笠無(七保・大菩薩峠

今年の4月に計画したものの天気が悪くて順延したら誰も都合のつく人がおらず、それではとひとりで出かけた杣口山だった。

なかなか面白い山だったから秋にもう一度と予定に入れたが、夕方に所用ができ、早く帰って来られる地元の山に変更することにした。

そんなときには勝手知ったる津金の山が好都合だ。主要な山で木曜山行で登っていない山はひとつもないが、笠無をこれまでと違った方法で登ってみることにした。すなわち北西尾根からの縦走である。

私がこの尾根を下ったのは13年前のことで、記憶はほとんどないが、それを逆に登ってみようというわけである。

途中の露岩からは、樫山峠北方にある露岩に匹敵する展望が得られた。この界隈では最高の展望場所であろう。南アルプスの並びももちろんいいが、八ヶ岳がもっとも均整のとれた姿を見せる。八ヶ岳の展望といえば飯盛山が有名だが、阿弥陀岳が隠れるのが画龍点睛を欠く。ここではそれがない。

晩秋の風情を味わいつつ順調に登り、てっぺんで飯を食ったのち津金山地の主稜を北へ下った。

木賊の頭(瑞牆山・御所平)

すばらしい好天の朝、地元2人に遠路の3人が合流した。「はるばる来てくれた人に展望のない藪山歩きでは気の毒かなあ」との一言に皆さんがすばやく同調、だがすでに増富山地へ向かう途中である。

さて、ここから転進できる展望の山は?しかし地形図の用意はないのだから勝手知ったるところでないといけない。とはいえ信州峠から横尾山のような一般ルートでも面白くない。

と、つらつら考えて、久しぶりに大平から木賊の頭に登ってみることにした。当初の予定では和田から馬蹄形に縦走して黒森山に至るつもりだったが、これもなかなか面白そうなので、冬枯れの時季にでも実施したいと思う。

これをたどれば間違いなかった牧場跡のわだちは以前に比べて薄くなっているように感じる。どこでも歩けるだけに、初めてならルート取りには苦労するかもしれない。登るにつれ、金峰山と瑞牆山がせりあがってくる。背後の富士はようやくそれとわかる程度に霞んでいる。

牧場を出て稜線への直登にさしかかると、以前は手で分けるように登った笹の丈が低くなっていて歩きやすくなっていた。

県境稜線に出ると信州側の展望が開ける。浅間連山ははっきり見えているが、北アルプス方面は雲に埋もれている。もう冬の天気なのだろう。

木賊の頭からわずかに下ったところに展望場所がある。ちょうどそこで昼となって、無風快晴の下、長く八ヶ岳の大観をほしいままにした。

金峰瑞牆がくっきりするのは西日があたる午後である。陰影を増した山容を眺めながら下れるのは、足元に気を遣わなくて済む牧草地ならではだった。

湯村山〜白山〜大宮山〜片山(甲府北部)

現在の『山梨県の山』には取り上げていないが、最初の版では興因寺山のガイド文を載せていて、「甲府駅のコンコースからは甲斐駒や鳳凰山が目立つので、東から北を取り囲む小さな山々に注目する人は少なかろう。だが甲府駅周辺に山都の雰囲気を漂わせるのは前記の大山脈の展望のみならず、この程よい距離で空を限った山並なのではと思う」と前置きに書いた。「東から北を」と書いたのを、今書き直すとすれば「駅の北半分を伽藍のように取り囲む」とでもするだろう。

それらの山は30年近く前からさんざん歩いてきたが、大宮山(現在の地形図で片山となっているところが大宮山で、片山はその西の端、山が人の肩のようにがくっと落ちた形になっているあたりをいう)と片山だけは縁がなく、初めて歩いたのは、つい数年前のことだった。

頂上付近に武田の杜の施設があったりするし、山腹に造成された山宮団地が目立ち、あまりに人工的では面白くないと思って敬遠していたのだったが、初めて歩いて不明を知った。

甲府北側伽藍の山々は概して広葉樹の雑木林が多いのが美点だが、ここも例外ではなく、そこに、かつては切り出した石を運んだのだろうか、立派な道が何本も通じていて、むろんそれらは公園の中だから整備過剰と思える部分もあるにしろ、この麓に住む人々は、なんと楽しい散歩道を持っていることだろうと思った。

それでいて歩く人は少ないのは県の人口のおかげだろうが、似たような標高の高尾山の混雑ぶりを見聞きするにつけ、植生や展望で比べ物にならないくらい優れた山道が誇らしくも思えるのである。もっとも、人が多い山のほうが優れているという考え方もあって、それを否定はしない。

大宮山と片山だけではちょっと行程が短すぎるので、湯村山と白山を加えたのが昨日のコースだった。緑ヶ丘から山宮への馬蹄形の縦走である。

湯村山への舗装路もすべて落葉におおわれて、車道歩きの味気無さがないのはこの時季ならではだった。もう12月だというのに紅黄葉もふんだんに残っているのは今年特有だろうか。

雲に隠れていた富士山も白山に着くころには姿を現した。甲府市街地にはまだ靄がかかっていて、幻想的な風景である。

最後の片山では見事な紅葉も見られた。地面にも敷き詰められた落葉もまだ色を残している。1週間くらい前なら最高だったかもしれない。

片山からはぐんぐんと下り、山宮団地の住宅街を通り抜け、山宮温泉にドボンで大団円とあいなった。


近ヶ坂峠〜高川山(河口湖東・都留・大月)

去年冬号の『山の本』に松本治彦さんが書いた「近ヶ坂往還復活」の記事に注目した。「近ヶ坂」という地名に反応したのである。

都留市で大学時代を過ごしたので近ヶ坂という名前の温泉があるのを知っていた。都留市駅から宝行きのバスに「近ヶ坂温泉入口」という停留所があって、その前を通ってアルバイト先の会社にしばらく通ったことがあったからである。

もっともその温泉に入ったことはなかったし、ひょっとすると当時でもすでに営業はしていなかったのかもしれない。今では温泉施設などとうになくなっているのだろう、バス停の名前も「近ヶ坂入口」に変わっている。

要するに近ヶ坂というのは、都留市金井から大月市初狩へ抜ける坂路だったというわけだ。古い峠道はなにがしかの道筋が残っているものだが、このあたりの標高だと篠竹などの藪に覆われてしまうことがある。それらを刈り払って新たに道標も設置したのが数年前のことだったと松本さんの文章に教えてもらった。

この峠道を使えば簡単に高川山に西側からアプローチできるなと考えたのが昨日の木曜山行の計画になった。

やはり昔の峠道は歩きやすい。植林地を抜けると樹林の雰囲気もよく、これは出色の峠道だと思った。峠の両側に公共交通があるのだから、峠越えだけを目的に出かけるのも面白かろう。

さて、高川山の西側には小粒だがきりりと急峻な山稜が見えて、これを歩くのは一筋縄ではいかないなと想像される。そのうち大岩と屏風岩の頭は主稜線から離れているので、近ヶ坂峠からの経路には関係ないが、羽根子山の突起はなかなかに急で、二筋縄くらいには苦労した。

ハイシーズンの休日には座る場所もなくなるくらい混雑するという高川山も、師走の平日とあっては好天にもかかわらず静かなものだった。富士山など見慣れた我々でも、やはりそれが売り物の山で見えないのではつまらないが、その点でも大満足、遠く新宿の高層ビル群も肉眼ではっきり見えた。

眼下には我が学び舎がある。下宿のあったあたりもよく見える。学生時代はいつでもこの山を見て過ごしていたのだなあと思ったが、むろん当時はこんな山など眼中にはまったく入ってはいなかった。

(前回、木曜山行で高川山に登った様子は、横山さんの文章と、たわら写真集で取り上げられている。
http://yamatabi.info/yokoyama10.html
http://yamatabi.info/tawara-20070118.html

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