丸山(櫛形山)(小笠原

好天が続いたシルバーウィークの連休だった。好天は連休明けの木曜日まで続くとの予報が、前日には午後から雨マークが出て、さらに当日朝には9時から雨が降りだすと変わって、7月以来つくづく木曜日は天気の巡り合わせが悪い。

本来美ヶ原の予定が櫛形山に変更してあったのは幸いで、少々の雨くらいなら林の中を歩くので大丈夫だろうと出かけたが、今にも降り出すといった空ではなく、高曇りで、富士山をはじめ、甲府盆地周辺の山々はわりとくっきりと眺められた。

櫛形山に丸山登山道から登るのはほぼ四半世紀ぶりで、記憶などほとんどない。他の櫛形山の登山道の例にもれず、歩きやすい径だったという記憶くらいである。

もっと自然林の中を歩いたように思っていたが、下部は檜の植林が多かった。径はうまくつけられていてやはり歩きよい。丸山が近くなると、新しい林道で登山道は断ち切られ、そこからは旧来の道筋ではなくなっているようだった。丸山の南を巻いて、その西鞍部で主稜に乗るはずだった径は、丸山直下まで直登するようになっていた。

そこでせっかくなので、通過するはずだった丸山のてっぺんにも登ってみることにした。大きなミズナラが目印になる落ち着いた頂上だった。山名標らしきものがぶら下がっていたが、いつ頃の物だか字はすっかり消えていた。

丸山に着いた頃、いかにも雨が来そうな風が吹き始め、空もだんだん暗くなってきた。ここで道半ば、思案して往路を戻ることにした。

下山はあっという間で、ちょうど正午に車に戻った。雨はまだぱらぱらという程度で、まったく濡れずに済んだ。東屋のある展望台まで車で行って、そこでお昼とした。展望台では田中澄江の碑が改修工事中だった。
真教寺尾根〜赤岳〜キレット小屋(八ヶ岳東部・八ヶ岳西部)

9月初めの真教寺尾根〜赤岳〜権現岳は、早いうちから参加希望者が大勢で、これはぜひとも実現させたかったが、まるで天気に恵まれず中止にするしかなかった。

それでも何とか今年中にはと思っていたのは、ガイドブック改訂が迫っていて、今の版に載せているの赤岳のコース、すなわち真教寺尾根を登って県界尾根を下るコースを、赤岳から権現岳へと縦走するものに変えたかったからであった。

健脚者なら1日で一気に歩けないわけでもないコースではあるが、山小屋泊で2日をかけるのが一般的には順当であろう。そしてこの場合の1泊に適当なのがちょうど中間点にあるキレット小屋である。そのキレット小屋が10月半ばには閉まってしまうので、もう残された時間はあまりなかった。いまどきのガイドブックは写真が命なので、天気の悪いときに行ってもしかたない。そこで好天の予報が出た今週の火水で急きょ行くことにしたのであった。急な計画だったから都合がついたのはふたりだけだった。本来今週の計画だったのは甲武信岳から雁坂峠の縦走だったが、甲武信小屋ならもう少し閉まるまでに余裕がある。

赤岳に県界尾根を登るか真教寺尾根を登るかは迷うところだが、今回はスキーリフトを利用することにして真教寺尾根を選んだ。リフトの始発に合わせた遅い出発なので、他に登山者がいないのは鎖場の通過には好都合である。下ってくる登山者が数人いたが、上を目指しているのは我々以外にはなかった。頂上が迫ると、周辺のダケカンバやナナカマドの紅葉黄葉が折しも盛りだったのは幸運だった。

午後になると、八ケ岳だけは全体がすっきりと見えているが、他の山々は雲に隠れてしまった。けっこうバテ気味で、予定より遅くたどりついた赤岳頂上にはほとんど滞在せず、キレットへの下降を始める。途中、阿弥陀岳や中山の下部を覆ったダケカンバの黄葉が西日に映えてすばらしい。

八ケ岳主稜では赤岳権現岳間がもっとも険しい。ことにキレットへの下りの石くずだらけの路面の悪さは天下一品で、しかも傾斜もすこぶる強い。若いころならひょいひょいと下れたところも、よっこいしょといちいち尻をつく始末である。

ようやく傾斜がゆるむとキレット小屋までは近かった。小屋番氏が小屋の外で待っていてくれた。予約していたのになかなか来ないので登山道を双眼鏡でのぞいていたらしい。

そんなことまでして待っていてくれたのも、なんと昨日の泊まり客は我々だけだったからであった。小屋泊まりのときはなるたけ人の少なそうな日を選んでいるが、さすがに貸切は初めてである。

7年前にリニューアルしたという小屋は清潔そのものである。おつまみを用意するから、夕食前には一杯やっていてくれとの親切も初めて。

消灯直前まで小屋番の清瀬氏とおしゃべりしたが、ロッジ山旅の名前を出すと、お客さんから何度も聞いたことがあるとか。たしかにわが宿の宿泊客で、キレット小屋に泊まって八ヶ岳を縦走するという人を何人も観音平や天女山に送ったことがあった。それで話に出たのだろう。

ちなみにキレット小屋の住所は、大泉町西井出8240なのだとか。つまりロッジ山旅と同じ番地なのである。なんだ、同じ村内をうろうろしていたのか。

キレット小屋〜権現岳〜材木尾根(八ヶ岳東部・八ヶ岳西部)

大部屋をたった3人で贅沢に使ったのだから、ほとんどひとりで寝ているようなものである。山小屋で寝るのは苦手だが、これまででもっとも快適に寝ることができた。

深夜、一度小用に起きたが、次に起きたのは朝食の5分前というわけで、寝られないままじりじりと夜明けを待つことが多い私にとっては嘘のような小屋泊まりであった。

夜半から小屋を揺るがすような風が吹いて、それは陽が昇ってもやまなかった。素晴らしい朝の山々の展望だが、ともすれば耐風姿勢を取らなければ吹き飛ばされそうな風である。おちおちカメラを構えているわけにもいかなかった。

権現岳まで登るとようやく風がおとなしくなった。風さえなければ、この上何が欲しいでしょうかというような大展望を存分に楽しめる。乗鞍と御嶽の間に見えるのは白山に違いない。

前三ツ頭の下からはお約束の材木尾根に入って、大展望をさらにほしいままに下る。途中、キノコを採りながら、午後1時には下界に帰ってきた。

入笠山周遊(信濃富士見)

やっと木曜日に晴天がやってきた。それも極上の晴天である。ところが参加者はおとみ山だけという寂しさで、こんな好日にもったいないことだと思ったが、誰でもとっくにおなじみの入笠山では魅力に欠けたとみえる。

しかし今回は入笠山はむしろ脇役で、ゴンドラを使うなら昼寝でもするか絵を描くかでもしなければ、半日を使うには行程が短すぎる入笠山を、たっぷりと半日の山にすることに意義があった。

ゴンドラ始発時のパノラマスキー場付近は静かなもので、あの広大な駐車場にもほとんど車がない。こんなに人影のないのは初めてである。秋の好日でも平日ならこんなものだろうか。もっとも入笠山のてっぺんで昼飯を食おうなんていう計画なら11時にゴンドラに乗れば十分なのである。

山頂駅から入笠湿原に入っても誰ひとりおらず、マナスル山荘あたりまできてやっと2人いただけ、マナスル山荘から入笠山に登らずに車道を伊那側に下る人はまずいないから、ここからはどんなに人の多いときでも静かになる。

マイカー規制中だから車道を歩く分には気分がいい。北中央アルプスや御嶽の遠望を楽しみながらのんびりと下っていく。

高座岩に通じる法華道は御所平峠から高遠方面へと下る。これは日蓮宗の布教のために身延から伊那谷へと僧が通った道である。御所平峠から稜線づたいにたどり着く高座岩にはその名残の石碑が建っている。

高座岩からいったん下ってテイ沢に入る。4年前にはこれを下ったことがあって、まるで入笠山ではないような幽邃な雰囲気が気に入ったのだが、再訪したいと思いながらそのままになっていた。何度も沢を渡るとき、少々橋が危うかったのが補修されていた。

やはり沢は登ったほうがいい。しかもその源流が大阿原湿原なのだから面白い。空がだんだん明るくなってきて、最後は底抜けに明るい湿原に着く。もう昼になっていたが、食後に登りがあるのは嫌なので、一気に入笠山まで登ってしまうことにする。

さすがに頂上には10人ほどの人がいたが、あの広い頂上ではそのくらいなら閑散としたものだ。北アルプス方面こそ雲に隠れてしまったものの、それ以外、ことに八ヶ岳から南アルプスにかけては完璧な展望だった。のんびり1時間も過ごすうちには、我々以外には誰もいない頂上になってしまった。こんなことも珍しい。

あとはゴンドラ駅まで下るのみ。最後に駅付近の歩道を散歩したら新しい展望台ができていたが、そこにあったのが俗悪きわまる「恋人の聖地」なるプレートと鐘。

結婚式の引き出物を開けたらハート型のペアのコーヒーカップが入っていて閉口したことがあるが、そんな類を喜んで贈る輩が絶滅しない限り、桂由美とその信奉者の野望を打ち砕くことができないのであろう。

ふざけやがって。「恋人」という言葉を聞いただけで頭に血がのぼる我々中高年男ふたりはその展望台でむなしく鐘を鳴らし、やっかみ半分(半分以上?)の罵倒をしたのであった。

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