春日沢の頭河口湖西部、石和

事情で早朝に出発できなくなったので、予定では光城山と長峰山だったが、近場の春日沢の頭に行先を変えた。参加予定の方がリクエストしていた山でもあったのでその意味でもちょうどよい。天気も甲府盆地方面が完全に晴れ渡っている。高校入試で学校が休みだというので、ごく久しぶりに私の家族が同行することになった。

稲山ケヤキの森から春日沢の頭へ通じる径が整備されたのは2000年のことで、ケヤキの森が公園化したときに登山道も造ったというわけだったらしい。

春日沢の頭に「稲山へ」と書かれた道標があったのは知っていたが、その稲山とはどの山を指すのかずっと知らずにいた。2008年に『山と溪谷』の仕事で御坂山地全体を調べる必要があって、笛吹市芦川支所に行った。そこに置いてあった「笛吹市トレッキングガイド」なるパンフレットを見て、旧八代町に稲山ケヤキの森という場所があり、そこから春日沢の頭に登るコースがあることを知り、さっそく調査に出かけたのは同年6月のことだった。

市のパンフレットにあるのだから、きっとよく整備されたいい道に違いないと思っていたのだが、道標からしてすでに草に埋もれ、径などどこにあるのかもわからず、とても歩けたものではない。しかも恐るべきバラ藪である。100mも進まないうちに身動きがとれなくなって撤退した。

これでは仏造って魂入れずではないかと笛吹市にメールを送り、善処するとの回答をもらった。実際に善処されたのかを確かめにというわけでもないが、もし、その後整備されていないとしても、冬ともなれば何とかなるだろうとその年の暮れに木曜山行でこのルートで春日沢の頭に登ってみることにした。

登山口付近の藪はきれいに刈り払われていた。稜線までの径さえ整備されれば、樹木の美しい出色の尾根コースで、しかもケヤキの森を基点に周回できるのもいい。すっかり気に入って、『山梨県の山』が改訂したとき、興因寺山に換えてこの山を入れたのだった。

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稲山に近づくと雪を踏むようになった。このところ暖かいのでアイゼンが必要なほどでもない。熊らしい足跡を見たが、そろそろ冬眠から覚めた個体もあるのだろう。

春日沢の頭は2013年4月以来約2年ぶりだったが、頂上にあったアンテナ施設は撤去されていてすっきりしていた。甲府盆地側の灌木が眺めを少し隠し始めていたが、風もなく穏やかな日で、まず最高の展望を楽しめた。主脈縦走路の雪の上にも足跡は皆無で、久しく人の訪れはないようだった。

この美しい尾根道を新緑紅葉の時季に歩いたことがないのはいかにも画竜点睛を欠く。ぜひ訪れてみたいと思う。

なお、余談ながら、山梨百名山を選ぶとき、春日山を選んでこの春日沢の頭を選ばなかったのは不思議なことである。春日山とは山域を指すので、ならばそこで最も立派な山に代表させるのが当然だからである。
小日向山(霧ヶ峰)

この冬は我々の住処は雪かきをすることもほとんどないくらいの寡雪だが、八ヶ岳の向こう側に行くと近年まれに見る積雪量だった。

スノーシューは3月の雪にこそ威力を発揮することを前年のカボッチョや大出山で確信したが、しかし雪がなくては話にならない。2月にカボッチョに行って、この雪の量なら3月でもたっぷり残っているだろうからまだ楽しめるだろうと思い、木曜山行の計画を変えて、小日向山へスノーシューで登ることにした。

雪が残っているなんてものではなかった。前日にはまた新たに降って、白樺湖畔では道路も真っ白、あたりの風景も2月と変わらず、とても3月も中旬の風景とは思えなかった。

小日向山へ続く林道のゲートはいつもまたいで入るのだが、ほぼ雪に埋もれてまたぐ必要もない。前年の大出山は3月末だったとはいえ、この林道は、南側を歩く間はスノーシューは手に持って歩いたのだ。

小雪の舞う中を出発した。まさしくスノーシューの出番という雪質で、試しにスノーシューなしで歩いてみると、すぐに股までもぐってしまうのが、履けばスタスタと歩いて行ける。これまで小日向山へはスノーシューで何度も登っているが、雪の質と量は最高だった。

勝手知ったる山だから頂上へは難なく着いたが、しかし風がすごかった。風の当たらない北側に避難してそそくさと昼食を済ませ、帰りは登山口へ向かって一気に下った。これは雪がなければできない芸当で、ほんの数十分で出発点に戻った。

鷲ヶ峰(霧ヶ峰)

この前日、諏訪大社に参りたいというお客さんを連れて信州に向かったら、春としては珍しい、一点の雲もない澄み切った青空で、北アルプスも行く手にくっきりと並んだ。

お客さんというのは、お年を召して今では山は歩かないが、元々はならした岳女である。これは神社参りをしている場合ではありませんよ、山を眺めに霧ヶ峰へでも上がってみませんかという提案には是非もなかった。

例年なら真冬でもこれだけは白くはないだろうという霧ヶ峰だった。山梨県が未曾有の大雪に見舞われたのは前年の2月中旬だったが、その3月初めに霧ヶ峰に行ったときの写真と見比べると、もう4月も近いというのに、明らかに今年のほうが雪は深い。

八島湿原の駐車場まで行ってみて鷲ヶ峰の南斜面の雪がすっかり融けた様子を見たら、翌日の木曜山行はこの山にしなければと思った。春には珍しく2日続きの晴天が約束されている。予定していたのは阿梨山だったが、これだけの展望を差し置いて何も藪山を歩いていることはない。

参加予定者に連絡して変更の快諾を得た。そして変更して誰もが満足した鷲ヶ峰だったことだろうと思う。

雪は適度に締まって、しかしアイゼンもいらない。稜線上の岩ゴロはすっかり雪に埋もれて、無雪期よりむしろ歩きやすい。鷲ヶ峰は登り始めのほんの一瞬以外は樹林の中を歩かないので、頂上まで展望はただただ拡がっていくばかりである。気温は高く、登り始めてすぐに上着は脱ぐことになった。

早く登ってしまうのがもったいないので、ゆっくり休み休み登ったが、それでも1時間あまりで登頂した。運動量は足りないが、それだけ長く頂上でのんびりできる。

さすがにこの好天で、我々が1時間半頂上に滞在する間には数人が登ってきた。誰にとっても至福のひとときであったことだろう。

浅川峠〜権現山〜麻生山〜長尾根(上野原・猪丸・大月)

水曜日と金曜日の天気予報が悪いのに木曜だけが全国的に晴天だという。そのとおり、夜半までは雨が残っていたのが、白い山々が青空にくっきりと映える晴天の朝だった。

これは運がいいとばかりに高速道路を東へと走る。甲府盆地ではそろそろ桃の花が見ごろで、桜はいたるところで満開である。

ところが笹子トンネルを抜けたとたんに空は白くなり路面は濡れていた。こういったことはわりとあるが、この日は山梨県全域も好天の予報だっただけに意外な気がした。まあしかし間もなく青空になるだろうと道を急ぐ。

急がなければならなかったのも、この計画は行きがけにバスに乗ることになっていたからで、それに乗り遅れたらまるで計画を変えなければならなくなるからであった。しかし時間の計算が甘く、間に合うかどうか怪しくなっていた。

田舎道をできうる限り飛ばして、バス停に着いたのは通過時間のわずか数分前で、あわてて用意をするとまもなくバスがやってきた。信号ひとつ遅くなっていたら間に合わなかっただろう。そのバスに猿橋駅から乗ってきたすがぬまさんとめでたく合流、ようやくパーティが全員そろったのだった。

すぐに晴れるかと思ったのが、それどころか浅川峠に登る途中には小雨すら降ってきた。ようやく青空が頭上に透けて見えだしたのは主稜線に達する頃で、雲海上の富士も枝越しに見えた。これなら権現山の頂上からは雲海上の山々が眺められるだろう、これはこれで滅多にないことだからラッキーだと思ったが、登頂当初は上空が青空だったのが再び霧に覆われ、1時間近くも滞在したのに、富士はおろか、まわりの山々をまるで望むことはできなかった。その間、予報が良かったからだろう、次々に登山者がやってきて、なかなかにぎやかな頂上となった。

権現山には木曜山行でかつて2度登り、そのいずれも浅川峠から頂上を経て用竹に下った。今回は西へと麻生山を踏んだのち、落合へ下ろうというわけであった。

麻生山でようやく霧が完全に晴れた。すがぬまさんのスケッチに付き合ってしばらく休んだ。権現山より雰囲気の好ましい頂上である。

麻生山から南西に分かれる尾根を下る。これが白眉の尾根道だった。権現山の美点はその樹林の良さだが、これまで歩いた東への稜線をはるかに上回る良さだった。歩く人は少ないのだろう、径はあくまで柔らかい。新緑紅葉の時季のすばらしさが想像された。

尾根を末端まで歩いて適当に下ればいいと思っていたが、はかばかしい径もなく、適当に下るにしてもいささか斜面が急過ぎるので、少し戻った天神峠から遠回りして落合に戻った。ほとんど標高差1000mに達する長い下りで、しかし径の状態の良さには助けられた。

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