中山峠付近にて新年会(長坂上条)

木曜山行の新年会は2009年から毎年どこかの山中で催すことにしている。

どうせなら初詣を兼ねてということで、神社が登山口や頂上にある山を選んできたが、当初はそれなりに登る山だったのが、最近ではほとんど歩かずにすむような山を選ぶようになってきた。つまり少々聞こし召していても安全に下れることを第一に考えるようになったのである。どこかで神社に参拝さえすれば、静かなところならどこでもいいのである。

今年は甲斐駒方面に展望がきく日なら中山峠付近、悪ければ新府城址としていた。昨日は朝から甲斐駒のよく見える日で、迷わず中山峠へと向かった。

中山峠なら横手駒ヶ岳神社に詣でてからと思っていたが、ちょうどいいところに王太神社という小社があったので、手っ取り早くそこに詣でて事足れりとしてしまった。つまり宴会へと心ははやっていたのである。

ところが好事魔多し、目指す宴会場は地元猟友会の昨日の猟場となっていたのである。ケモノしかいないところに出かけるのだからその手の危惧はあったのだが、的中してしまった。予定していた場所は諦めて転進することにした。

それ以外にも諸事勃発で紆余曲折はしたが、結局、毎度のことながら、有史以来だれも宴会をしていない場所できちんと宴会を済ませ、今年の始まりを祝ったのであった。


醍醐山(切石)

10年前に鳩打トンネルから初めて登ったときには、頂上のテレビ塔までは整備された径が続いていたが、テレビ塔のすぐそばにある三角点へは藪を分けて探しながら達したものだった。

そこから南側の太子へ下るのも、頂上一帯がかなり広いうえに、人工的とも思える地形に錯綜する、ケモノのものか人のものかわからない踏跡を、これが正解だと見つけ出すのがなかなか厄介であった。

要するに小粒でもピリリと辛いといった山だったわけだが、その後登るたびに赤テープの類も増え、頂上三角点付近は、かつてはびこっていた藪はどこへやら、雰囲気のいい林になって、それはそれでのんびり滞在するには好適な場所であった。

最後に登ったのは3年前だったが、道標の類はほぼ皆無で、まだ好事家向きといった雰囲気は残していた。

私と同じ山岳会で下部に住む磯野さんがこの醍醐山の売り出しに尽力していると聞いたのは去年のことで、どうもそれはこの山の標高が東京スカイツリーと同じということが関係していたらしい。身延線の甲斐常葉駅から下部駅まで道標が整備され、なんと「希望の醍醐山」なる唄までつくられたという。
https://www.facebook.com/daigoyamashimobeonsen

ひねくれ者の私は、それなら整備がされていない方向から登ってみようと思ったのが昨日の木曜山行の計画となったのであった。すなわち真西の麓、広重の絵にもなった屏風岩へと延びる尾根を登ることにしたのである。

この尾根はかなり前から気になっていて、それは南北に三つ並ぶ神社記号がその末端にあったからで、この三社を経由して登れば面白かろうと思っていたのである。今回は新年最初の山行だから、時期的にもぴったりだった。大常連のおとみ山があいにくのアクシデントで参加できず、山歩大介さんとの二人旅となった。

みぞれのような雪が朝方の冷え込みで凍って、我が家の付近では相当危険な路面状態であったが、そんなことがまるでウソのような暖かい醍醐山の麓である。それもそのはずこのあたりは標高200mくらいしかないのである。

鉄塔巡視路で一色川を渡ったら、それからそれていく最初の神社の参道はすぐに見つけられた。神社の名前はわからない。地図に記号のある階段は下のほうはコンクリートでさほど古くはないらしい。上部は自然石の石段となった。社殿があったのはここだけで、その上の神社記号にはかつての社殿が廃材の山になっており、一番上の記号には石祠と石灯籠が残っているだけだった。

この三社を巡るために少々アキレス腱を伸ばして径なき斜面を這い上がったが、尾根をつかまえてからは意外なほどのいい径が途中までは通じていた。

頂上近くなると樹林の雰囲気が良くなるが、三角点付近には道標やら何やらがやたらと増えていて、かつての何もない良さは失われてしまった。そう思うのは私がそれらのものがなければいいと思う人間だからだが、この考えは地元の人が願う振興とは相反するものであることは重々承知である。旅人とは無責任なものだとは思う。

陽だまりで早い昼食を摂ったあと鳩打トンネルではあっという間の下山であった。車を回収して遠回りでドライブして帰りがけの温泉に浸かったのがまだ1時半だったのだから、木曜山行でも屈指の行動時間の短さであった。

御嶽参道・旧羅漢寺を訪ねる(甲府北部)

以前、御嶽参道のことを調べていたときに、吉野さんという人の、旧羅漢寺跡を訪ねたブログが目に留まった。http://blog.goo.ne.jp/yamanashi100yama/e/327b6a98612faddb00020650526e9464探せば他にも旧羅漢寺に関する記事はあって、その在った場所から、現在の羅漢寺山という名称が素直に納得できるのである。

だいたいがにぎやかなところが趣味ではないから、羅漢寺山を通る南北の稜線(ここに御嶽外道が通じている)の東側、つまり昇仙峡と呼ばれている部分にはなるたけ近づかないようにしていたのだが、旧羅漢寺のことを調べれば調べるほど興味深い。そこで、真冬ならば喧騒に巻きこまれることもなかろうと、これも初めてとなる、長潭橋からのハイキング道をたどって旧羅漢寺跡を見物に行くことにしたのであった。

その2日前に吉沢からの径を探って歩いたばかりの北仙開拓へは地形図の破線とはまったく違うところに径が通じている。なるほどここを通っているのかとそれを確認したのち、開拓地からちょっと寄り道をしてみようと藪に突入したら、怪我の功名的に古い径に出くわした。今でこそ倒木で歩くのも大変だが、その幅広いことから、これも御嶽外道のひとつだったのではと想像された。

獅子平からの歩道と合流したのちは勝手知ったる古い径で白砂山に登り昼休みとした。無風快晴、眺望絶佳、しかも誰もいない。

さてここからが本日のメインイベントというわけで、羅漢寺沢を下る。あそこから下るのだろうなと思っていた場所からはそこそこの踏跡が下っていた。今はあまり歩く人もなかろうが、かつてはかなりの往来があったことだろうと思う。旧羅漢寺に行くにしても、荒川べりから登るよりは、外道の通じるこの稜線から下るほうがよほど楽だっただろう。旧羅漢寺跡は高度計で調べると820mくらいにあって、比高で考えても稜線から下ったほうが近い。御嶽新道が開通する前のことであればなおさらだったと思われる。

寺跡からはともかく花崗岩の王国を行くが如しで、次々に現れる巨岩奇岩に感嘆した。こんなに岩が面白いところは瑞牆山にもないように思う。ボルダリングの連中が目ざとくそれらを見つけて課題にしているらしく、チョークの跡がついた岩もある。こんな岩が登れるのかなあと思ったが、家に帰ってからネットで調べると、ちゃんとその岩を登っている動画が出ている。大岩の多い昇仙峡はボルダーたちには有名なところらしい。http://vimeo.com/67306763
それにしても、実際にこの岩を見た目には、あれが登れるとは動画を見てもにわかには信じがたいですな。

昇仙峡ホテルの人が書いた下記の記事を見ると、羅漢寺絵図にある遺跡がまだまだあるらしい。まったく昔の人はたいしたものである。
http://www.terra.dti.ne.jp/~keikoku/ura_rakanjiyama.html

矢平山(大室山・上野原)

数年前の木曜山行で立野峠から東へ縦走して大地峠まで歩こうとしたことがあったが、寺下峠で時間切れで下ってしまった。私としては、そのときに桂川左岸稜線の一般的なコース、すなわち高畑山から高柄山までの朱線をつなげてしまおうというもくろみがあったのだが、結局寺下峠から矢平山を経て大地峠までが残ったのであった。

去年の暮れに倉岳山に登って立野峠から梁川駅に下ったとき、桂川を渡る橋から夕暮れの矢平山の姿がやけに立派に見えて、その場で今年早々の計画に入れよう思った。

しかし寺下峠から北へ下る径は歩いたわけだし、そちら側は車で出かけるには何かと都合が悪い。そこで南側秋山から登ることにした。そのほうが行程もかなり短くてすむし、南側で足元も安全だろうというわけだ。ほとんど山登りにはバスの便が使えないにひとしい地域だから車で行く意味もあろうというもの。

参加者は、前日は行きがけの駄賃で蜂城山に登った横山夫妻、そしておとみ山、一昔前では到底考えられない年齢の方々が元気に冬山を目指すわけである。

それにしても、車で雪道を走るのが嫌だからわざわざ暖かい方面へと出かけているというのに、都留から雛鶴峠を越える車道は八ヶ岳南麓よりずっと凍っていた。山も日蔭は真っ白である。

幸い南面の登路を選んだので稜線に出るまでは良かったのだが、寺下峠からは新雪の急登に少々苦しめられた。この冬はじめて、雪らしい雪を踏む山歩きとなった。

矢平山の手前のピークを丸ツヅク山というらしいのだが、そこから矢平山三角点にかけては、桂川左岸稜線の中でも白眉の美しさではないかと思われた。縦走の途中で通過するこになることが多い山だろうが、この山だけを目的にやってきて良かったと思った。

地形図ではわからない岩がちの急登を経て登り着いた矢平山の頂稜は東西に長い。三角点のあたりからは植林になりそうなので、その手前で昼休みとした。急登のあとだけになんとものんびりしたところである。

帰りは、甚ノ函山の南稜を下ったらどうだろうと色気も出たが、そこは安全第一で、林道をぶらぶら下ることにした。終始誰ひとりに会うこともなかったのは、東京近くの山だというのに不思議なことだが、やはり冬は山歩きをする人も激減するのだろう。

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