないからで、しかし例えば西麓の芝平から入笠山に登ろうという人がさほどあるとは思えない。いつかはまた草に埋もれてしまうかもしれない。

池の分岐には道標が立っていて「御所ヶ池」とあった。そこからはごくか細い踏跡をたどることになった。池は地形図どおりの小さいもので、深さもあまりない。昨日は霧深い日だったからそれなりの印象だったが、秋の明るい日にでも行けばまた変わった印象を持つだろう。ま、それにしても御所ヶ池とは名前負けには違いない。

往路をそのまま戻るのもナニかと思って、古い作業道を登って行ったら途中で道が消えてしまった。あとは方角を定めて笹を漕いでいったが、牧場があるせいで近道はできず、結局、元の法華道に戻って御所平峠に戻った。マナスル山荘からは、また小学生の群れに混じって下ったのであった。


岩岳(居倉)

木曜山行後半第一週は小太郎山の計画を立てたが、あいにく人が集まらなかった。しかし予定していた3日間ともが悪天の予報で、かえってがっかりせずにすんだのかもしれない。

代わりに計画した茶臼山は相性がやはり悪いらしく、午後からは雨との予報である。遠くまで行って何も見えないような美ヶ原でもつまらないと、午前中に終われるような山を考え、林岳に行先を変更した。これなら時間はかからないし、天気と余力によっては岩岳を加えればいい。午後早くには戻れるから、懸案の前期納会を遅ればせながらやってしまえば好都合でもある。

この短い行程の計画に替えたのが功を奏して、ながく病気療養中だった山歩大介さんが、そのくらいなら行けるだろうと参加することになった。4月以来の山行復帰である。おとみ山と、たまたま帰省中だった我が家の娘が加わった。

ところが、午後からの雨だという予報がすでに朝には降っていた。とりあえずは現地に行こうと出発したら野辺山ではかなりの雨脚である。しかし千曲川の上流にいくにしたがって雨はやみ、空は明るくなった。

林岳は短いが急な登りが続く。そんな途中に雨が降り出しても嫌なので、たとえ降り出しても傘をさして歩ける岩岳に行先を変更した。岩岳なら行程の90%以上は登るともなく登っていく林道歩きだから、大介さんのリハビリ登山にも適している。

幸い最後まで雨に降られることもなかったし、岩岳の頂上からは、ほぼ完璧といってもいい展望も得られたのだから上出来だった。10月の末あたりにでも来ればあたりのカラマツの黄金色の海がすばらしいことだと思う。

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