三峰山・中山道(和田・山辺・鉢伏山・霧ヶ峰

数年に一度は山歩きをご一緒する大阪のお客さんがやってくる日がちょうどこの週の木曜山行と重なったので、ならばそのまま木曜山行に参加してもらえばいいと思って計画したのが麦草峠から茶臼山というプランだった。関西にはない高さの山で、さほどきつくない山、しかも木曜山行でもまだ歩いていないというので選んだのだった。

ところが前日が大雨で、そうなるとあのあたりは足元がぬかるんで始末に終えない。どこか代替案はないものかと思案していた。結局、地元のご常連が誰も参加できなくなったので、それなら今まで木曜山行でさんざん歩いたところでも構わないことになった。

到着した大阪のお客さんに聞いたら、下りでころんで怪我をして以来、下りのきつい山は怖いという。となると北八ツはますます問題がある。なんとなれば山容の穏やかさとは裏腹に、岩だらけの径は決して歩きやすくはないし、雨後ともなればなおさら下りには気を使う。

こんなときにはわが愛用の扉峠〜三峰山のコースに限る。そして願ってもない三峰山日和であった、天気は晴朗、今しももっとも美しい緑に覆われた稜線からは槍や穂高、先週麓を歩いた乗鞍岳も眺められた。三峰山で写真を撮っていたひとり以外には誰もいなくて、都会から来た人には信じられないことだっただろう。

時間が余ったので中山道もちょっとつまみ食いした帰りがけ、午前中には雲の中だった八ヶ岳や富士山も現れた。前日は大雨、翌日も朝から大雨だったのだから、なんともついていた。
旧赤岳登山道で賽の河原へ(八ヶ岳東部)

7月は天気のめぐり合わせが悪くて一度しか木曜山行を実施できなかった。最終週は本業があって山には行けないが、その前日ならと計画することにした。

最初は美ヶ原へでもと思ったが、朝早く出発できなくなり、それでは近所でどこかというわけで、旧赤岳登山道を思いついた。それで賽の河原へ登り、まだ歩いたことのない大門沢への径を下るならちょっとした散歩コースになる。

朝方かなりの雨で、さらに出発が遅くなった。清里からの旧赤岳登山道を歩くのはほぼ10年ぶりだったが、そのときにはまだ何とか踏跡が拾えたのが、もうほとんど笹に埋もれて消滅していた。

もっとも、登る分には高いところへ登っていくだけなのでルートファインディングというほどのことはない。雨上がりの笹原だからズボンはほどなくびしょぬれになった。防火線出合にある枝ぶりのいいダケカンバは健在で、10年でさらに立派になったように思った。今、このダケカンバを見る人が年間何人いるだろうか。

まったく展望もない日だからリフト終点にもほとんど人影はなく、賽の河原でも同様だった。大門沢への下降路はおそろしくいい径で、これは県界尾根から大門沢への径とは大違い。となると、大門沢入口に車を置いて、赤岳周遊をする場合、県界尾根を登って真教寺尾根を下るのが労力的には正解となるだろう。

虫倉山〜持栗沢山(霧ヶ峰)

7月以来天気には見放された木曜山行で、後半最初の赤岳も中止になった。しかし3日間とってあった予定の最終日の金曜日だけは久しぶりに太陽が顔を出すという。そこで東京組のことを勘案して三窪あたりをうろついてみようと考えていたのだったが、その東京組の都合がつかなくなり、ならば近所でお茶を濁そうと考えたのが、虫倉山から持栗沢山へつなぐ山歩きである。両山それぞれは歩いたことがあるが、つないで歩いたことはない。

八ヶ岳周辺の石造物研究家の北村宏さんに虫倉山のことを教えてもらったのは、もう5年前のことである。最初、私はてっきり長和町鷹山にある山の名前だと思って聞いていたが、どうも話が食い違う。北村さんが話題にしていたのは、白樺湖の南にある山だったのである。

もっとも、山といっても、山中に虫倉神社があるためにそう呼ぶので、頂上を指すというわけでもないらしい。北村さんの調査では43個もの石造物が残されているという。これは面白そうだとさっそく登りに行った。虫倉山はそれ以来となる。

持栗沢山というのは八子ヶ峰西端の三角点名からそう私が呼んでいるので、ひょっとすると他の名称があるのかもしれない。ほとんど人の訪れのない、しかし広濶な展望が得られる草原の山である。だがこれだけを登るのではあまりに時間が短すぎるので虫倉山を合わせたのである。

神社入口の標識の奥には立派な石碑がいくつも並んでいる。急な斜面についたうすい踏跡をたどると、ふたたび石碑がちらほらと現れはじめる。傾斜がゆるむと尾根は狭くなり、次々に大岩が現れる。それらの上に石像やら石碑が立っているのである。ほとんどは明治のものらしい。

岩をへつるのに少々足場の悪いところもある。最も大きい石祠の前には錆びた和鋏がいくつも転がっているのだが、どういうわけかこの日はそれを発見しそこなった。虫倉信仰とは子どもの安全祈願であったらしく、癇の虫を「切る」という意味があるそうだ。そこで鋏を奉納してあるのだろう。

林を抜け、ススキを分けて登っていくとやがて八子ヶ峰公園の一角に出る。この公園はかつての植樹祭会場の跡地だというが、今ではたいして利用されることもなさそうに思う。

あとはリフトに沿ってスキー場をひと登り、最近整備された歩道から少しはずれたところに持栗沢の三角点がある。

遠望こそきかなかったが、ときおり蓼科山も全容を現したし、中信高原はすべて眺められたのだから、このところの天気を思えば上出来であろう。

虫倉山の稜線に少々難所があるので、そこにロープでもフィックスしておけば、なかなか楽しいルートになるだろう。むろん道標の類は皆無だし、今の状態では人を選ぶと思う。

大崖頭山・高谷山(夜叉神峠)

都合で一日延ばしにしたおかげで好天が巡ってきた。青空の下、久しく見たことがないようなくっきりとした山々の朝の姿である。しかしそれも早朝のみで、夜叉神峠入口の駐車場に着くころにはほとんど空は白くなっていた。

大崖頭山(おおがれあたまやま)は夜叉神峠から鳳凰山へ向かう途中にある山で、地形図に名称があるから名前くらいは目にしたことがある人も多いに違いない。もっとも、登山道はこの山の西の杖立峠を越えているから、わざわざ訪れる人はめったにないだろう。

最高点は杖立峠東の2200mだが、そこより東のわずかに低い地点にある三角点(点名大枯頭)を目標とした。

夜叉神峠でわずかに雲が取れた瞬間があって、白峰を望むことができたが、結局、それきりだった。しかし落葉松その他が伸びすぎ、白峰三山の展望台としての夜叉神峠は、ことに葉の茂る時季にはすでに過去のものになっているように思う。

杖立峠へは登るにつれて樹林の雰囲気が良くなっていく。ことに上部の針葉樹の林はすばらしく、日が陰っているのがかえってよかった。

適当なところから登山道をそれて稜線に登った。やがて杖立峠方面からの薄い踏跡に合流すると三角点ピークまではひと登りだった。

密林にぽつんと三角点があるだけの三角点ピークはすぐに辞して、その手前の平で昼休みとした。これが実にしっとりした落ち着いた森で、苔の下に一升瓶やビール瓶があったところをみると、かつては林業の飯場でもあったのかもしれない。参加者のふたりが誕生月だというので、静かな森でにぎやかにお祝いをした。

帰りは尾根どおしに下ろうかと出発したが、倒木や藪がわりとあるので、適当なところから登山道に戻った。

夜叉神峠から素直に下るつもりが、年齢を考えると異様なくらい元気な方々ばかりで、ついでに高谷山へも登ってしまおうとリクエストがあった。

高谷山から夜叉神トンネルへ下る径が整備されたと聞いたのはいつだったか、そんなに昔のことではない。一度それを歩いてみたいと思いながらまだだったので、ちょうどいい機会ではある。その調査もかねて高谷山にも登ることにした。

おそらく檜尾峠(現在の夜叉神の森あたりで夜叉神峠道から分岐していた峠道だったのだろう。名前は残っていたが、すでに歩く人など誰もいなかったはず)からの旧い径を整備したのだろうと思っていたが、そのとおりだった。

高谷山から桃の木鉱泉への径の途中に檜尾峠はある。桃の木へはかつて下ったことがあるが、これほど急転直下の径だったという記憶はない。若かったということであろう。

檜尾峠からは整備してさほどたっていないはずなのにすでに歩く人は少ないように思われた。足元は崩れやすい地質で、高谷山から檜尾峠間といい、そこからといい、ことに中高年にはおすすめできない径ではある。どうしても歩くなら登りにとったほうがよほど安全だろう。林道ゲートの警備員の話では、危険なので、高谷山にあった道標は取ってしまったとか。まあ確かに、夜叉神峠と高谷山に軽いハイキングのつもりで来た人であれば、あれ、ここからも降れるのかと気軽に入ったらひどい目にあうかもしれない。

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