信玄棒テラス(甲府北部

この1月の木曜山行で、宮宕山の代替案として信玄棒を選び、おとみ山とふたりで出かけた。
その際にすっかり勘違いして、たどるつもりのルートを登らなかったので、秋の計画に再び入れたのだった。

信玄棒テラスなんていう得体の知れない場所では参加者は少ないだろうと踏んでいたのだが、「昇仙峡」という文字がヒットしたらしい、遠く埼玉県から初参加の人が3人もあったうえに、常連の方々まで勢ぞろいして、定員を上回ることになった。体力的にさほど大変な山でもないし、近所の山なので山歩大介さんに車を出してもらうことにして、12人もの大所帯になってしまった。こんなことは今年初めてである。

人数が増えたので、当初計画していたルートは変更することにした。というのも、そのルートは民家の庭先のような部分(ひょっとして私有地かもしれない)をかすめることになるので、少人数ならいいかと思っていたが、10人を越える大勢では迷惑かもしれないと思ったのである。

そこで長潭橋から外道ノ原を経て太刀の抜き岩まで登り、いったん千田に下ったのちに信玄棒へ登り返すというルートにした。このくらい遠回りしないと信玄棒だけでは時間が余ってしまう。

予報のわりには雲の多い天気で、信玄棒テラスからの富士や南アルプスの展望は得られなかったが、最後、昇仙峡の道路をわずかに歩いた時以外には山中で誰にも出会わなかったのだから、にぎわう昇仙峡を静かな場所から眺めるという目的は果たしたといっていいだろう。

帰りがけ、麓の千田集落にいた人の話では、正月には集落の人々が登るという。この集落の人にとっては、新年の初めに富士に向かってお祈りをする場所なのであろう。途次の尾根道にある石祠や観音像がそれを物語る。

そんな神聖な場所を私たちが少しお借りしたということになる。
荒倉山〜大平山(韮崎・鳳凰山)

大平山の名前を知ったのは『藪山辿歴』(望月達夫・岡田昭夫著・茗溪堂)で、それによると「オオビラヤマ」と読むという。同時に荒倉山の名前も知った。両山を実際に登ったのは八ヶ岳に移って来る前のことで、もう四半世紀も前のことなのには驚かされる。太平山へは入戸野から登っているこの本とは違い、折居からの破線をたどった。それにしても、これまでにも書いたことだが、これらの山に望月さんが登ったときのアルバムが今ロッジの本棚に収まっているのは不思議なご縁といえるだろう。http://yamatabi.info/yokoyama12.html

当時はまだ径を探しながら登った荒倉山は今では家族向けのハイキングの山だが、太平山は今だに篤志家向きの山である。この2山をつないで歩いてみようと木曜山行で出かけたのは8年前のことで、年末の忘年登山だった。

なかなか面白いコースなので、その後も何度か計画したのだが流れてしまった。今回、天気予報を見て早めに金曜日に順延を決めたのだったが、見事に予報がはずれ、雨だったはずの木曜日は晴天、晴れるはずの昨日金曜日の朝には小雨が降っていた。

これは参った、また流れるのかと思ったが、遠路名古屋からNさんが来ているし、午後にかけて天気は良くなる傾向だというのでとにかく出かけることにした。天気が悪いので渋い顔をしているおとみ山を加えた3人での山行となった。

今の『山梨県の山』では雨乞岳に差し替えてしまったが、旧版の最初の取材で登ったのが荒倉山だった。中腹から上の樹林がすばらしいので新緑時に登れば楽しいのだが、何年か前からその季節にはヒルが発生しているというのは困ったことで、そんな情報も荒倉山を落とした理由だった。しかしさすがに11月も半ばなら心配はない。

久しぶりの荒倉山にはほとんど変化はなかった。昨日は頂上一帯からの展望は得られなかったが、かなり手が入っているようで、樹木が伸びて眺めを隠しているようではなかった。頂上まで登って天気が駄目そうなら今回は荒倉山だけにしようかと思っていたが、行く手の太平山の稜線からすっかり雲が取れており、これなら大丈夫そうだと初志貫徹することにした。

荒倉山にも誰ひとりいなかったから、その先に人がいることはまずない。こんな山に独りで登り地図読み訓練をすれば一気に自信がつくことだろうと思うが、この山域はかなり崩れやすい地質で、急峻なところも多いから、標高や見た目でなめてかかると痛い目にあうかもしれない。

この日の最高点、点名小武川の4等三角点付近は植林地であまり雰囲気が良くないが、8年前にはもっとはっきりしていた径形がほとんどなくなっている(添付写真)、大平山の稜線へのトラバース道あたりからがぜん樹林の雰囲気は良くなる。

すでにほとんど葉は落ちていたが、ときどきはっとするような赤い紅葉が残っていた。太平山の三角点名は「円明」だが、こんな山に登れば「延命」になるであろう。

折居と入戸野への分岐点の手前でイノシシが三頭こちらへ向かって走ってきたのには驚いた。ちょっと身構えたが、どうも向こうは我々の存在に気づいていなかったらしい。気づいた瞬間直角に曲がって消えてしまった。

入野戸への下り口は以前よりわかりにくくなっていた。まあしかし、古くからの木曳道である。見つけてしまえばまずまずはっきりしている。

8年前に倒れていたのを起こした観音像はそのまま倒れずにいた。麓に近づくと岩ゴロの多い実に歩きにくい径になるが、それもそろそろ終わり、里で出るという直前で篠竹の藪に阻まれてしまった。前回にはまったくなかった藪である。

これが本日最大の難所となった。たかだか数十メートル進むのに30分以上かかったのではないだろうか。獣対策で張り巡らされた電柵がある山だから、その扉のある場所にピンポイントで出る必要があるので、とにかく突破する以外にないのである。ほうほうの体で里道に出たときにはすでに夕暮れが迫っていた。山中に8時間近くいたことになる。

穴倉山(宮木・北小野)

地形図に記載されている穴倉山の名前は前々から知っており、頂上からまず東へ、やがて南へと方角を変えて延びる長い稜線は見るからに私好みで、しかもその末端が城山というのだからなおさら興味があって、いつかこの稜線をたどって登ってみようと思っていた。

今年の3月に横山夫妻と大城山に登った帰り、車窓から頂上付近が伐採された山が見えた。調べたらそれがどうも穴倉山らしく、ネットの情報によると登山道が整備され頂上からの展望もその伐採のおかげで良好だという。茸山だから紅葉の盛りというわけにはいかない。そこで葉の落ち切ったこの季節の木曜山行で計画を立てたのだった。

ネット情報の登山道は小横川集落からだが、その往復だけでは面白くない。そこで前述した自分好みの稜線を登り、下りはその登山道を使うことにした。

現地辰野の予報は9時ころからは晴れだが、なんとなく怪しい。しかし遠路東京から鉄人M夫妻が「秘峰」の惹句に反応して参加することになって、もはや順延は許されない。恐れていたとおり予報は先週に続いて見事にはずれ、伊那北インターを降りたときにはとっくに9時は過ぎていたのにまだ雨が降っていた。これから一気に回復しそうな気配もない。しかし現地まで来てやめるわけにもいかない。いずれ良くなるだろううと城山の登山道に入った。

城山までは城址公園として歩道が整備されている。城山にあったのは龍ヶ崎城というらしい。辰野市街を見下ろす好立地にあった。天気のいい日にここまで登るのも面白いかもしれない。その後は茸山のビニールテープの張り巡らされた、信州の里山に多い見苦しい径が続く。ときおり雨が強まり、傘をさすことになったが、そのあたりではまだ平坦な尾根で、茸山のおかげで径も広く助かった。

尾根の傾斜が強まるとビニールテープがなくなって見苦しくはなくなった代わりに藪が濃くなった。頂上に近づくにつれてますます藪は濃くなり、久しぶりの藪山らしい藪山となった。雨はやんだが、枝に雨滴が残っているので始末が悪い。葉の茂った時季なら突破は相当な苦労だろう。出発がやや遅かったので、頂上到着は1時を過ぎていた。

相変わらずはかばかしくない天気だったが、昼食をとるうちには辰野の街も見えてきたし、たどってきた稜線が一目瞭然なのはこんな低山にしては珍しい。八ヶ岳方面は編笠山が、北には鉢伏山が、いずれも白い姿を現した。2000m以上ではもう雪だったらしい。

城山に登るまでは多くの石造物があったし、その後の稜線にも馬頭観音が点々とあり、頂上付近にも、おびただしいと言っていいほどの石碑がある。それは、下りに使った、急転直下の登山道沿いにも多かった。かつては相当数の人々が登った山に違いない。それらを見るだけでも価値のある山だと思ったが、この正規と登山道も情け容赦のない傾斜の強さで、地面が柔らかかったので下る分にはまあ良かったが、登るのは大変だろうと思われた。

最後の最後、連れて行った犬のココが、獲物を追ってどこかへ消え、1時間あまりの待ちぼうけを食い、参加の皆様にはご迷惑をかけた。

棚山(塩山)

木曜山行で初めて棚山に登ったのは2004年のことだからもう10年以上前のことになる。今出ているガイドブック『山梨県の山』の取材をしている頃で、あわよくばちょっと珍しい山を加えられないかと思い、取材を兼ねて計画したのである。だが、夕狩沢を遡って登ってはみたものの、まだ葉の茂る前の4月だったのにもかかわらず藪を漕ぐような部分もあったり、道標がほとんどなかったりで、一般的な山を載せるガイドブックとしては少々無理があると思った。

その後、ほったらかし温泉からのルートが整備されたと聞き、再び計画したのが2008年で、登ってみてこれなら誰でも登れるルートだろうと思った。そこで、今度ガイドブックが新しくなるにあたり、いくつかは山を差し替えて、内容に新味を出そうと思っているのだが、そのひとつとして、今では一般的になり過ぎた兜山を棚山と差し替えようと考えたのである。

それにしても、登ったのが7年前では記憶も薄い。もう一度取材しなければなるまいと、昨日の棚山を計画したのだった。

先週と似たような天気予報で、朝まで雨で、のち晴れるという。しかし雨はほとんど降らないまま夜が明けた。山梨市駅でTさんと合流したときには、青空はまったくなかったが、棚山はすっかり姿を現していた。

ほったらかし温泉からの道は、以前とは違い、一段上の山腹に造られた林道を歩くようになっていた。あたりは皆伐に近い状態で、それだけに甲府盆地側の眺めはすばらしい。チェーンソーの音がまだ響いている。歩いているうちには雲が多少は取れ、同定できる山も多くなった。

主稜線が近づくと、雨上がりで滑りやすい斜面を、張られたトラロープを頼りに登る。予報ではみるみる天気が回復すると言っていたが、頂上に着いてもそのきざしはなく、それでも近くの山や盆地は眺められた。

休んでいるうちには青空がのぞいたりもしたが、完全に回復するにはまだ時間がかかるだろうと、あきらめて下山とする。帰りはルートを違えて下る。途中、埼玉熊谷からだという若者ふたりと出会ったが、結局、山中ではこのふたり以外とは出会わなかった。やはりほったらかし温泉から出発したという彼らは、温泉に入って夜景を見たいということだったので、頂上にも長居したことだろう。すっかり雲が取れてからの風景を見られたかもしれない。我々が八ヶ岳に帰る車窓からは、富士や南アルプスも見えていたのだから。

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