甲武信岳(居倉・金峰山)

1年ぶりの小屋泊りの木曜山行は甲武信岳であった。リクエストされたときすでに満席だったのだが、多少増減しつつ、結局は定員で落ち着いた。総勢10人というのは最近ではめったにない。やはり有名な山は人気も高い。

毛木平を基点の甲武信岳の周遊のガイド文はいろいろの場所に書いていながら、ずっと歩かないままだった。たまには記憶も新たにする必要がある。その意味で私にとっても都合のよい計画だった。

ロッジを出るときにはまずまずの天気かと思われたが、毛木平では雲の下に入ってしまった。まあ、頂上に着くまで展望がある道でもなし、それはそれで構わない。

千曲川をさかのぼるにつれ木々の黄葉も見ごろになった。源流手前では遊歩道といってもよかったおだやかな道は荒れていて、あとで小屋で聞けば9月の台風の大水のせいだったらしい。落ち着いた感じになるには数年かかるだろう。水源地標も少し傾いていたが、水に洗われたせいかもしれない。

水源地で雨になったので各々雨具をつけたが、その甲斐あってすぐにやんだ。雨こそやんだが甲武信岳の頂上では展望皆無で、時間も遅かったので立ち止まりもしないまま、明朝に期待をかけて小屋へと下った。

小屋に泊ったのは我々以外には4人だけで、他の人にとって10人の団体はさぞうるさかったことだろう。8時消灯、夜半まで屋根を打つ雨音が聞こえていた。

雨はやんだが霧の朝だった。回復を待つなら頂上で待とうと、頂上に登って待っている間には雲が流れて、国師、金峰、甲斐駒、八ヶ岳、そして北アルプスがそれぞれ一瞬姿を現した。しかしそれ以上にはならなかった。今日は稜線歩きなので、どこかで展望も開けるだろうと出発した。

一般的なルートで、奥秩父の太古の森の雰囲気をもっとも色濃く残しているのが、小川山と、この武信国境稜線であろう。その雰囲気を味わうにはむしろ霧が漂っているほうがいい。

展望がないのでおのずと目は地面を見る。するとところどころにキノコがあるので、やがて興味の焦点はそちらに移った。

最後の展望地、大山でも結局展望は得られなかった。十文字小屋では甲武信十文字小屋の主山中徳治さんが独力でトイレを新築中だった。前回会ったのは5年前、アルパインガイドの取材で甲武信小屋に泊まったときで、本ができたら届けようと思っていたのが、時のたつのは早いもので5年もたってしまったわけだ。本は甲武信小屋に納めてきた。

きのこ汁を注文してしばし歓談、そのきのこ汁がうまかったので、皆さん、その後のきのこ狩りに一段と目の輝きが増した。

足ががくがくしだすころ、ようやく千曲川を渡って起点に戻った。他の登山者にまったく会わないままの、おそろしく静かな山歩きを終えたと言いたいところだが、10人もいれば、自分達だけで充分に騒がしいので、静かな山歩きというわけでもない。それはそれ、無事に2日間を終え、めでたしめでたし.

御座山 (信濃中島・浜平)

御座山のリクエストがあったとき、何度も登った山だけれども、いつも南相木側からばかりで、北相木から登ったのは、22年前に初めてこの山に登ったとき以来なかったので、久しぶりにそちらから登ってみようと考えた。

古い記憶では農道の終点の狭いスペースに車を停めて登ったように覚えているが、調べたら、長者の森という施設ができて、そこからの径が拓かれたことがわかった。駐車場も完備しているという。車をアプローチに使っての登山では駐車場確保が最大の問題なのだから、ありがたくそこから登らせてもらうことにした。

南相木とはわりと縁が深いが、北相木に入るのはそれこそ22年ぶりであった。それだけ月日がたっていれば初めても同然である。周りの山々の景色も新鮮で、細い車道をうねうねと走った記憶しかなかったのが、今ではセンターラインの入った立派な車道で長者の森へ難なくたどり着いた。

予報は良かったし、出発のときには秋晴れだったのが、主稜線を半ばまで登るころにはすっかり霧の中に入ってしまった。昼前には当然登頂できるだろうと思っていたのが、それどころではなかった。

ようやくたどり着いた頂上からは展望皆無で、お隣の岩峰がときたま姿を現すのみ。この高さにいるにしては気温も高く風もないので昼食をとりながらしばらく滞在したが、ついに霧は晴れなかった。秋の好日の予報に他の登山者もいるかと思ったのだが、結局この日御座山に登ったのは我々だけだったらしい、誰も登ってこなかった。

よくよく地図を眺めると、北相木から登るのは、南相木からと標高差はさほど変わらないにしろ、距離はざっと3倍はある。なるほど、それなら今は南相木からの登山が主流になっているのだろう。北相木からの登山道は一部かぼそかったり倒木がかなり多かったりした。

若い頃の記憶なんてあてにならないもの。何の苦もなく登ったと思っていたので特に地図を詳しく見ることもしなかったわけであった。帰ってから22年前の記録を見ると、2時間かからずに登っている。いやはや山頂は遠くなるものです。

小楢山・倉沢山(川浦)

台風は行き過ぎて晴天の予報になったが、気がかりは大弛峠への車道で、当日の朝の情報でも通行止は解除されていなかった。

ともあれ、行ってみようと杣口林道を登っていったが、案の定ゲートが閉まっており、その前では何台もの車が、さてどうしたものかと立ち往生していた。早朝に杣口林道を上がる車のほぼすべてが金峰山に登るために大弛峠を目指しているのだから、なぜ、ずっと下の林道入口に通行止の看板を置かないのか理解に苦しむ。実に不親切と言わざるをえない。

今回の金峰山の計画はこの車道を使ってこそで、ゲートから歩いていったのでは時間が足りない。さっさとあきらめて転進することにする。だいたいこうなるだろうと思っていたので、周辺の地図も用意してあった。ここからすぐに転進できるとなれば大烏山か小楢山だが、参加者に意見を聞いて、小楢山に行くことになった。私は焼山峠からの小楢山は8年ぶり、たまには登って様子を見るのも悪くない。

相変わらず焼山峠付近は何かの工事でダンプの行き来で騒がしい。焼山峠から塩平へ下る車道も工事中で通行止、この車道はいつでも工事中のように感じる。

小楢山の登山道に変わりはないが、頂上はまるで変わっていた。というのも、甲府盆地側が大伐採され、かつては富士山方面だけすっきり眺められたのが、ほぼ180度の展望がきくようになっていた。これなら、無理して幕岩に登らなくとも、ここで展望を楽しむことができる。雲が出て、富士や南アルプスの展望は得られなかったが、これが真っ青な空だったりしたら計画を変更しただけに悔しかっただろう。北側の金峰山は木が伸びてかなり隠されていたが、その頂上付近の雲は最後まで取れなかった。

時間があるので大沢の頭まで行き、幕岩に登って昼休みとした。幕岩では富士が少しだけ頭を見せた。

もう一度小楢山の頂上に行ってから焼山峠へ下ったが、まだ2時過ぎで、このまま帰るのももったいない気がして、倉沢山もついでに登りましょうかと提案した。私にとって、気になってはいたものの登っていない山だった。この機会を逃すといつになるやらわからない。

これがおまけというにはもったいないような山で、展望にこそ恵まれないが、樹林の雰囲気は上々だった。ことに山頂南側には、わずか何十メートルか下っただけで水が滲みだしており、それがいくつもの小さい沢をつくっていた。それらの水が入り込み、点々と白樺の立つ湿地になっている平もあった。ミズナラの大木が何本もあり、新緑の頃には最高であろう。このあたりの地籍を「塩水」というが、この水の豊富さが関係しているのだろうかと思った。

金峰山は残念だったが、それはそれで充実した1日となった。


陣馬形山(赤穂・伊那大島)

木曜山行で毎年大鹿村に出かけるのも6年目となる。普段なじみのない山の風景が楽しみなのもさることながら、毎度お世話になる宿、延齢草での歓待が魅力で毎年出かけてきたのである。

宿泊ともなれば雨天中止というわけにもいかないが、幸い、今まで1回も雨でどうしようもないということはなかった。今回もうまく晴天にあたって、しかも前日の雨が南アルプスでは雪で、今年初めて山々の冬姿にまみえることができたのであった。

八ヶ岳の地元組は私を含めてふたりだけ、あとの参加者は大阪名古屋東京横浜からとえらく広範囲からの布陣となった。小淵沢と松川で合流して向かったのは陣馬形山であった。

陣馬形山には何度も登ったが、車で頂上まで登れる山だから、おいそれと車が登れない雪の季節を選んで登ってきたので、秋には初めてであった。しかし雪の季節同様、むろん下から登山道を登る。

車で登れる山を歩いて登る人は少ないからだろう、登山道の地面はあくまで柔らかい。途中、「丸尾のブナ」というブナは根元から何本も枝分かれした、樹齢600年といわれる大木だが、その1本が先日の台風のせいか無残に折れていた。他の幹も根元のウロは大きいようで、そろそろ木の末期を迎えているのかもしれない。

頂稜の車道に出ると、南アルプスが雪をかぶってずらりと並んだ。見慣れた方向と逆から見る白峰三山はまるで印象が違う。仙丈ケ岳はてっぺんがわずかに少し白いだけだが、ずっと南の赤石岳はすっかり白くなっている。

山頂からの眺めは中央アルプス方面に雄大だが、あいにく稜線には雲がかかっていた。しかし山に雪のない季節、むしろここからは、見下ろす天竜川流域の眺めこそ面白い。

ゆっくり休んだのち、往路を下ったが、登りやすい径は下りはさらに下りやすい。あっという間に出発点に着いて、大鹿村を目指した。

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